陸軍飛行戦隊 編制

陸軍飛行戦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 05:31 UTC 版)

編制

飛行戦隊の編制として、部隊長たる戦隊長が在籍する本部戦隊本部)を筆頭に、基本は3個中隊Fc飛行中隊[註 2] から構成され、本部(戦隊長)は飛行場大隊(隷下に中間整備を担当する整備中隊及び、飛行場の警備を担当する警備中隊)を事実上隷属し、また各中隊長は戦闘整備を担当する整備班を隷属していた。

飛行第25戦隊第2中隊長(尾崎中和大尉)の一式戦「隼」二型(キ43-II)

飛行分科「戦闘」の戦隊の1個中隊の編制は、編隊の最小単位となる1個分隊(分隊長機と僚機の計2機)が2個分隊集まり1個小隊(小隊長機以下の計4機)を、その小隊が3個集まり1個中隊(中隊長以下の計12機)であった。これは陸軍航空部隊がロッテ戦法シュヴァルム戦法)をドイツ空軍から伝授され使用し始めた1942年後半以降の標準的な編制であり、それまでは最小編隊が3機となるケッテをもとに12機からなる中隊を編成していた(#定数も参照)。

  • 飛行戦隊本部
    • 第1中隊 - 各小隊 - 各分隊
      • 整備班
    • 第2中隊 - 各小隊 - 各分隊
      • 整備班
    • 第3中隊 - 各小隊 - 各分隊
      • 整備班
  • 飛行場大隊本部
    • 整備中隊
      • 指揮小隊 - 各分隊
    • 警備中隊
飛行第11戦隊四式戦「疾風」一型甲(キ84-I甲)

しかし1943年9月の飛行場大隊の大幅な改編と共に、飛行分科「戦闘」の戦隊には同年9月以降、「中隊編制」に代わり新たに「飛行隊編制」が布かれた。従来の中隊編制は機材の整備・管理や人事が個々の中隊ごとに独立しており、損耗や移動の激しい「戦闘」戦隊においては不都合があった。飛行隊編制とは従来の中隊の垣根を取り払い、これを統一・一元化した飛行隊を新設するものであり、これは戦隊本部の直属とし、飛行隊自体の指揮官としては飛行隊長を新設し戦隊長が先任将校を任命した。また、各中隊が隷属していた整備班は整備小隊となり、同時に戦隊本部隷下となった整備隊本部のもとへと移行された。これにより機材の一元管理化が行われ、整備班附整備員ら地上勤務者を含む大勢の人事まで掌握・指揮しなければならなかった中隊長の労苦も軽減された。

この改編により「戦闘」戦隊における部隊編制単位上の「中隊」は廃止され、編制表から無くなり統一した「飛行隊」となったものの[註 3]、多くの戦隊では機材管理や人事においては飛行隊編制を適用するものの中隊呼称を使用、ないし中隊編制自体に戻される事が多かった。具体的な呼称としては、一般的には従来の「中隊」称(第1中隊・第2中隊・第3中隊等)を踏襲したほかは、「飛行隊」称(第1飛行隊・第2飛行隊・第3飛行隊等)、「」称(第1隊、第2隊、第3隊等)が使用されており、中には無線電話等において使用されるコールサインを兼ねた愛称に近い名称(飛行第47戦隊の「旭隊(第1中隊相当)・富士隊(第2中隊相当)・桜隊(第3中隊相当)」、飛行第244戦隊の「そよかぜ隊(第1中隊相当)・とっぷう隊(第2中隊相当)・みかづき隊(第3中隊相当)」等)の使用もされている。

  • (「戦闘」)飛行戦隊本部
    • 飛行隊
      • (中隊) - 各小隊 - 各分隊
      • (中隊) - 各小隊 - 各分隊
      • (中隊) - 各小隊 - 各分隊
    • 整備隊本部
      • 指揮小隊 - 各分隊
      • 整備小隊
      • 整備小隊
      • 整備小隊
  • 飛行場大隊本部
    • 補給中隊
    • 警備中隊

大戦後期になると、外地部隊を中心に重なる損害と滞る補給のため消耗し部隊の維持が困難になる戦隊が多くなり、それら部隊は後方に移り戦隊員(空中勤務者・地上勤務者)と装備の補充を受けたり、他の戦隊・独飛中隊・独飛隊などと統合され戦力回復を果たすのが一般的であったが、ニューギニアの戦い末期フィリピン防衛戦末期ではその戦力回復も絶望的となり、また大勢からなる戦隊員の後方退却も不可能として貴重な空中勤務者のみが装備機や輸送機で脱出し、整備員ら地上勤務者は現地で歩兵部隊に改編され壊滅・解散した戦隊も存在した(空中勤務者の脱出もままならず地上で戦死した例も多い)。

飛行分科

飛行第53戦隊の二式複戦「屠龍」丙型丁装備(キ45改丙)

飛行戦隊を中心に、陸軍航空部隊の各飛行部隊には以下の飛行分科分科)および相当の装備機種が決まっていた。

軽爆撃機より近接航空支援(「地上攻撃機」)に比重を置いている
主任務は航空作戦や大規模地上作戦に密接した戦略偵察
主任務は地上軍に密接した戦術偵察。「偵察」戦隊では軍偵・直協を混用することが多い
輸送任務は陸軍航空輸送部や輸送飛行中隊の担当であり、本来は実戦飛行部隊たる飛行戦隊の任務ではなく、編成された輸送戦隊は大戦後期の2個戦隊ほどに留まる
主任務は対哨戒ならびに爆雷攻撃。大戦後期に主に独立飛行中隊に対し設けられた分科で、「偵察(軍偵・直協)」から改編された部隊が多い。確実戦果としては独立飛行第73中隊(装備機・九九式軍偵)による「ブルヘッド」撃沈など。
また揚陸艦強襲揚陸艦)である特殊船あきつ丸」を対潜用護衛空母としても使用するため、分科「対潜」の独立飛行第1中隊(装備機・三式連絡機)が編成され、いわゆる艦載機として運用されている

部隊や時期によってはこれら各分科や機種を束ねることもあった。主に大戦後期においては更なる戦闘隊増強の要求から重爆・軽爆・襲撃から「戦闘」へ分科を転科した操縦者や部隊も多く、また戦闘隊が落下タンクの代わりに爆弾タ弾を搭載し、戦闘爆撃機として臨時の軽爆・襲撃隊として使用されることも珍しくなかった[註 4]

偵察隊とりわけ「司偵」は戦略偵察任務の特殊性や大きな需要から、部隊(戦隊・戦隊1個中隊・独飛中・独飛隊)の改編や吸収統合が特に激しく複雑であった[1]

定数

飛行戦隊が保有する機体の定数は、時期や部隊や装備機種にもよるが、おおむね太平洋戦争当時は1個中隊が飛行分科「戦闘」では12機、「重爆」・「軽爆」・「司偵」・「偵察」では9機で、戦隊としては約24~36機+α(本部機・予備機など)が一般的であった。これは中隊編制から飛行隊編制に改編された、大戦後期の「戦闘」戦隊も基本同様となる。

また部隊によっては帳簿上の定数に含まれない員数外の機体として、廃棄機の修復機や鹵獲機を保有している。

戦隊長

当時の日本では「軍神加藤少将」として最も有名だったエース、「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊長の加藤建夫中佐。同戦隊のピスト(空中勤務者控所の意)で第3中隊長安間克巳大尉らとくつろぐ姿
小林照彦 1944年(昭和19年)11月末、帝国陸軍史上最年少(満24歳、階級は陸軍大尉

飛行戦隊の長は戦隊長で、階級大佐中佐少佐・大尉が補職する。戦隊でも飛行分科によって違いはあるが、太平洋戦争開戦前頃までは大佐・中佐・少佐が一般的で、太平洋戦争前中期には中佐・少佐が多くなり、後期には大尉が任命されることが珍しくなくなっている[註 5]

帝国陸軍(陸軍航空部隊)においては「指揮官率先」の伝統から、戦隊長は階級や分科を問わず原則的に「空中指揮官」であり、自ら戦隊が装備する第一線機に搭乗し隷下の本部僚機や中隊・飛行隊を率い、積極的に空中指揮と戦闘を行うものとされた。そのため飛行第64戦隊加藤建夫中佐や宮辺英夫少佐、飛行第244戦隊小林照彦少佐、飛行第22戦隊の岩橋譲三少佐などを筆頭に少なくないエース・パイロットたる戦隊長を輩出していると同時に、多数の戦死者や負傷者も出しており、大戦末期には貴重な中堅空中指揮官を温存するために戦隊長の出撃を控えるよう、その旨の令を上級部隊から出されていた戦隊も多々あった。一方で、「重爆」・「軽爆」の場合は戦隊長は必ずしも操縦者としての教育を受けた者がなるものではなく、その場合は隷下中隊長機など指揮官機に同乗しての空中指揮を行う。例として1941年7月に九七式重爆を運用する飛行第98戦隊長となった臼井茂樹大佐(過去に駐在武官参謀本部勤務)は、同年12月のビルマ攻略戦ラングーン爆撃任務において機上戦死している。

さらに「指揮官率先」は飛行戦隊に止まらず、上級部隊である飛行団(団長・飛行団長)でも珍しいものではなかった。飛行団は戦術単位の部隊であるため、戦隊長ほどの頻度ではなくとも飛行団長も空中指揮官として、飛行団司令部に配備されている第一線機ないし隷下部隊機に搭乗ないし同乗し、隷下飛行部隊を率い空中指揮を執るものとされていた。特に戦闘戦隊をメインとする「戦闘飛行団」ではそれが常識であり、操縦者出身かつ大佐・中佐級の古参高級将校たる団長の多くが操縦桿を握り実戦に出撃している。例として独立第15飛行団長・今川一策少将、第12飛行団長・川原八郎大佐、第14飛行団長・寺西多美弥中佐[註 6]第16飛行団長新藤常右衛門中佐などが居り、中でも16FB長・新藤中佐は本土防空戦においてB-29を1機確実撃墜している。

なお、これらの「指揮官率先」の伝統はアメリカ陸軍航空軍イギリス空軍でも同様であり、飛行戦隊に相当する飛行隊(米英)、飛行団に相当する航空群(米)の指揮官は自らが出撃し日本軍航空部隊と干戈を交えている。一例として、帝国陸軍航空部隊の一式戦が挙げた裏付の取れている多数の確実戦果中の高級指揮官機としては、第5爆撃航空団司令官ウォーカー准将機(隷下第43爆撃航空群リンドバーグ少佐機に同乗し爆撃任務空中指揮中に飛行第11戦隊機の攻撃を受け被撃墜、B-17[2]、第468超重爆撃航空群司令フォールカー大佐機(第1野戦補充飛行隊および第17錬成飛行隊機の攻撃を受け被撃墜、B-29) [3]、第348戦闘航空群司令カービィ大佐機(アメリカ軍主要エース、飛行第77戦隊機の攻撃を受け被撃墜、P-47[4]、第530爆撃航空群司令ミルトン中佐機(飛行第64戦隊機の攻撃を受け被撃墜、P-51[5]第1特任航空群司令ゲイティ大佐機(飛行第64戦隊機の攻撃を受け被撃墜、P-47)[6]、第1特任航空群司令コクラン大佐機(飛行第50戦隊機の攻撃を受け墜落寸前の状態まで被弾、帰還後に上級部隊より以後の空戦参加禁止命令を受領、P-51)[7] などがあり、さらにこのほか米英飛行隊長機の多くを撃墜している。


  1. ^ それまでは整備には工兵科、空中勤務者には歩兵科騎兵科砲兵科など様々な兵科からの出向者が携わっていた。
  2. ^ 太平洋戦争初期まで2個中隊編制だった第59戦隊(戦闘)、第81戦隊(司偵)ほか、また戦闘機集中運用のために4個中隊編制となったフィリピン防衛戦従軍の第200戦隊(戦闘)など、必ずしも3個中隊編制でない戦隊も少なからず存在した。また、分遣隊として1個中隊を戦隊から一時的に切り離し遠隔地にて独立飛行中隊的な運用をされる戦隊も多々あった。
  3. ^ 戦後に出版された多くの軍事関連書物などでは、大戦後期の飛行隊編成下の飛行戦隊について詳述してるにもかかわらず、本来は誤用の旧称である中隊(飛行中隊)と呼称をしている事が多くこれが浸透している。
  4. ^ 1944年(昭和19年)2月に英海軍駆逐艦パスファインダー」大破の戦果の第64戦隊、1943年12月に米海軍輸送船3隻命中弾の戦果の第68戦隊など。
  5. ^ 陸軍最年少の24歳で第244戦隊長となった小林照彦大尉が有名。
  6. ^ 陸士36期、陸軍士官学校校歌作詞者
  7. ^ 飛行集団の長は集団長(飛行集団長)。
  8. ^ 空中勤務者は教官助教を、地上勤務者も飛校附を中心に機体は飛校機材を使用。
  9. ^ なお、第5航空軍は隷下に飛行師団を擁せず飛行団を直属している。
  10. ^ 挺進連隊の部隊マーク「落下傘」を共用している。
  11. ^ 飛行師団(飛行集団)・航空軍・航空総軍および、方面軍・総軍・防衛総司令部などの高級司令部が司令部人員の輸送や連絡に用いる航空機を運用。
  12. ^ 官衙の中でも陸軍航空審査部飛行実験部(旧・飛行実験部実験隊)はマークを有さず、代わりに機体番号の数字を描いた。
  13. ^ 穴吹智は「吹雪」・「君風」の愛称を付けている。
  14. ^ 矢印自体は白で、縁をコバルトブルーとすることが多かった。
  15. ^ 「虎は千里往って千里還る」の中国(独飛18中の駐屯地)の故事から。
  16. ^ 部隊マークから連想された「タコ八」の愛称を持つ一方、その図案から「翼の生えた8」とも称される。
  17. ^ 同特攻隊には、装備の四式戦「疾風」の機体後端から機首に至るまで側面全体に赤色の「矢印」を描き、さらに「必沈」の文字を記入した大変派手なパーソナルマークで知られる高埜徳伍長が操縦者として居た。

出典

  1. ^ 碇義朗『新司偵 キ46 技術開発と戦歴』光人社、1997年。 
  2. ^ 梅本 (2010a), p.80
  3. ^ 梅本 (2010a), p.113
  4. ^ 梅本 (2010a), pp.94-95
  5. ^ 梅本 (2010a), p.61
  6. ^ 梅本 (2010a), p.118
  7. ^ 梅本 (2010a), p.68
  8. ^ 梅本弘 『第二次大戦の隼のエース』 大日本絵画、2010年7月、p.13
  9. ^ 神野正美 『台湾沖航空戦』 光人社、2004年11月、pp.90-91、なお、同書p.276に1945年1月2日に行われた飛行第7戦隊のサイパン島攻撃時の写真が掲載されている。
  10. ^ 偵察航空隊OB親睦会 テールマークの由来 2017年10月18日閲覧
  11. ^ 一〇〇式司令部偵察機





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