ブリタニカ百科事典 概要

ブリタニカ百科事典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/30 00:19 UTC 版)

概要

1768年から1771年にかけて、エディンバラで3巻の百科事典として発行されたのが始まりである。

収録された記事は増えていき、巻数は第2版で10巻、第4版(1801年から1810年)では20巻となった。学術的な地位の向上は高名な寄稿者を招くのに役立ち、第9版(1875年から1889年)と第11版(1911年)は、文体と学術的知識において画期的なものとなった。版権が米国に移った第11版からは、北米市場に売り込むため短く簡潔な記事となっていった。1933年、ブリタニカは百科事典としては初めて継続的な改訂が行われるようになった。

2012年3月、ブリタニカ社は、紙の書籍としての発行を取り止めオンライン版 ブリタニカ・オンライン英語版 に注力すると発表し、2010年に32巻で印刷されたものが紙の書籍としては最後となった[2]

第15版からは三部構成となっている。短い記事(ほとんどが750語以下からなる)のマイクロペディア小項目事典)12巻、長い記事(2 - 310ページ)のマクロペディア大項目事典)19巻、そして知識を系統立てる、もしくは概観を示すプロペディア(総論・手引き)1巻である。マイクロペディアは簡単な調べ物やマクロペディアの手引書としての役割を担っている。記事の概観や詳細を知るためにはプロペディアを閲覧することが推奨されている。

ブリタニカはおよそ50万の記事が約4000万語で記述されており、70年以上ほぼ一定に保たれている。1901年以降は米国を拠点に出版されてきたが、主にイギリス英語で書かれている。

歴史

過去に版権を持っていたものにはスコットランドの出版社A & C Blackやホレス・エヴェレット・フーパー、シアーズ・ローバック 、ウィリアム・ベントンらがいる。現在は俳優でもあるスイスの富豪ジャッキー・サフラ英語版(ジェイコブ・サフラ)がブリタニカ社を所有している。情報技術が進歩し、Encyclopædia Britannica Ultimate Reference Suiteエンカルタウィキペディアのようなデジタル百科事典が台頭してくると紙媒体の需要は少なくなってきた[3]。競争力を維持するためブリタニカ社はブリタニカの高い評価を強調し、販売価格を引き下げた。またCD-ROM版やDVD版、オンライン版などの開発にも取り組んだ。1930年代初頭以来、同社は派生事業も推進している[4][注釈 1]

刊行された版

ブリタニカは第15版まで刊行されており、第3版と第5版には複数巻の追補版が存在する(詳しくはを参照 )。 第10版は第9版に追補版を加えただけのもので、第12版、第13版も第11版に追補版を加えただけのものである。

1985年に発刊された第15版は全面改訂を受けた。2013年の時点で最新のものは未だに第15版である。

歴史を通してブリタニカは2つの目的を持っていた、優れた参考書であることと教材に資することである[5]。1974年、第15版は更なる目標を目指した。全人類の知識を体系化することである[6][7]。ブリタニカの歴史は、経営者の交代、事典の改訂を区切りに5つの時代に分けることができる。

1768年から1826年

最初の時代(初版から第6版まで)ブリタニカはコリン・マックファーカー、アンドリュー・ベル、アーチボルド・コンスタブルら創始者によって出版された。ブリタニカは当初 Encyclopædia Britannica, or, A Dictionary of Arts and Sciences, compiled upon a New Plan として、1768年から1771年にかけてエディンバラで出版された。 チェンバーズの「サイクロペディア」(1728年初版)に影響を受けたドゥニ・ディドロジャン・ル・ロン・ダランベール百科全書(1751年から1772年発刊)に触発された面もあった。ブリタニカの出版は主にスコットランドを基盤としており、スコットランド啓蒙主義英語版の不朽の遺産である[8]。この時代にブリタニカはある若い編集者、ウィリアム・スメリによって初版の3巻から、大勢の権威によって書き綴られた20巻へと変わった[9]。この時代には他にもエイブラハム・リース英語版の「リース百科事典英語版」や コールリッジの「メトロポリターナ百科事典」[10]ディヴィッド・ブリュースターの「エジンバラ百科事典」などが登場し競い合った。

19世紀初頭のブリタニカ百科事典には研究の萌芽も含まれていた。例を挙げるとトマス・ヤングのエジプトに関する記事には、ロゼッタ・ストーン(画像)のヒエログリフ解読についても記述されていた。

1827年から1901年

2番目の時代(第7版から第9版)ブリタニカはエジンバラの出版社 A & C Black が管理していた。何人かの寄稿者たちは編集長、特にマクビー・ネピアとの親交を通じて再び執筆に加わったが、他のものはブリタニカの名声に惹かれていた。寄稿者は外国から来るものも多く、中にはその分野における最高の権威もいた。総合索引は第7版で初めてあらわれ1974年まで存続した。最初のイギリス生まれの編集長はトマス・スペンサー・ベインズだった、1880年以降はウィリアム・ロバートソン・スミスが彼を補佐した[11]。ベインズは「学者の百科事典」として名高い第9版を監督した[12][13]。第9版は科学分野の特別顧問にマクスウェルハクスリーがいた[14]。また存命人物の伝記は存在しなかった[15]。高い名声を得た第9版であったが19世紀の終わり頃には時代遅れとなり、財政的な問題に直面した。

1901年から1973年

3番目の時代(第10版から第14版)ブリタニカはダイレクトマーケティング訪問販売を導入したアメリカの実業家に管理された。 アメリカ人のオーナーは徐々に記事を簡素化し、大衆市場向けに学究的な内容を減らした。第10版は第9版に9巻の追補版を加えたものだが、第11版は完全に刷新され、その出来栄えを賞賛されている。オーナーのフーパーは理想の追求に努力を惜しまなかった[13]。フーパーが財政難に陥ると、1920年から1923年までと1928年から1943年までの18年間、ブリタニカはシアーズに管理された。シアーズの副社長パウエルは1932年、ブリタニカ社の社長に就任した。1936年、彼は継続的な改訂を決定した[4]。これは古いやり方との決別であった。それまでは新しい版が出るおよそ25年もの間、記事が更新されることは無く、また古い版から更新されていない記事もあった。パウエルはブリタニカの名声を拠り所とした教育用製品も開発した。1943年に所有権はウィリアム・ベントンの元へ渡った。彼は1973年に亡くなるまでブリタニカを管理した。ベントンはベントン財団を設立し、財団は1996年まではブリタニカを管理した。1968年、この時代の終わり頃、ブリタニカは200周年を迎え祝賀の催しが行われた。

第10版は丸善とのタイアップで日本にも輸入され、大英百科全書として紹介された。1902年[16]発売記念価格として通常の半額[注釈 2]での販売、書籍では初めてとなる月賦での分割払い(通常価格になってからは一括払いのみ)、そして新聞の一面広告などのキャンペーンを行った。1906年にも、追補版の出版を機に同様のキャンペーンを行っている。伊藤博文後藤新平新渡戸稲造徳富健次郎犬養毅など各界の著名人が買い求め、広告でもそれを誇示していた。

ナショナル ジオグラフィック誌の1913年5月号に掲載されたアメリカにおける第11版の広告

1974年から1994年

4番目の時代、ブリタニカは第15版を送り出した。それはマイクロペディア小項目事典)とマクロペディア大項目事典)、プロペディア(総論・手引き)の3つに再構成された。 モーティマー・アドラーen:Mortimer J. Adler[注釈 3][17]の下、レファレンスや教材としてのみならず、全人類の知識を体系化するものを目指した。独立した索引を持たず並列的な百科事典(マイクロペディアとマクロペディア)に記事が分割されていることは当初「猛烈な批判」を引き起こした[12][18]。この批判を受けて、第15版は完全に再編成され1985年に再度出版された。この2つ目の第15版は出版され続け、2010年まで改訂された。第15版の正式な名称は「新ブリタニカ百科事典」であるが、「ブリタニカ3」も推奨されていた[12]

第15版は、TBSブリタニカによって日本で翻訳され、項目の追加・改訂を行った後、1972年より『ブリタニカ国際大百科事典』として刊行された。2003年以降、紙媒体での日本語版は発行されていない。

1994年以降

第9版の広告(1898年)

5番目の時代、 光ディスクとオンラインでデジタル版が発売されている。1996年、ジャッキー・サフラはブリタニカを買い取った。ブリタニカ社は経営難であったため推定額よりも安く買収された。1999年、ブリタニカ社は分割。元の社名のものは印刷版の製作を継続し、Britannica.com Inc. がデジタル版を開発することになった。2001年以来、イラン・ヨシュアは両方の会社のCEOである。彼は「ブリタニカ」の名前を持つ製品にパウエルの戦略を導入している。2012年3月、ブリタニカ社社長のジョージ・コーズは2010年の第15版を最後にこれ以上紙媒体での百科事典編纂を取り止めると発表した。今後はオンライン版と教育用の製品に注力していくこととなる[2][19]

2010年に国際化版が刊行された。30巻、18,251ページで構成され、8,500もの写真、地図、国旗、 図版がコンパクトなサイズの事典に詰まっていた。ノーベル賞受賞者を含む世界中の学者たちが40,000以上の記事を書いた。第15版とは異なり、マクロペディア、マイクロペディアを持たず第14版までと同様アルファベット順になっていた。これについてブリタニカ社は以下のように述べている[20]

1768年以来、レファレンスとして世界標準であるブリタニカ百科事典は、ここに国際化版を送り出します。私たちの世界を取り巻くものについての包括的な知識を提供するため特別に編纂され、この独創的な製品は何千ものタイムリーで重要な記事をブリタニカ百科事典だけでなく、ブリタニカ・コンサイス百科事典、the Britannica Encyclopedia of World Religions、コンプトン百科事典から採択しています。 国際的な専門家や学者たちによって書かれ、240年以上もの間金字塔であり続けた英語百科事典の基準を元に編纂されています。

献辞

ブリタニカは1788年から1901年までイギリスの君主献呈されており、アメリカに移ってからはイギリスの君主とアメリカ合衆国大統領に献呈されている[12]。そういった経緯から第11版には「グレートブリテン及びアイルランド連合王国ならびに海外自治領の国王、インド皇帝でもあらせられるジョージ5世陛下、ならびにウィリアム・ハワード・タフトアメリカ合衆国大統領のお許しを得て捧ぐ」[21]とある。献辞の順序はアメリカとイギリスの力関係、売り上げに応じて変化した。第14版の1954年度版では「2つの英語を話す人民の首長、ドワイト・デヴィッド・アイゼンハワーアメリカ合衆国大統領とエリザベス2世女王陛下のお許しを得て捧ぐ」[22]とある。この伝統は首尾一貫しており、第15版の2007年度版では「現アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュとエリザベス2世女王陛下のお許しを得て捧ぐ」[23]とあり、2010年度版の第15版では「バラク・オバマアメリカ合衆国大統領とエリザベス2世女王陛下のお許しを得て捧ぐ」[24]となっている。

批判と評価

評価

アンドリュー・ベルによる銅版画(初版から)

第3版以来、ブリタニカはその秀逸な概括を批評家からも一般からも高く評価されてきた[12][25][26]。第3版と第9版はアメリカでは Dobson's Encyclopaedia [27]をはじめとして非公認のものが発売された[13]。第14版発刊の際、タイムはブリタニカに「図書の王様( Patriarch of the Library )」の愛称を贈った[28]。連動した広告において、博物学者のウィリアム・ビービは、ブリタニカは「競争相手がいないので比較にならない」と語った[29]イギリス文学のあちこちにはブリタニカについての言及が散見される。とりわけ有名なものはアーサー・コナン・ドイルが著したシャーロック・ホームズシリーズの人気小説赤毛組合におけるものである。この逸話はロンドン市長のギルバート・イングルフィールドがブリタニカ刊行200周年の祝賀で語ったことで注目された[30]

ブリタニカは知識の要約に関して高く評価されている[31]。更なる知識を求めて、ブリタニカを常にそばに置き3年から20年かけて読破することに没頭する者もいた[13]ファトフ・アリーが1797年にペルシャシャーになった際、ブリタニカ第3版が贈られた。彼は読破した後、自身の称号に「恐るべき王にしてブリタニカ百科事典のマスター」を加えた[30]。作家のバーナード・ショーは第9版を読破したと主張した(科学記事は除いて、であるが)[13]リチャード・バードは1934年の5か月間の南極滞在時に、読み物としてブリタニカを持っていき、フィリップ・ビーバーも探検航海の途上読んでいた。近年では、エスクァイア誌の編集者A・J・ジェコブズ英語版が第15版の2002年度版を読みきったと、2004年に出版された彼の著書「驚異の百科事典男 世界一頭のいい人間になる!」で語っている。2つの別の版を読んだ人間としては作家のフォレスター[13]とアメリカ人ビジネスマンのエイモス・アーバン・シャークのみが知られている。後者は第11版と第14版を読み、第11版を読み終えるのに4年半毎晩3時間かけたという[32]。何人かのブリタニカ編集長、例えば初版のウィリアム・スメリや第9版のウィリアム・ロバートソン・スミス、第14版のウォルター・ユストのような人間はその版を完全に読んでいるかもしれない。

受賞歴

ブリタニカのCD版およびDVD-ROM版、オンライン版は全米教育出版協会の2004年度の Distinguished Achievement Award を受賞した[33]。2009年7月15日に2,000人以上の評論家からなる審査によってブリタニカ百科事典が「イギリス10大スーパーブランド」に選ばれたとBBCは伝えた[34]

項目の取り扱い

項目はプロペディアの「知識の概要( Outline of Knowledge )」によってある程度取捨選択されている[7]。ブリタニカの大部分は地理に関するものでありマクロペディアの26%を占め、伝記14%、生物学および医学11%、文学7%、物理学および天文学6%、宗教5%、芸術4%、西洋哲学4%、法律3%となっている[12]。補完的な内容のマイクロペディアでは、地理が記事の25%を占め、科学18%、社会科学17%、伝記17%、その他人文系25%となっている[25]。1992年に書かれたあるレビューでは「その取り扱う範囲の広さ、深さは他の百科事典を凌駕している」と批評している[35]

ブリタニカでは全ての項目が詳細に取り扱われているわけではない。仏教と他のほとんどの宗教はマクロペディアの1つの記事で扱われる一方、キリスト教に関しては14の記事があり、宗教に関する全ての記事の半分近くを構成している[36]。しかしながら、ブリタニカは最も偏っていない西洋向けの百科事典として褒め称えられ[12]、女性の伝記が存在することを賞賛されている[25]

誤りを恐れずに述べると、ブリタニカの第15版は非西洋の文化、社会、科学的発展について、現在出回っているどの英語の百科事典よりも言及していると言えるだろう。
ケネス・キスター、Kister's Best Encyclopedias(1994年)

編纂方法

ブリタニカは時折その編纂方法を批判されている。サイズはほぼ一定であるので、他の項目に譲るため減らされるか削られる項目が出てくる。その結果として物議をかもすこととなる。

初期の第15版(1974年から1985年)では児童文学、軍隊の勲章、フランスの詩人デュ・ベレーの記事に対して減らすか、または削ってしまった。日本人の伝記におけるでたらめな並び順といった編集ミスもまた指摘された[37]。索引がなくなり、記事がマクロペディアとマイクロペディアへ独断的とも思える分割をされたことは非難された[12][18]。加えて、ある評論家は初期の第15版を「失敗作…情報を保存することよりも体裁をいじくることに気をとられている」[37]と評した。近年では、多数の教育に関する記事が心理学の記事とともに1992年度のマクロペディアから削除されていたことを知って、アメリカ図書館協会の評論家は驚いた[38]

ブリタニカに依頼された寄稿者は時折間違っていたり、非科学的であったりする。ブリタニカの初期にあった悪名高い例は、第3版の編集長(1788年から1797年)であったジョージ・グレイグによる万有引力の否定である。彼は重力というものは四大元素の火によってもたらされると記している[13]。しかしブリタニカは感情的になってしまいがちな項目に対しても科学的なアプローチを取ることを堅持している。第9版におけるウィリアム・ロバートソン・スミスの宗教に関する記事では、聖書は歴史に関しては正しくない、と記されている(1875)[13]

ブリタニカの編集諮問委員のウェンディ・ドニガー[39]ヒンドゥー教に対して否定的な描写をしたことで批判されている[40][41]

批判

ブリタニカは批判を受けてきた。とりわけ現行の版が時代遅れになると顕著だった。全く新しい版を生み出すには莫大な費用がかかるため[42]、財政的に厳しいときはそれを遅らせていた(通常はおよそ25年間隔)[4]。 例えば、継続的な改訂をしているにもかかわらず第14版(1929年から1964年)は35年後には時代遅れとなっていた。アメリカの物理学者ハーヴェイ・エインビンダーは彼の著書 The Myth of the Britannica[43]でその問題点を詳しく説明している。時代遅れの百科事典は第15版の編纂を急き立て、10年の作業期間を要して完成した[12]。ブリタニカを最新の状態に保つことはやはり難しく、ある最近の評論家は「時代遅れか改訂が必要な記事を見つけるのは難しいことではない」と述べ、長い記事のマクロペディアでは短い記事のマイクロペディアより時代遅れになりやすい点を指摘している[12]。マイクロペディアの情報は該当のマクロペディアの記事とつじつまが合わないことがある、主な理由はどちらかが更新されていない所為である[25][26]。マクロペディアにある文献目録は記事そのものよりもさらに時代遅れになっていることがあるため批判されている[12][25][26]

アイルランド内戦に関する不正確な記事を掲載している版に対して、アイルランド教育・技能省がオンライン版利用料を支払っていることに、2010年にアイルランドで論争が巻き起こった[44][45]

第3版(1788年から1797年)についてなら、ブリタニカの編集長ジョージ・クレイグは「多彩な主題について述べるこの企画にとって、完璧であることはその本質とは関係が無いように思われる。」[46]とつづった。2006年3月、ブリタニカ社は「我々はブリタニカには間違いが無いなどということを言うつもりは全くない、我々はそのような主張をしたことはない。」[47]と述べた。創始時代の編集者ウィリアム・スメリは思いを述べている。

精神的なもの、印刷におけるもの、偶発的なもの、いずれかに分類される一般的な間違いについて、我々はどんな批評家にも負けない精度で指摘できます。広大な自然のようなものを相手に作業することに起因するあまたの困難をご存知の方なら、妥当な許容範囲があるはずです。我々はこれらに対し訴えかけ、彼らの宣告する判決文に満足し休息するでしょう。
ウィリアム・スメリ、ブリタニカ百科事典初版の序文から

しかしブリタニカ社社長ジョージ・コーズは2012年に「ブリタニカは(中略)常に事実上正確であるだろう。」[2]と言い放った。


  1. ^ 「第4版、第5版と第6版への追補版。科学史の予備論文が含まれています。」
  2. ^ 第7版から第14版までは総合索引は別巻となっている。
  3. ^ 第9版は当時の著名な人物、例えば電磁気学におけるマクスウェルや熱力学のウィリアム・トムソンなどの記事を目玉にしていた。
  4. ^ 第10版は地図専用のものが1巻存在し、第9版と第10版の累積した索引がある。第10版「新刊は既存の第9版と組み合わせて成り立ちます、しかし第10版も、新しい特色があり、最近の出来事や世界の発展について参考となる独立した図書です。」とある。
  5. ^ 「30巻から32巻の新刊は29巻からなる第11版と組み合わせて、第12版を構成します。」
  6. ^ この追補版は以前の追補版を置き換える。「3巻の新しい追補版は最後の通常版と組み合わされ、 第13版を構成します。」
  7. ^ a b この版から最新の状態を保つよう継続的な(大抵は毎年)改訂が行われるようになった。
  8. ^ 第15版(ブリタニカ3として世に出た) は3つの部分からなる、10巻のマイクロペディア、19巻のマクロペディアにプロペディア1巻が加わる。1985年に再構成され、マイクロペディアは12巻、マクロペディアは17巻となった。
  9. ^ 1985年、2巻の独立した索引が追加された。また、マクロペディア内の記事は統合され、さらに少数かつ大きくなった(例えば、以前は50の独立した記事だったアメリカの各州はアメリカ合衆国の記事に統合された)。中程度の長さの記事は、マイクロペディアに移動するものもあった。 最初のCD-ROM版は1994年に発行された。当時オンライン版はやはり有料であった。1999年にオンライン版が無料化され、改訂された印刷版は登場しなかった。2001年に無料化の試みは終了し、新しい印刷版が発行された。

注釈

  1. ^ 通常、百科事典は新しい版が出ると売り上げを伸ばし、内容が時代遅れになるとともに売り上げが落ちる。新版の作業が開始されるころというものは、旧版の売上が落ちるころであり、編纂、執筆依頼といった必要な経費が最も多いときである。かつての社長エルカン・ハリソン・パウエルは、安定しない収入を百科事典編纂の不安要素と認識し、継続的な改訂で乗り切ろうとした。なお、この記事では一部を除き、大元の百科事典について説明していく。
  2. ^ クロース版175円、総革版280円など。
  3. ^ ブリタニカ百科事典編集委員の1949年の創設時からのメンバー。1974年からは委員長を務め、1965年から第15版の編集企画の責任者。
  4. ^ 「いわゆるアルファベット」以外の文字、英語で使われないアルファベットについてはアルファベットおよびラテン文字を参照。

出典

  1. ^ ブリタニカ百科事典、書籍版244年の歴史に幕”. 日本経済新聞 (2012年3月15日). 2020年11月25日閲覧。
  2. ^ a b c d Bosman, Julie「After 244 Years, Encyclopædia Britannica Stops the Presses」『ニューヨーク・タイムズ』、2012年3月13日。2012年3月13日閲覧。
  3. ^ Day, Peter「Encyclopaedia Britannica changes to survive」『』BBC News、1997年12月17日。2007年3月27日閲覧。「売り上げは年間100,000から20,000まで急落。」
  4. ^ a b c d "Encyclopaedia". ブリタニカ百科事典第14版. 1954.
  5. ^ "Encyclopedias and Dictionaries". ブリタニカ百科事典第15版. Vol. 18巻. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007. pp. 257–286.
  6. ^ ブリタニカ・ジャパン - Encyclopaedia Britannica Print Set” (2012年4月27日). 2013年12月27日閲覧。
  7. ^ a b c d e ブリタニカ百科事典第15版プロペディア. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007. pp. 5–8. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)
  8. ^ Herman, Arthur『How the Scots Invented the Modern World』Three Rivers Press、2002年。ISBN 978-0-609-80999-0 
  9. ^ Krapp, Philip; Balou, Patricia K. (1992). Collier's Encyclopedia (英語). Vol. 9. New York: Macmillan Educational Company. p. 135. LCCN 91061165 ブリタニカの初版は「嘆かわしいほどいい加減で非科学的」とされていた
  10. ^ Frank A. Kafker, Jeff Loveland. eds.『The Early Britannica: The Growth of an Outstanding Encyclopedia』Voltaire Foundation、2009年。ISBN 978-0729409810 
  11. ^ ジョン・ウィリアムズ・カズン(1910年), Baynes, Thomas Spencer, A Short Biographical Dictionary of English Literature , London: J. M. Dent & Sons.
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q Kister, KF『Kister's Best Encyclopedias: A Comparative Guide to General and Specialized Encyclopedias』(2nd)Oryx Press、Phoenix, Arizona、1994年。ISBN 0-89774-744-5 
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m Kogan, Herman『The Great EB: The Story of the Encyclopædia Britannica』シカゴ大学出版局、Chicago、1958年。LCCN 58-8379 
  14. ^ T・S・ベインズ, Prefatory Notice, ブリタニカ百科事典第9版
  15. ^ T・S・ベインズ, Editor's Advertisement, ブリタニカ百科事典第9版
  16. ^ 商品の原点あり|丸善株式会社” (2013年5月31日). 2013年12月27日閲覧。
  17. ^ Mortimer J. Adler『A Guidebook to Learning: for the lifelong pursuit of wisdom』MacMillan Publishing Company、New York、1986年、88頁。 
  18. ^ a b Baker, John F.「A New Britannica Is Born」『Publishers Weekly』、1974年1月14日、64–65。
    * Wolff, Geoffrey「Britannica 3, History of」『The Atlantic』、1974年6月、37–47。
    * Cole, Dorothy Ethlyn「Britannica 3 as a Reference Tool: A Review」『』Wilson Library Bulletin、1974年6月、821–825。「ブリタニカ3は使いづらい…(中略)…マイクロペディアとマクロペディアに内容が分割されたので大抵の場合、他の巻も調べなければいけないんだ。本当なんだ。簡単な調べ物でも8巻か9巻必要だったよ。」
    * Davi s, Robert Gorham「Subject: The Universe」『The New York Times Book Review』、1974年12月1日、98–100。
    * Hazo, Robert G.「The Guest Word」『ニューヨーク・タイムズ ブック・レビュー』、1975年3月9日、31面。
    * McCracken, Samuel「The Scandal of 'Britannica 3'」『』Commentary、1976年2月、63–68。「これはノベルティとして以外には全くお勧めできない代物だ。」
    * Waite, Dennis V.「Encyclopædia Britannica: EB 3, Two Years Later」『Publishers Weekly』、1976年6月21日、44–45。
    * Wolff, Geoffrey「Britannica 3, Failures of」『The Atlantic』、1976年11月、107–110。「マイクロペディアと呼ばれるもの、それがもたらすのはわずかな知識だ。案内役としては奇妙な上に不十分で、マクロペディアの良さを薄めたものが、これの本質だということは明らかである。」
  19. ^ Pepitone, Julianne「Encyclopedia Britannica to stop printing books」『』CNN、2012年3月13日。2012年3月14日閲覧。
  20. ^ The Britannica online store アーカイブされたコピー”. 2014年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月5日閲覧。
  21. ^ ブリタニカ百科事典第11版. Encyclopædia Britannica, Inc. 1910. p. 3. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)
  22. ^ a b ブリタニカ百科事典第14版. Encyclopædia Britannica, Inc. 1954. p. 3. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)
  23. ^ ブリタニカ百科事典第15版プロペディア. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007. p. 3. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)
  24. ^ Propædia: Outline of Knowledge and Guide to the Britannica (ブリタニカ百科事典第15版プロペディア ed.). Encyclopædia Britannica, Inc. 2010.
  25. ^ a b c d e f g h i j k l Sader, Marian、Lewis, Amy『Encyclopedias, Atlases, and Dictionaries』R. R. Bowker (A Reed Reference Publishing Company)、New Providence, New Jersey、1995年。ISBN 0-8352-3669-2 
  26. ^ a b c d e reviews by the Editorial Board of Reference Books Bulletin ; revised introduction by Sandy Whiteley.『Purchasing an Encyclopedia: 12 Points to Consider』(5th)Booklist Publications, American Library Association、1996年。ISBN 0-8389-7823-1 
  27. ^ Arner, Robert D.『Dobson's Encyclopaedia: The Publisher, Text, and Publication of America's First Britannica, 1789–1803』University of Pennsylvania Press、Philadelphia、1991年。ISBN 0-8122-3092-2 
  28. ^ Books: Patriarch Revised - TIME” (Monday, Sept. 23, 1929). 2013年12月31日閲覧。
  29. ^ 「A Completely New Encyclopaedia (ママ) Britannica」『タイム』XIV、1929年9月16日、2–3。
  30. ^ a b 『Banquet at Guildhall in the City of London, Tuesday 15 October 1968: Celebrating the 200th Anniversary of the Encyclopædia Britannica and the 25th Anniversary of the Honorable William Benton as its Chair and Publisher』Encyclopædia Britannica International, Ltd.、United Kingdom、1968年。 
  31. ^ a b Thomas, Gillian『A Position to Command Respect: Women and the Eleventh Britannica』Scarecrow Press、1992年。ISBN 0-8108-2567-8 
  32. ^ 「Reader」『The New Yorker』第9巻、1934年3月3日、17面。
  33. ^ 2004 Distinguished Achievement Awards Winners: Technology”. 全米教育出版協会 (2003年8月1日). 2006年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年4月11日閲覧。
  34. ^ Top Ten Superbrands 2009–2010」『』BBC、2009年7月14日。2009年7月15日閲覧。
  35. ^ Lang, Jovian『Reference Sources for Small and Medium-Sized Libraries』(5th)American Library Association、Chicago、1992年、34頁。ISBN 0-8389-3406-4 
  36. ^ ブリタニカ百科事典第15版マクロペディア. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)
  37. ^ a b Prescott, Peter S.「The Fifteenth Britannica」『Newsweek』1974年7月8日、71–72頁。 
  38. ^ a b reviews by the Editorial Board of Reference Books Bulletin ; revised introduction by Sandy Whiteley.『Purchasing an Encyclopedia: 12 Points to Consider』(4th)Booklist Publications, アメリカ図書館協会、1992年。ISBN 0-8389-5754-4 
  39. ^ Encyclopædia Britannica Board of Editors”. Encyclopædia Britannica. 2012年8月16日閲覧。
  40. ^ Ramaswamy, Nicolas and Banerjee『Invading the Sacred: An Analysis of Hinduism Studies in America』Rupa & Co、2007年。ISBN 978-8129111821 
  41. ^ The University of Chicago Magazine: December 2004”. 2013年12月31日閲覧。
  42. ^ Kister, KF『Kister's Best Encyclopedias: A Comparative Guide to General and Specialized Encyclopedias』(2nd)Oryx Press、Phoenix, Arizona、1994年。ISBN 0-89774-744-5。"最初の第15版(1974年)は3,200万ドルの経費がかかった。"。 
  43. ^ Einbinder, Harvey『The Myth of the Britannica』Grove Press、New York、1964年。ISBN 978-0-384-14050-9 
  44. ^ Cunningham, Grainne「Britannica errors spark unholy row」『Irish Independent』、2010年2月3日。2020年4月10日閲覧。
  45. ^ Sheehy, Clodagh (4 February 2010). "Are they taking the Mick? It's the encyclopedia that thinks the Civil War was between the north and south"[リンク切れ]. Evening Herald (Dublin).
  46. ^ 『Supplement to the Encyclopædia or Dictionary of Arts, Sciences and Miscellaneous Literature』1803年、iv頁。 
  47. ^ a b Fatally Flawed – Refuting the recent study on encyclopedic accuracy by the journal Nature” (PDF). Encyclopædia Britannica, Inc (2006年3月). 2011年6月30日閲覧。
  48. ^ a b "序文". ブリタニカ百科事典第15版総合索引. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007.
  49. ^ "Defense mechanism". ブリタニカ百科事典第15版. Vol. 3. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007. p. 957.
  50. ^ Encyclopædia Britannica School & Library Site” (2012年3月14日). 2013年12月28日閲覧。
  51. ^ Australian Encyclopædia Britannica, promotional materials for the 2007 Britannica”. 2007年4月10日閲覧。
  52. ^ "序文". ブリタニカ百科事典第15版マイクロペディア. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007.
  53. ^ Change: It’s Okay. Really.”. 2013年12月28日閲覧。
  54. ^ Encyclopaedia Britannica to end print editions」『』Fox News(Associated Press)、2012年3月14日。
  55. ^ Bosman, Julie「After 244 Years, Encyclopaedia Britannica Stops the Presses」『ニューヨーク・タイムズ』、2012年3月13日。
  56. ^ Britannica Junior Encyclopædia, 1984
  57. ^ Children's Britannica. 1960. Encyclopædia Britannica Ltd. London.
  58. ^ a b Encyclopædia Britannica, 1988
  59. ^ Britannica Discovery Library (issued 1974–1991)”. Encyclopædia Britannica (UK) Ltd.. 2007年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年4月11日閲覧。
  60. ^ ブリタニカ・オンラインストア > 百科事典 > Britannica Concise Encyclopedia” (2013年12月19日). 2013年12月28日閲覧。
  61. ^ Encyclopædia Britannica School & Library Site” (2012年3月14日). 2013年12月28日閲覧。
  62. ^ Britannica 2012 Ultimate Reference DVD”. Encyclopædia Britannica. 2013年11月15日閲覧。
  63. ^ Home page”. Encyclopædia Britannica. 2008年9月28日閲覧。
  64. ^ a b Graham Charlton (2009年2月10日). “Q&A: Ian Grant of Encyclopædia Britannica UK [interview]”. Econsultancy. 2009年2月10日閲覧。
  65. ^ Britannica Online Store—BT Click&Buy”. Encyclopædia Britannica. 2006年8月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年9月27日閲覧。
  66. ^ Encyclopædia Britannica, Inc. Corporate Site” (2012年3月14日). 2013年12月29日閲覧。
  67. ^ Encyclopaedia Britannica Selects AskMeNow to Launch Mobile Encyclopedia”. 2013年12月31日閲覧。
  68. ^ Collaboration and the Voices of Experts Jorge Cauz, 3 June 2008
  69. ^ Van Buskirk, Eliot「Encyclopædia Britannica To Follow Modified Wikipedia Model | Wired.com」『Wired』、2008年6月9日。2011年6月30日閲覧。
  70. ^ Staff writer. "Encyclopædia Britannica dips toe in Wiki waters". PC Pro, 9 June 2008.
  71. ^ Encyclopædia Britannica, Inc. Corporate Site”. Encyclopædia Britannica. 2011年6月30日閲覧。
  72. ^ Britannica looking to give Wikipedia a run for its money with online editing”. Tgdaily.com (2009年1月23日). 2009年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年6月30日閲覧。
  73. ^ Britannica 2.0 shows Wikipedia how it's done. The Times. 22 January 2009
  74. ^ "Encyclopædia Britannica fights back against Wikipedia." The Daily Telegraph. 22 January 2009
  75. ^ Encyclopædia Britannica takes on Wikipedia”. DigitalJournal.com (2009年1月25日). 2011年6月30日閲覧。
  76. ^ "Britannica reaches out to the web". BBC. 24 January 2009
  77. ^ New Britannica Kids Apps Make Learning Fun』(プレスリリース)Encyclopædia_Britannica, Inc.、2010年9月14日http://www.prnewswire.com/news-releases/new-britannica-kids-apps-make-learning-fun-102854844.html2010年11月28日閲覧 
  78. ^ Encyclopedia Britannica App | Work | Mobile, Web and Enterprise | Design and Development | Concentric Sky”. 2013年12月29日閲覧。
  79. ^ Encyclopædia Britannica to supply world-leading educational apps to Intel AppUp℠ center』(プレスリリース)Encyclopædia_Britannica, Inc.、2011年7月20日。 オリジナルの2011年9月30日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20110930221244/http://www.britannica.co.uk/press/2011-07-20.asp2011年7月20日閲覧 
  80. ^ a b ブリタニカ百科事典第15版プロペディア. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007. pp. 531–674. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)
  81. ^ Burr, George L.「The Encyclopædia Britannica: A Dictionary of Arts, Sciences, Literature and General Information」『American Historical Review』第17巻第1号、American Historical Association、1911年、103–109頁、doi:10.2307/1832843JSTOR 1832843 
  82. ^ a b ブリタニカ百科事典第15版プロペディア. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007. p. 745. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)
  83. ^ "Franklin Henry Hooper – obituary". Time. 26 August 1940
  84. ^ Robert McHenry (American author and editor) -- Encyclopedia Britannica”. 2013年12月31日閲覧。
  85. ^ "Biochemical Components of Organisms". ブリタニカ百科事典第15版. Vol. 14巻. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007. pp. 1007–1030.
  86. ^ ブリタニカ百科事典第15版プロペディア. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)
  87. ^ ブリタニカ百科事典第15版プロペディア. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007. p. 5. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)
  88. ^ Encyclopædia Britannica Board of Editors”. Encyclopædia Britannica. 2011年6月30日閲覧。
  89. ^ ブリタニカ百科事典第15版プロペディア. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007. pp. 524–530. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)
  90. ^ ブリタニカ百科事典第15版プロペディア. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007. pp. 675–744. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)
  91. ^ Britannica sold by Benton Foundation」『』University of Chicago Chronicle、1996年1月4日。
  92. ^ Encyclopædia Britannica Announces Appointment Of Don Yannias As Chief Executive Officer』(プレスリリース)Encyclopædia Britannica, Inc.、1997年3月4日。 オリジナルの2007年7月9日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20070709103523/http://corporate.britannica.com/press/releases/yannias.html2012年3月15日閲覧 
  93. ^ ブリタニカ百科事典第15版プロペディア. Encyclopædia Britannica, Inc. 2007. p. 2. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)
  94. ^ WIPO Arbitration and Mediation Center, Case No. D2002-0487, Encyclopædia Britannica, Inc. v. null John Zuccarini, Country Walk”. World Intellectual Property Organization (2002年8月12日). 2007年3月29日閲覧。
  95. ^ WIPO Arbitration and Mediation Center, Case No. D2005-0865, Encyclopædia Britannica, Inc. v. Michele Dinoia/SZK.com”. World Intellectual Property Organization (2005年10月10日). 2007年3月29日閲覧。
  96. ^ Lawrence S., Giles C.「Accessibility of information on the web」『Nature』第400巻第6740号、1999年、107–9頁、Bibcode1999Natur.400..107Ldoi:10.1038/21987PMID 10428673 
  97. ^ Lawrence S., Giles C.「Searching the Web: general and scientific information access」『Communications Magazine, IEEE』第37巻第1号、1999年、116–122頁、doi:10.1109/35.739314 
  98. ^ C&EN 5/18/98: ELECTRONIC PUBLISHING TAKES JOURNALS INTO A NEW REALM”. 2013年12月31日閲覧。
  99. ^ a b Seymour, Ursula (2006年11月9日). “Encyclopedia face-off: Encarta vs Britannica”. PC Advisor. IDG. 2006年11月21日閲覧。
  100. ^ a b Amazon.com: Encyclopedia Britannica Ultimate Reference Suite 2007 DVD-Rom (Win/Mac): Software”. 2013年12月31日閲覧。
  101. ^ a b Amazon.com: Microsoft Encarta Premium 2007: Software”. 2006年11月21日閲覧。
  102. ^ Encarta's Encyclopedia Article Center”. 2009年10月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年4月11日閲覧。
  103. ^ a b Giles, J.「Internet encyclopaedias go head to head」『Nature』第438巻第7070号、2005年、900–1頁、Bibcode2005Natur.438..900Gdoi:10.1038/438900aPMID 16355180 
  104. ^ The Faith-Based Encyclopedia - TCS Daily” (2012年3月8日). 2013年12月31日閲覧。
  105. ^ Terdiman, Daniel. “Study: Wikipedia as accurate as Britannica”. Staff Writer, CNET News. CNET News. 2011年7月5日閲覧。
  106. ^ Encyclopædia Britannica: a response」(PDF)『Nature』2006年3月23日http://www.nature.com/press_releases/Britannica_response.pdf2006年10月21日閲覧 
  107. ^ The Early Britannica( Oxford University Press、2009年、Frank KafkerおよびJeff Loveland編集)の58ページにアーチボルド・コンスタブルが書いている。コンスタブルは1812年には3,500部が印刷されたとしていたが、1821年に3,000部と改めた。
  108. ^ ロバート・カーの Memoirs of William Smellie の中でスメリは10,000だと語っている。アーチボルド・コンスタブルは5,000部から始まって最終的には13,000部だったと語っている。これらの情報はブリタニカ第14版の第8巻 Encyclopedia 記事の374ページに記載されている。
  109. ^ ブリタニカ第9版第8巻 Encyclopedia 記事中に言及あり。
  110. ^ ブリタニカ第14版の第8巻 Encyclopedia 記事の376ページには、ブリタニカ社は10,000部売り、加えてScribner's Sonsが45,000部の公認されたアメリカ版を販売した。そして「何十万部もの台無しにされた贋物の第9版が売られた…」、多くの情報源では非公認版は500,000部とする、とある。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ブリタニカ百科事典」の関連用語

ブリタニカ百科事典のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ブリタニカ百科事典のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのブリタニカ百科事典 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS