ヒットパレード'90s ネット局

ヒットパレード'90s

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/29 05:57 UTC 版)

ネット局

系列は放送終了時(1991年10月)のもの。

放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 フジテレビ フジテレビ系列 制作局
北海道 北海道文化放送
岩手県 岩手めんこいテレビ 1991年4月開局から
宮城県 仙台放送
秋田県 秋田テレビ
山形県 山形テレビ [3]
福島県 福島テレビ
新潟県 新潟総合テレビ
長野県 長野放送
静岡県 テレビ静岡
富山県 富山テレビ
石川県 石川テレビ
福井県 福井テレビ
中京広域圏 東海テレビ
近畿広域圏 関西テレビ
島根県
鳥取県
山陰中央テレビ
広島県 テレビ新広島 [4]
岡山県
香川県
岡山放送
愛媛県 テレビ愛媛
福岡県 テレビ西日本
佐賀県 サガテレビ
長崎県 テレビ長崎
熊本県 テレビくまもと
沖縄県 沖縄テレビ

クロスネットテレビ大分テレビ宮崎鹿児島テレビは、当該時間帯で日本テレビ系列の『NNNきょうの出来事』を放送していた関係で一度も放送されなかった。

備考

  • フジテレビ音楽番組にて3人で司会を務めた例はこの番組の前期のほかにもいくつかある。まず一つは『夜のヒットスタジオ』で1974年4月から1975年3月までの1年間は芳村真理三波伸介朝丘雪路のトリオ体制で番組進行が行われた。ただし、朝丘については、1974年7月以降は舞台の長期公演の仕事を優先した関係で出演が不定期となってしまい[5]、最終的には1975年3月いっぱいで完全降板、男女1ペアの司会体制に戻された。また、本番組の後番組として放送された『G-STAGE』→『SOUND ARENA』では徳光和夫堺正章田代まさし。男性3人のトリオは当時では珍しかった。そして『MJ -MUSIC JOURNAL-』(1992年10月 - 1994年3月)では古舘伊知郎加山雄三田中律子のトリオだった。
  • 1980年代以降のフジテレビ系の音楽番組中、この番組においては唯一1回も放送時間拡大によるスペシャル版が放送されなかった。
  • 1992年1月10日放送の『G-STAGE』総集編の回で、本番組の歌部分(プリンセス・プリンセス、中森明菜、忌野清志郎など)のVTRが数曲ほど使用された。



  1. ^ 1991年7月3日に放送された『島原救済緊急特別番組夜のヒットスタジオスペシャル』出演時もこの曲を歌ったため、和服姿での出演だった。
  2. ^ 本来なら労働基準法により18歳未満の深夜労働は禁じられている。そのため特別許可を得て生出演したのか、あるいは観月の出演箇所だけ放送前に撮って出しをしたのかなど詳細は不明である。
  3. ^ 放送当時はフジテレビ系列で、その後1993年4月からテレビ朝日系列
  4. ^ 当初はモノラル放送だったが、1991年7月からステレオ放送となっている。
  5. ^ 芳村・三波・朝丘トリオでの初回となるはずだった同年4月1日放送分も、自身の体調不良を理由に休演した(ただし、当日の『ヒットスタジオ』冒頭で電話出演)


「ヒットパレード'90s」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヒットパレード'90s」の関連用語

ヒットパレード'90sのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヒットパレード'90sのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヒットパレード'90s (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS