運用終了とその後
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「東急デハ3450形電車」の記事における「運用終了とその後」の解説
登場から50周年を迎えた1981年から廃車が開始され、1989年3月18日、デハ3500形・3650形とともに旅客営業の第一線から一斉に退いた。とくにデハ3472は3600形全廃後も同形用の更新車体を持つ唯一の先頭車となっていた。運用終了を記念し、前年秋より最後に重要部検査入場した3編成(3452F、3472F、3484F)を対象に、塗装をライトグリーン一色から黄色と紺色のツートンカラーに戻して運用した。いわゆるリバイバルカラーであるが、厳密には特に窓周りの黄色は赤みが不足しているなど、色調は若干異なるという意見もある。塗装のみならず、腰板部のT.K.K.標記(切り抜き文字ではなく塗装表現)や前面の方向板掛けなども復元されている。ただし方向板掛けは、実際の営業運転で活用されることはなかった。このほか廃車の過程で、サハ3360に台車を転用して同形式の雑形台車を一掃した。 運用終了後も3472Fのみは池上線に予備車として1989年8月まで在籍していた。また、地方私鉄等へ営業車として譲渡されることはなかったものの、次のように保存、利用された例がある。 デハ3450モハ510登場当時の状態に復元、高津駅高架下(現在は宮崎台へ移転)の電車とバスの博物館へ保存。当初は高津駅前のデハ204が保存されていた場所に置かれていた(デハ204は3号館に移設)。 デハ3456車体切断のうえ、電車とバスの博物館へ保存。前部が末期の状態のまま駆動装置の構造理解の教材となり、後部はモハ517へと復元され運転シミュレーターとなっていた。特に後者は実際に自動空気ブレーキの操作が体感できるという点で極めて珍しいものであった。同車は客用扉が小窓のものに交換されていたが、保存時に大窓のものに戻された。またモハ517は開館当初はシミュレーター装置がなく、8090系のカットモデルと背中合わせに置かれていたが、高津時代のリニューアル時にシミュレーター化されていた。なお、後部シミュレーターについては2016年の博物館リニューアルオープン時に撤去されている。 デハ3455・3469千葉県の自閉症・知的障害者援護施設“いすみ学園”で保存、利用。デハ3455は休憩室および入所者の自立支援プログラムのひとつとして、電車の乗車方法についての訓練に用いられている。デハ3469は倉庫となっていた模様であるが、現存しない。 デハ3464VVVFインバータ制御等の試験車となっていたデハ3552の伴車として、日立製作所へ譲渡。デハ3552走行不能時等の牽引用として使用された。後年は試作のシングルアーム式パンタグラフを搭載していた。少なくとも車両の形では現存しない。 デハ34661985年に第1回東京国際映画祭が開催された際、サハ3372と共に当時のニューヨーク地下鉄ばりのグラフィティが施され、渋谷東急本店駐車場に展示(店舗として使用されたともいわれる)された後、そのまま国土計画(現・プリンスホテル)の手に渡って長野県北佐久郡軽井沢町に移送されていたが、ほどなく解体処分されている。 デハ3460・3480東急車輛製造へ。牽引車等としての使用実績はなく譲渡理由不明。ほどなく解体処分された模様。 デハ3499構内入替と新車搬出時の牽引車として、デヤ3001とともに東急車輛製造へ配備された。後継として7000系導入後は使用停止となり、2010年8月まで同社横浜製作所敷地内で保管されていたが、外部に搬出された。現在は群馬県前橋市富士見町赤城高原で保存されており、デハ3499号車保存会の下、公開展示に向けて活動中。2020年(令和2年)には、アルピコ交通上高地線新村駅で保存されていた5000形5005-5006編成が同所に移設され、デハ3499と隣合わせの状態で設置されている。 デワ3043(旧デハ3498)小荷物輸送廃止後、除籍のうえ長津田車両工場入換機械として使用されていた。当初は前面の黄帯から“荷物”標記を抹消したのみの姿で、後年は山側中扉が幅2,200mm(客用扉2枚分)に拡幅され、レモンイエローにブルーのツートンカラーとなっていた。アント入換機導入に伴いデキ3021・ED301とともに使用停止となり、2009年6月末に解体された。 詳細はデワ3040形の項を参照のこと。 2020年3月現在、電車とバスの博物館のモハ510(デハ3450)・デハ3456カットボディのほか、いすみ学園のデハ3455、デハ3499保存会のデハ3499の現存が確認されている。 このほか富士急が上田交通モハ4257を引き取り富士山麓鉄道モ1として復元した際、3458の台車が転用されたとされている。
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運用終了とその後
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「ISEE-3/ICE」の記事における「運用終了とその後」の解説
ICEは1997年5月5日に運用を終了した。最終的な軌道は、近日点距離0.93 AU、遠日点距離1.03 AU、軌道傾斜角0.1°、公転周期355日の太陽中心軌道だった(軌道要素は1990年)。2014年8月に地球に再接近する。 NASAが2008年9月18日にディープスペースネットワークを使用してICEの状態を確認したところ、13個のうち12個の観測機器が機能する状態(1999年の衛星データから判明)であり、推進剤も150m/secの速度増分を与えられる量が残っていることが分かった。その後の確認により、1999年にディープスペースネットワークから旧式化した送信機器が撤去されたため、ICEへのコマンドはもはや送信できなくなっていることが確認された。新たな対応機器を作るにはNASAには予算がないとのことであった。
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