東京都電車 工場

東京都電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 00:32 UTC 版)

工場

電車両工場
1911年(明治44年)開設。当時は芝区浜松町[注釈 26] にあり、浜松町工場と称していた。元は東京電車鉄道の修理工場であり、1903年(明示36年)の開業時に前身の東京馬車鉄道の修理場を整備拡充してできたものである[161]。1920年(大正9年)10月には芝浦6号埋め立て地に芝浦支場[161]、1921年(大正10年)8月には当時の本所車庫内に本所仮工場を開設した[161]が、1923年(大正12年)の関東大震災で浜松町、本所両工場が焼失し[161]、震災後は芝浦支場に全機能が集約した。
電車の修繕・改修に加え新性能車の開発やトロリーバス車両の整備も行っていた[162]が、車両工場としては1969年(昭和44年)6月に廃止され電車の整備は馬込車両工場から各電車営業所への出張工事となった[126]。工場自体は引き続き都営バスの自動車整備工場や教習所(青山から移転)として使用されたが、それも1991年7月に江東区の交通局東雲庁舎内にある都営バス深川営業所に移転し[162]、跡地は芝浦アイランドのA1 - A3地区として再開発された。
芝浦倉庫
芝区新芝町(のち港区西芝浦一丁目を経て芝浦三丁目)に立地。市電・都電の資材置き場があった。前述の芝浦の電車両工場へ向かう引き込み線は東京港口から旧海岸通りを進み竹芝橋手前で分かれ、そのまま旧海岸通りを芝浦二丁目から船路橋まで行く線の他に、竹芝橋を渡らず芝浦運河通りを行く線が存在し、鹿島橋を渡った先の交通局芝浦倉庫へ引き込まれていた。1942年敷地の一部が東京市立芝浦国民学校になった。1967年度に港区に譲渡され、廃止。1969年に隣接する港区立芝浦小学校が移転したが、同校は2011年に再移転した。跡地はムスブ田町やしばうら保育園として再開発されている。

注釈

  1. ^ どの鉄道会社を日本最初の私鉄とするかは諸説あり、日本鉄道または阪堺鉄道とする場合もある。
  2. ^ 米国の発明家フランク・スプレイグによって考案された、トロリーポール吊り掛け駆動方式を用いる電車が実用化されたのはこの前年の1888年のことである[9]
  3. ^ 1895年(明治28年)開業。1918年(大正8年)京都市電に編入。
  4. ^ 1898年(明治31年)開業。後の名古屋市電および現在の名古屋鉄道の前身。
  5. ^ 1899年(明治32年)開業。京浜急行電鉄の前身で現在の京急大師線
  6. ^ 1900年(明治33年)開業。現在の小田急箱根の前身。
  7. ^ 当時車両に電気を供給する方法としては
    ・架線にプラスの電流を流し、マイナスの電流をレールに流す架空単線式
    ・架線を2本設置してマイナスの電流も架線に流す架空複線式
    ・架線を設けない蓄電池
    の3種類が検討された。しかし市区改正委員会は漏電による水道管やガス管の腐食を懸念し、架空単線式を認めない方針をとっていた。なお出願者の中には電車以外にもセルポレー式蒸気動車石油発動機圧搾空気の使用を計画するものもあった[10]
  8. ^ 1859年1月23日旧暦安政6年12月20日)長門国美禰郡伊佐村(現在の山口県美祢市)出身。真宗信徒生命保険(現在のT&Dフィナンシャル生命保険)、徴兵保険(後のAIGエジソン生命保険、現在のジブラルタ生命保険)、武蔵電気鉄道(現在の東京急行電鉄)などを設立し、大日本製薬の取締役や日本競馬会旧競馬法に基づく日本競馬会ではなく、その前々身に当たる団体)会長などを歴任した。また衆議院議員総選挙にも1903年の第8回1904年の第9回の2回当選している[14]
  9. ^ 1903年(明治36年)8月2日開業。後の三重交通神都線
  10. ^ かつて都内を流れていた汐留川に架かっていた橋の一つで、今日の東京高速道路土橋入口のある位置に存在した。
  11. ^ 当時の運賃は各社ともに全線3均一で同じ会社の電車同士の乗り継ぎは無料だったが、異なる会社の電車に乗り換える場合はまた運賃を支払う必要があった。
  12. ^ 特に通行税は運賃に上乗せ課税されており、納税するのは鉄道会社でも実際に税金を負担しているのは電車を利用する市民だった。
  13. ^ 戦前において、路面電車など軌道条例および軌道法に基づく鉄道会社の監督権限は、道路行政を所管する内務省にあった。しかし電気事業取締規則及び旧電気事業法において動力に電気を用いる鉄道会社は電気事業者と見なされていたので、同時に電力行政を所管する逓信省も監督権限を有していた。また1908年以降は鉄道行政を所管する鉄道院→鉄道省も監督権限を得たので、路面電車は三重行政のもとにあった。[21][22]
  14. ^ この金額は1911年5月1日時点の評価をもとにした協定価格で、実際の買収額は6458万円余りとなった。
  15. ^ 営業係数は営業収入100円あたりの営業費用の比率で、この場合収入100円あたりの費用が34円30銭だったことを意味する。営業係数が100を下回れば営業黒字、上回れば営業赤字で、数字が小さいほど営業効率がよいと言える。
  16. ^ なお1922年度における東京市電気局の歳入総額は約6367万円、歳出総額は約6016万円である。
  17. ^ 1925年にはフォード・モーター(日本フォード)が横浜、1927年にはゼネラルモーターズ(日本ゼネラル・モータース)が大阪に製造拠点を設置した。なおフォード社が日本進出を決めたのは、東京市が市営バスのためにT型フォード800台を発注したためだとされる。
  18. ^ 東京市内の路線バスは震災前には東京乗合自動車など数社程度だったが、震災後の1933年には市営や鉄道会社の兼営でないバス専業事業者だけで41社を数えた。またタクシーは1922年には1200台程度だったが、1929年には1万台以上にまで増加した。
  19. ^ 市債の中には直接市電の収益に結びつかない目的のため発行されたものも多く、このことも事態を悪くしていた。1934年度の市債残高2億7822万円のうち、47%は震災復旧、道路拡張、東京鉄道の買収などのために発行されたものだった。
  20. ^ この時からPASMOSuicaといったICカード乗車券で運賃を支払う場合、表記の運賃より数円程度安くなるIC運賃を導入しており、2014年4月〜 165円、2019年(令和元年)10月〜 168円が適用されている。
  21. ^ 告示では8日「東京市告示第63号」『東京市公報』1914年5月17日
  22. ^ a b 1966年2月15日に東京都交通局が運輸省および建設省に提出した「巣鴨車庫前・志村橋間の軌道事業廃止許可申請」による。
  23. ^ 「都電百景百話」など林順信の著作物によるが、池袋駅電停背後の西武百貨店に掲げられていた日本万国博覧会開会までの日数電光表示板や、最終運転日(1969年10月25日土曜日)など、平日や土曜日に運転されていた事実を示す写真も残されている。
  24. ^ 『茶の湯連翹抄』(戸田勝久(茶家) 2005年12月 思文閣出版)425頁に当時の思い出として「トタン張りの大きな倉庫のようになっていた」と記述されている。
  25. ^ 東京都公報 1966年5月26日発行 号外90 「東京都電車の運転系統の名称及び区間の一部改正」(交通局告示 昭和41年第4号および交通局規程 第22号)に第18系統・第41系統削除の旨が掲載されている。一部の資料では18系統について「巣鴨車庫-神田橋間に運転短縮の上、1967年8月31日廃止」と記されているが、東京都公報では同日付の東京都電車運転系統に関する改廃の告示は掲載されていない。
  26. ^ 現在の浜松町駅前で、2016年4月現在跡地には世界貿易センタービル、交通局大門庁舎などがある。
  27. ^ なお、新宿線建設にあたって京王側が標準軌への改軌を検討したこともあるが、工事中の輸送力低下を恐れた京王側の意向から交通局側が馬車軌間で建設することになった。
  28. ^ 三ノ輪橋停留場では1983年8月時点で電停標識として存置されていた。また、1983年頃までは停留場名称板のみを外し、全面広告スペースとして使用する停留場も一部にみられた[168]

出典

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