街 路
街路
街路
街路
街路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 04:20 UTC 版)
デンバー市郡内の街路のほとんどは東西方向、ないし南北方向に通り、碁盤の目のように整然と区画されている。東西に通る通りは「アベニュー」と呼ばれ、ダウンタウンの東端を通るブロードウェイを境に東(E)と西(W)に分かれている。一方、南北に通る通りはブロードウェイを例外として「ストリート」と呼ばれ、ダウンタウンからかなり南を通るエルスワース・アベニューを境に南(S)と北(N)に分かれている。番地はこの2本の通り上が0であり、1ブロック離れるごとに100増す。例えば、ダウンタウンの南端を通るコルファックス・アベニュー(国道40号線)は、エルスワース・アベニューの15ブロック北を通っており、番地は1500となる。エルスワース・アベニュー以北を東西に通る通りには、コルファックス・アベニューやマーティン・ルーサー・キング・ジュニア・ブールバードなどいくつかの例外を除いて、数字がついており、北へ行くほど数字が大きくなる。一方、エルスワース・アベニュー以南を東西に通る通りには名前がついている。南北に通る通りには、すべて名前がついている。このほか、この規則には従わず、あらゆる方角へと通る、名前のついた幅の広い通りもいくつかあり、「ブールバード」と呼ばれている。 しかし、ダウンタウンとその周辺においては、整然と区画されてこそいるものの、市郡内の他の地域とは異なり、多くの通りは北西-南東方向、もしくは北東-南西方向へと通っており(つまり、碁盤の目状はそのままに45度回転させたようになっている)、また全て「ストリート」と呼ばれている。これは、ダウンタウンにおいては、市郡内の他の地域に先駆けて、サウスプラット川と平行、もしくは垂直になるように通りを造った結果であったのだが、計画外のメリットとして、除雪にも効果的であった。これは、東西および南北に通る通りを組み合わせた通常の街路区画では、一日中南北に通る通りのみに日が当たるのに対し、北西-南東と北東-南西の通りの組み合わせであれば、午前中は北西-南東の通りに日が当たり、午後は北東-南西の通りに日が当たる、つまりいずれの通りにも平等に日が当たることになるからである。これを思いついたのは、ブラウン・パレス・ホテルの創業者ヘンリー・ブラウンであった。今日では、ブラウン・パレス・ホテルの向かいに、ブラウンのこの着想を讃える碑が立てられている。ダウンタウンとその周辺においては、北西-南東に通る通りには数字がついており(ただし、こちらは「ストリート」であり、市郡内の他地域で数字がついているのは「アベニュー」であるため、重複することはない)、北東-南西に通る通りには名前がついている。数字のついたストリートはI-25とコルファックス・アベニューのジャンクションを南西端として始まっており、北東へ行くほど数字が大きくなる。ダウンタウンの目抜き通りはトランジットモールとなっている16thストリートで、ブロードウェイからユニオン駅までの沿道には300以上の店舗、および50以上の飲食店が建ち並ぶ。
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街路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 07:42 UTC 版)
新京の街路は、放射状、環状、方形式の街路を巧みに組み合わせたもので、大同広場や駅を基準に放射状道路を設け、それを囲むように環状道路を配した。また、大同大街、順天大街などのメインストリート沿いは二線直角を原則とした方形式の街路を配した。 また、街路方向の一般観念を示すため、南北方向を「街」、東西方向を「路」とし、幅員38m以上のものはそれぞれ「大街」「大路」と称した。また、補助道路は最寄りの街路を採って「胡同」と称した。なお、斜路については、北東 - 南西方向を「街」、北西 - 南東方向を「路」としている。 新京の都市計画では、街路を幹線、支線、補助線の3つに区分し、幹線は24 - 80m、支線は10 - 18m、補助線はそれ以下の幅員(最低幅員4m)とした。幹線、支線はすべて車道と歩道に分けられ、幹線道路の車道は、中央を自動車・バス等の高速度車用、その両側を馬車・人力車等の緩速車用に分離し、さらにその両端を安全な歩道とした。各道の間には街路樹が植えられて区切られている。 幅員60mの幹線の場合、中央部に幅16mの遊歩道が設けられ、その両外側に幅12m(3車線)の道路が併設され、更に両端に幅10mの歩道が設置されていた。また遊歩道と歩道は街路樹による緑地帯で車道と区切られていた。幅員45mの幹線の場合、幅16m(上下4車線)の中央高速車道の左右に、それぞれ幅2.5mの樹林帯、幅6mの緩速度車道、幅6mの歩道が設けられた。幅員26mの幹線の場合、幅18mの車線の両側に幅4mの歩道が設けられた。 幅員10m以上の道路は総て舗装され、交通の頻繁な主要道路は瀝青舗装(アスファルト及びタールマカダム舗装)、荷馬車専用道路は荷重に耐えられるよう小舗石又は硬質煉瓦舗装、歩道の主要部分はコンクリート板石張りとされた。幅員14m以上の街路は必ず街路樹で両側を飾り、同時に美観を保つために電信、電話、電灯用の電柱や架空線その他の一切の路上施設を禁じて地下配管とし、宅地の背後にある裏通り(背割道路)に電気・電話の架設線、上下水道管・ガス管を設置した(電線類地中化)。なお、市街地建設中の箇所については暫定的に架空線の設置を許可している。 これらの道路建設には、当時の日本でも珍しかったブルドーザー、モーターグレーダー、ロードローラー、牽引式スクレイパー等の建設機械が投入されている。
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街路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 22:05 UTC 版)
けやき通りは、糞の項にもあるとおり、ムクドリの糞害がフジテレビでも取り上げられている。
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街路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 22:18 UTC 版)
平安京以来、現在も用いられる「東西通+南北通」(例:四条烏丸)という地点の表記の方法にならい、町小路が東西の通りと交差する地点は、「○○+町」と呼ばれた。 二条町 - 米商人が多く、1330年、後醍醐天皇が安価に米を拠出させた。 三条町 六角町 錦小路町 四条町 - 毘沙門堂(延暦寺末寺)の子院・常不動院あり。 五条町前後八町 - 高辻小路・五条大路・西洞院大路・室町小路に囲まれた地域。当時の繁華街であり、延暦寺が地主。 七条町 - 平安時代後期には手工業者が集住していた。
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街路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 15:14 UTC 版)
詳細は「:en:Street names of Mayfair」を参照 バークリー・スクエア ボンド・ストリート ブルック・ストリート ブルートン・ストリート - エリザベス2世(現英女王)は、メイフェアのブルートン・ストリート (Bruton Street) 17番地にある母方祖父の邸宅で生まれた。 グローヴナー・スクエア ハノーヴァー・スクエア ハイド・パーク・コーナー - ハイド・パーク南東の交差点 マーブル・アーチ - 北西の交差点 オクスフォード・ストリート - 北の境界 パーク・レーン - 西の境界 ピカデリー - 南の境界 ピカデリーサーカス - メイフェア南東の広場 リージェント・ストリート - 東の境界 サヴィル・ロウ - リージェント・ストリートと並走している背広の語源("背広街")となった通り シェファード・マーケット
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街路
「街路」の例文・使い方・用例・文例
- クリスマスの季節にイルミネーションを施された街路
- 王室のご成婚を祝って人々は街路を旗で飾った
- 街路は毎晩水で洗われた
- その街路はクリスマスの間イルミネーションできれいに飾られる
- 街路の安全地帯
- 彼らは迷路のような街路で道に迷った
- 雨にぬれた街路
- 彼女は交通規則や信号を無視して街路を横切っていて車にはねられた。
- 迷路のような街路で迷う
- その駅前の街路樹が伐採されている事が気になった。
- 北海道の街路はとても広い。
- 彼らは街路の雪を取り払った。
- 彼はその人を街路を通って駅まで行きました。
- 男はトムを見てから、楽屋口を通って、暗いロンドンの街路へと消えていった。
- 私達は駅を出て、サムの知っている小さなホテルに着くまで街路を歩いた。
- 洪水で水浸しになった街路と家々。
- 街路樹のある通りの向こうに海が見えた。
- 街路はよく設計されている。
- 街路には誰の姿も見られなかった。
- 枯葉が街路に散らばっていた.
街路と同じ種類の言葉
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