無敵超人ザンボット3 概要

無敵超人ザンボット3

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/12 01:17 UTC 版)

概要

サンライズ(当時は日本サンライズ)が、前身の創映社より改組・独立後のオリジナル作品第1作。タイトルの『ザンボット3』には「3機合体のロボット」と「サンライズのロボット」という2つの意味がある[1]。本作は名古屋テレビの制作だが、当時は東京・大阪以外のテレビ局によるアニメ制作は異例なことだった。なお、同局が制作した初のアニメ作品は1969年の『六法やぶれクン』(東京ムービー制作)であり、本作は2作目にあたる。

本作はオリジナル作品ではあるが、サンライズの井上幸一は「サンライズ作品は本当の意味でのオリジナル作品は、僕は少ないと思っているんです」[2] と述べており、本作も『マジンガーZ』を参考にした作品としている。

音楽は『天才バカボン』、『キューティーハニー』の渡辺岳夫、『世界名作劇場』の松山祐士。渡辺と松山が初めてロボットアニメの音楽を手がけた作品である。

敵方のメカが登場する際に、その名前がテロップで紹介されるなど、いかにもスーパーロボットアニメ風の演出はあるが、戦乱の中での生活、戦闘シーンでのリアルな心理描写(特に戦闘に臨むことへの怖れ)、惨殺される人間、レギュラー出演のサブキャラクターが犠牲となる「人間爆弾」、主人公たちが一般人から迫害される等、ハードな設定と演出がある。

主人公たちは純粋な地球人ではなく、ガイゾックの追撃から逃れ、放浪の末に地球にたどり着き、日本に住みついた異星人、ビアル星人の末裔[3] である。物語の前半では、主人公たちと宿敵ガイゾックとの戦いで、建物や住民が被害を被り、主人公たちが地球にガイゾックを「連れてきた」元凶であると誤解され、地球人に迫害されるという構図が繰り返し提示される。最終話では、ガイゾックはガイゾック星人により作られたコンピューターであり、平和のためにビアル星人を含む悪意に満ちた生物を滅ぼすことを目的とし、同じく危険な地球人を滅ぼすために飛来した事が明らかになるという、従来の単純な公式「勧善懲悪」に対して“正義とは何ぞや、誰がそれを決めるのか”と疑問を投げかける内容となっている。最終話の放映後、「プロダクション、スポンサー、広告代理店が真っ青になった」と監督の富野由悠季(制作当時は本名の富野喜幸)は語っている[4]

最後の敵の正体は、SF小説『バーサーカー・シリーズ』にインスパイアされたものである。

最終話ラストは傷つき疲れ果てた主人公に、それまで非難していたはずの人々が歓声をあげて駆け寄るシーンで物語がしめくくられる。

企画の経緯

サンライズの前身である創映社は東北新社の子会社である。創映社は『ゼロテスター』や『勇者ライディーン』などを成功させたが、これらの作品の収益はほとんど親会社の東北新社に取られ、社内では不満が溜まっていた[5]。創映社の立ち上げに関与した沼本清海は玩具メーカーのタカラ(現・タカラトミー)に転職、独立を望む創映社に沼本はそれまで『やわらかベビー』等の女児向き玩具を販売していた玩具メーカーのクローバーを紹介。クローバーには自社の知名度向上やキャラクター商品強化の意向があり、両社の利害が一致、かくして創映社は東北新社から独立し、日本サンライズとなる。

広告代理店は東洋エージェンシー(現・創通)という小規模な企業に決まった。当時の大手・中堅の広告代理店は手を挙げなかった。

本作は当初戦国時代を舞台としたロボットアニメとして構想された。それまでのロボットデザインは『マジンガーZ』のように西洋の甲冑をイメージしたものが多かったが、本作は戦国時代の武者鎧をモチーフとしている。頭部の三日月はデザインは異なるものの伊達政宗の兜の意匠から、胴体は陣羽織風、武器もと和風である。その一方で、ザンボ・エースの武器はピストルライフル等の銃器であり、いわばチャンバラとガン・アクションの折衷となっている。なお、ロボットアニメに本格的なガン・アクションを取り入れたのも本作が最初である。

当時、サンライズは『超電磁ロボ コン・バトラーV』、『超電磁マシーン ボルテスV』を制作しており、山浦栄二が構想した本作の企画も『コン・バトラー』、『ボルテス』と同じく5機合体ロボットだったが、サンライズ側の作業負担、クローバー側のコストや技術上の問題から『ゲッターロボ』、『ゲッターロボG』と同じ3機合体ロボットに変更された。また、血縁者の団体が戦う「ファミリーアクション」路線を発案した山浦の指名により鈴木良武が作成した企画書には「主人公の一族が宇宙人の子孫」「日本各地にメカが散らばっている」「敵の正体がコンピューター」などと記され、完成作の要素が見られる。さらに中途から参加した富野喜幸によって「周囲に被害を与えてしまう主人公」「市民に迫害される主人公」「善悪逆転の構図」などの要素が追加された。

登場人物とメカニックの原案は平山良二(現・藤原良二)によるもので、そこにスタジオぬえが加わりメカデザインが定まった。これを元に安彦良和がアニメ作画用に改定を行い、キャラクターデザインを決定したが、『ろぼっ子ビートン』、『超電磁ロボ コン・バトラーV』の疲労から、富野に要請された作画監督は断っている[6]。こうして大枠は決まり、制作が開始された。

本作品にまつわるエピソード

物語の終盤で主要キャラクターが次々と死亡する展開は、富野の異名「皆殺しの富野」の原点の一つとして語られ、そのスタイルを印象づけた。

ストーリーそのものは長いものではなく、作中での経過時間は2 - 3か月程度である。富野は、「ザンボット3に2クール(6か月)の放送期間は長すぎた」と後に語っている。一見本筋とは無関係な1話完結のエピソードがいくつか挿入されているが、これは当時の1年もののテレビアニメではよくある手法だった。なお、第20話は、最終話制作終了後に追加注文を受け、急遽制作されたエピソードである。放送済みのエピソードからセル画を流用(バンク)して最小限の作画でつなぎ合わせ、新作として仕上げる手法が使われた。

また、後のガンダムシリーズで見られるコックピットの画面挿入(+キャラクターのセリフ)が用いられたのは本作が初めてである。これは作画枚数を節約しつつ、ドラマ性と作品のテンポを維持するために考案された。

キャラクターデザインの安彦良和は、本作に先立って『ろぼっ子ビートン』などの制作に参加しており、その影響でキャラクター原案は当初2 - 3頭身で起こしていたが、富野にリテイクを食らったという。

恵子の戦闘服の色が赤だったり、ビアルI世単機のはずがキングビアルだったり、ザンボット3の額の三日月の向きが左右逆になるなど、セル画の作画・配色ミスが一部で存在する。また回によって作画のばらつきがみられた。今日、アニメ制作には作画監督が必須となっているが、本作は諸般の事情で作画監督を置けなかった。富野は『重戦機エルガイム』の放送に先駆けた前夜祭番組『エルガイムスペシャル』に出演した際、これまでに手がけた番組として本作の映像が紹介された時に自分も原画を描いたと明かしている。またエッセイ『だから僕は…』[要ページ番号]の中では、当時本作と東映制作の『超電磁マシーン ボルテスV』との制作体制を比較して「こっちはサンライズのオリジナル作品だというのに、なぜ作監すら置かないのか」とサンライズのやり方に少なからず憤ったことを述懐している。安彦も、当時はオフィス・アカデミーでの『宇宙戦艦ヤマト』関係の作業から離れることができずキャラクターデザインのみの参加となったので、サンライズに「頼むから良い作監をつけて下さい」と依頼したものの聞き入れられなかったため、そのいい加減さに「作監がいない(=不在)なんて、とんでもない話だ!」「なぜ下請けのほうにいいスタッフを集めているのか」と、苦言を呈した事を明らかにしている[7]。なお、サンライズ側も作画の乱れを懸念したのか、次回作の『無敵鋼人ダイターン3』からは作画監督を置くようになった。

そんな中、青木悠三が原画マンとして参加していた第1話はBパートの原画をほとんど青木が担当している他、金田伊功が原画マンとして参加していたスタジオZの回(5話・10話・16話・22話)は、「金田パース」や「金田光り」、「金田ビーム」といった独自の演出を、多くのアニメファンに認知させることとなった。

本作は大ヒットし、1982年にはテレビ朝日で7月19日 - 8月26日(8月5日を除く)、月曜 - 木曜10:00 - 10:30の時間枠で再放送された。富野による『無敵超人ザンボット3』の劇場版も企画されたが、沙汰止みとなっている。


注釈

  1. ^ クローバーはいわゆるファブレス企業で商品企画のみを行い、商品の設計や生産は沼本が転職したタカラの子会社が請け負っていた。
  2. ^ 勝平の父・源五郎は遠洋漁業に出ていたが、第6話で焼津に帰港する[15]
  3. ^ スーパーロボット大戦シリーズ」で声を担当。
  4. ^ 第10話 - 14話で一時的に担当。また、『スーパーロボット大戦Z』以降の「スーパーロボット大戦シリーズ」で声を担当。
  5. ^ スーパーロボット大戦IMPACT』と『スーパーロボット大戦A PORTABLE』で声を担当。
  6. ^ (第4話までは旧芸名の武智豊子で出演。
  7. ^ 普段の源五郎の目は細く小さめに描かれていたが、第22話で特攻するシーンでは、目が大きくなり、普段の顔とは違うタッチで描かれている。
  8. ^ 第3話での奉納試合での名前表記
  9. ^ 第17話のエンディングのテロップでは、健太と浜本のキャストが誤って逆に表記されていた。
  10. ^ キング・ビアル内の勝平の部屋で起きたアキの爆発はシャッター閉鎖により最低限の被害で済んだ。アキの死が信じられない勝平は甲板に上がった際、アキに貸したパジャマの切れはしを手にしたことでアキの死を受け入れた。
  11. ^ エンディング・クレジットならびに公式サイト表記による。関連書籍やテキスト媒体など各種記事では、基本的にキラー・ザ・ブッチャーとされることが多い。
  12. ^ ロマンアルバム等に収録されている設定書からすると額の三日月の頂点までを合わせて60メートルである。メカ・ブーストのガルンゲの体重が20万トンであるという一太郎の台詞があり、この設定が制作時にも残っていたらしい形跡がある。
  13. ^ アニメージュ「スタジオぬえ デザインノート」で、宮武が「ムチャな設定」と振り返っている。
  14. ^ ザンボット3に乗る3人、およびキングビアル乗員が着る戦闘服のデザインは、やはり安彦が挿絵を手がけたクラッシャージョウシリーズでの万能服「クラッシュジャケット」のデザインに流用されていると、安彦自身がムックなどで明言している。
  15. ^ ザンボット3の変形合体パターンは大河原邦男と平山良二が原案、武器類やキングビアル、ダンガルン等の設定はスタジオぬえの宮武一貴らが担当、バンドックのデザインは大河原邦男だったようである。なお、デザインに当たって高千穂遥が私蔵の武器を持ち出して使い方を演じて見せ、参考にしたという(DVD-BOXブックレット掲載のインタビューより抜粋)。
  16. ^ 制作局と同時ネット。
  17. ^ 勝平は香月とケンカを行い、宇宙太は東大を目指す受験生となり、恵子は普通の中学生として日々を過ごしていた。

出典

  1. ^ ブレインナビ 『ザンボット3・ダイターン3大全』 双葉社、2003年、109頁
  2. ^ http://moura.jp/clickjapan/robot/206/content02.html
  3. ^ ファミリーコンピュータMagazine徳間書店 1995年6月30日号特別付録 「バトルロボット烈伝 最強キャラクタファイル」 50頁。
  4. ^ 「アニメ大国の肖像 (53)」東京新聞 2006年12月14日夕刊、中日新聞東京本社、2006年。
  5. ^ Web現代「ガンダム者」取材班編集「第5章 企画 飯塚正夫 《後発の戦い方》」『ガンダム者 ガンダムを創った男たち』講談社、2002年10月9日、ISBN 4-06-330181-8、251頁。
  6. ^ ブレインナビ 『ザンボット3・ダイターン3大全』 双葉社、2003年、18-20頁。
  7. ^ 掛尾良夫 編「ロングインタビュー 安彦良和」『動画王』 VOL.7、キネマ旬報社〈キネ旬ムック〉、1998年12月25日、171-172頁。ISBN 4-87376-507-2 
  8. ^ TARKUS編「Chapter:1 ガンダムビッグ・バンへの道 証言2 沼本清海」『ガンプラ・ジェネレーション』講談社、1999年4月14日、ISBN 4-06-330074-9、36頁。
  9. ^ マツコ&有吉の怒り新党|2012/09/26(水)23:15放送 (1) - TVでた蔵
  10. ^ マツコ&有吉の怒り新党|2012/09/26(水)23:15放送 (2) - TVでた蔵
  11. ^ 俳優・上川隆也、アニメ愛を語る!イチオシ「ザンボット」の結末とは? - IRORIO
  12. ^ 「GANTZ」連載13年でついに完結、戦いの結末を目撃せよ - コミックナタリー
  13. ^ 有名人が初めて話します!とっておきランキング ここでしか聞けないヒミツの話30連発 - フジテレビ
  14. ^ 【エンタがビタミン♪】市川紗椰の『ラストが切なすぎるアニメ ベスト3』に騒然「2位でやめて…」 - Techinsight
  15. ^ 第6話「父が帰ってきた日」”. 『無敵超人ザンボット3』公式サイト. 2020年8月7日閲覧。
  16. ^ 氷川竜介「第5章 アニメの覚醒--富野監督語録とオタク元年--」『20年目のザンボット3』太田出版、1997年8月13日、ISBN 4-87233-333-0、188-189頁。
  17. ^ 竹書房 『サンライズ・ロボット・コンプリートファイル スーパーロボット編』21頁
  18. ^ 東奥日報 1978年3月ラジオ欄。
  19. ^ 河北新報』1980年8月1日 - 8月29日付朝刊、テレビ欄。
  20. ^ 日刊スポーツ』1977年10月14日付朝刊、テレビ欄。
  21. ^ 福島民報』1977年10月7日 - 10月28日付朝刊、テレビ欄。
  22. ^ 『福島民報』1980年4月2日 - 9月3日付朝刊、テレビ欄。
  23. ^ 『北日本新聞』1978年3月6日 - 3月10日付各朝刊テレビ欄より
  24. ^ 北日本新聞』1978年1月27日付朝刊テレビ欄より
  25. ^ 北國新聞』1979年8月20日 - 8月24日付各朝刊、テレビ欄。
  26. ^ a b c 山陽新聞 1978年3月テレビ欄。
  27. ^ 『無敵超人ザンボット3 メモリアルボックス』 解説書より






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