セヴァストーポリ砲撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/21 22:08 UTC 版)
「プルート (機雷敷設艦)」の記事における「セヴァストーポリ砲撃」の解説
6時33分、オスマン帝国艦隊とセヴァストーポリの距離は40 鏈(4 浬)になった。巡洋戦艦は、セヴァストーポリに向けて艦砲射撃を開始した。これに対し、警戒に当たっていた沿岸砲部隊と黒海艦隊の戦艦ゲオールギイ・ポベドノーセツが反撃の砲撃を行った。巡洋戦艦は、機雷原に突入することを恐れ、思うような動きは取れなかった。ヤウズ・スルタン・セリムは主砲弾47 発を含む59 発の砲弾を放ったが、その内命中したのは沿岸砲部隊に落下した2 発のみであった。逆に、沿岸砲部隊は360 発の砲弾を放ち、「ゲーベン」に対し3 発の命中弾を得た。ゲオールギイ・ポベドノーセツは、霧による視界不良からまともな射撃は行えなかった。 視界悪化と触雷の危険性から、オスマン帝国艦隊は6時50分にはセヴァストーポリへの砲撃を諦めた。しかし、このときまだ何も知らされていなかったプルートは、まっすぐオスマン帝国艦隊に向けて進路を取っていたのである。プルートに対し帰港命令を出したままであったことに気付いた司令部は、すぐさま哨戒任務中の第4駆逐艦隊に敵艦隊遭遇の危機に瀕したプルートの救援を命じた。 第4駆逐艦隊旗艦レイテナーント・プーシチンに乗艦していた指揮官V・V・トルベツコーイ公は、果敢にも指揮下の駆逐艦ジャールキイ、ジヴーチイの2 隻を率い巡洋戦艦に立ち向かっていった。トルベツコーイ大佐は駆逐艦隊を全速力で突撃させたが、「ゲーベン」の反撃は熾烈であった。レイテナーント・プーシチンは150 mm砲弾の直撃により甚大な被害を受け、水雷戦の決行は不可能となった。やむなく、駆逐艦隊は戦場を離脱した。
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