セヴァストーポリ砲台の叛乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 01:14 UTC 版)
「トリー・スヴャチーチェリャ (戦艦)」の記事における「セヴァストーポリ砲台の叛乱」の解説
極東で戦争が行われていた頃、黒海地方では革命を目論む動きが活発化していた。黒海艦隊にも革命分子が潜り込み、組織的な反政府蜂起の計画が着実に進められていた。その計画は、上手く行くかに思われた。 ところが、1905年6月7日にセヴァストーポリ要塞砲台の兵士らが突発的に騒擾沙汰を起こした。司令部は、装甲艦隊に要塞砲撃の準備命令を下した。水兵らは、憤りを以ってこの命令に接した。装甲艦エカチェリーナ2世とトリー・スヴャチーチェリャの乗員は、砲撃は行わないということを早々に宣言した。 要塞の秩序はやがて回復された。しかし、水兵らの激昂はますます高まり、蜂起の恐れを帯びてきた。司令部は「危険思想を持つ」水兵らを艦船から降ろし、革命思想から隔離するため、艦隊を海上へ移動させることを決定した。例えば、この時期ポチョムキンからだけで300 名近くの水兵が陸へ上げられている。
※この「セヴァストーポリ砲台の叛乱」の解説は、「トリー・スヴャチーチェリャ (戦艦)」の解説の一部です。
「セヴァストーポリ砲台の叛乱」を含む「トリー・スヴャチーチェリャ (戦艦)」の記事については、「トリー・スヴャチーチェリャ (戦艦)」の概要を参照ください。
- セヴァストーポリ砲台の叛乱のページへのリンク