運用終了とその後とは? わかりやすく解説

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運用終了とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 03:00 UTC 版)

東急デハ3450形電車」の記事における「運用終了とその後」の解説

登場から50周年迎えた1981年から廃車開始され1989年3月18日デハ3500形・3650形とともに旅客営業第一線から一斉に退いた。とくにデハ3472は3600形全廃後も同形用の更新車体を持つ唯一の先頭車となっていた。運用終了記念し前年秋より最後に要部検査入場した3編成(3452F、3472F、3484F)を対象に、塗装ライトグリーン一色から黄色紺色ツートンカラー戻して運用したいわゆるリバイバルカラーであるが、厳密には特に窓周り黄色赤み不足しているなど、色調若干異なるという意見もある。塗装のみならず腰板部のT.K.K.標記切り抜き文字ではなく塗装表現)や前面方向板掛けなども復元されている。ただし方向板掛けは、実際営業運転活用されることはなかった。このほか廃車過程で、サハ3360台車転用して同形式の雑形台車一掃した運用終了後も3472Fのみは池上線予備車として1989年8月まで在籍していた。また、地方私鉄等へ営業車として譲渡されることはなかったものの、次のように保存利用された例がある。 デハ3450モハ510登場当時の状態に復元高津駅高架下(現在は宮崎台移転)の電車とバスの博物館保存当初高津駅前のデハ204保存されていた場所に置かれていた(デハ2043号館移設)。 デハ3456車体切断のうえ、電車とバスの博物館保存前部末期の状態のまま駆動装置構造理解教材となり、後部モハ517へと復元され運転シミュレーターとなっていた。特に後者実際に自動空気ブレーキ操作体感できるという点で極めて珍しいものであった同車客用扉が小窓のものに交換されていたが、保存時に大窓のものに戻された。またモハ517開館当初シミュレーター装置がなく、8090系のカットモデル背中合わせ置かれていたが、高津時代リニューアル時にシミュレーター化されていた。なお、後部シミュレーターについては2016年博物館リニューアルオープン時に撤去されている。 デハ3455・3469千葉県自閉症知的障害者援護施設“いすみ学園”で保存利用デハ3455は休憩室および入所者の自立支援プログラムひとつとして電車乗車方法についての訓練用いられている。デハ3469は倉庫となっていた模様であるが、現存しない。 デハ3464VVVFインバータ制御等の試験車となっていたデハ3552の伴車として、日立製作所譲渡デハ3552走行不能時等の牽引用として使用された。後年試作のシングルアーム式パンタグラフ搭載していた。少なくとも車両の形では現存しない。 デハ34661985年に第1回東京国際映画祭開催された際、サハ3372と共に当時ニューヨーク地下鉄ばりのグラフィティ施され渋谷東急本店駐車場展示店舗として使用されたともいわれる)された後、そのまま国土計画(現・プリンスホテルの手渡って長野県北佐久郡軽井沢町移送されていたが、ほどなく解体処分されている。 デハ3460・3480東急車輛製造へ。牽引車としての使用実績はなく譲渡理由不明ほどなく解体処分され模様デハ3499構内入替と新車搬出時の牽引車として、デヤ3001とともに東急車輛製造配備された。後継として7000系導入後使用停止となり、2010年8月まで同社横浜製作所敷地内保管されていたが、外部搬出された。現在は群馬県前橋市富士見町赤城高原保存されており、デハ3499号車保存会の下、公開展示向けて活動中2020年令和2年)には、アルピコ交通上高地線新村駅保存されていた5000形5005-5006編成同所移設され、デハ3499と隣合わせの状態で設置されている。 デワ3043(旧デハ3498)小荷物輸送廃止後、除籍のうえ長津田車両工場入換機械として使用されていた。当初前面の黄帯から“荷物標記抹消したのみの姿で、後年山側中扉が幅2,200mm(客用2枚分)に拡幅され、レモンイエローブルーツートンカラーとなっていた。アント入換機導入に伴いデキ3021・ED301とともに使用停止となり、2009年6月末に解体された。 詳細デワ3040形の項を参照のこと。 2020年3月現在、電車とバスの博物館モハ510デハ3450)・デハ3456カットボディのほか、いすみ学園デハ3455、デハ3499保存会デハ3499の現存確認されている。 このほか富士急上田交通モハ4257を引き取り富士山麓鉄道モ1として復元した際、3458の台車転用されたとされている。

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運用終了とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 13:11 UTC 版)

ISEE-3/ICE」の記事における「運用終了とその後」の解説

ICE1997年5月5日運用終了した最終的な軌道は、近日点距離0.93 AU遠日点距離1.03 AU軌道傾斜角0.1°、公転周期355日の太陽中心軌道だった(軌道要素1990年)。2014年8月地球再接近する。 NASA2008年9月18日ディープスペースネットワーク使用してICEの状態を確認したところ、13個のうち12個の観測機器機能する状態(1999年衛星データから判明)であり、推進剤も150m/secの速度増分与えられる量が残っていることが分かったその後確認により、1999年ディープスペースネットワークから旧式化した送信機器が撤去されたため、ICEへのコマンドはもはや送信できなくなっていることが確認された。新たな対応機器作るにはNASAには予算がないとのこであった

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