デワ3040形
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「東急3000系電車 (初代)」の記事における「デワ3040形」の解説
かつての東急の小荷物輸送は、旅客車の転用や旅客電車の一部を荷物室に仕切ることでまかなわれていたが、じきに専用車が用意された。なお、記号が「デニ」ではなく「デワ」とされたのは、二軸の有蓋電動貨車デワ3000形が既に在籍しており、本車もこれと同様に登録上は有蓋電動貨車とされたことによる。この形式は3両存在したが、全て由来の異なる車両である。 運用は新玉川線を除く鉄道全線の大部分に及んだ。大岡山駅、田園調布駅には専用の荷物ホームが設置(以前は渋谷駅・菊名駅にも存在、なお渋谷には旧地上ホームに痕跡が残存していた)され、その他の駅では旅客ホームから荷扱いする光景が見られた。また中元、歳暮シーズン等には3041号と3042号が連結されて使用されることもあった。 デワ3041 - 戦災国電の転入と前後して入線した木造荷電の事故車モニ13012を改造の上使用した。ところがダブルルーフの屋根は東急の車両定規を突破しており、特認をもって使用された。主電動機はイギリスのメトロポリタン製MT12なる珍品であったが、他の電装部品は新品とされている。1964年、デハ1366の更新に伴い、この小田急タイプの旧車体を改造して鋼体化が図られた。改造内容は両運転台化と、中扉の拡張、客室設備の撤去、および一部の窓埋め等である。台車は後にTR14からTR22 (DT11) に、主電動機も142kWのHS269Crに交換され、単行使用が前提の車両にしては異例の高出力車となった。デワ3043の登場により置き換えられ、解体された。 デワ3042 - 1967年にデハ3204から改造された。田園都市線開業の頃には、旅客輸送量の増大から荷電検査時に旅客車による代走を行うことも困難になってきたこと、手小荷物取扱量が一時的に増加したことから荷物電車の増備が必要となっていた。種車の老朽化が激しいため、改造に際して外板が全面的に張り替えられ、ノーリベットになっている。当初は戦前以来のダークグリーン塗装であったが、1979年からライトグリーンに前面黄帯とされた。デワ3043に置き換えられた後、東急車輛製造の入換・動力車となったが、退役後は解体。 デワ3043 - 1981年にデハ3498から改造され、前者2両を置き換えた。この時点で既にトラック化の流れから荷物の取り扱い量は減少していたため、改造はドアエンジンおよび座席の撤去、窓保護棒の取付程度でほとんど原型を保っていた。本車検査時は両運転台のデハ3450号などが代車で使用された。ところが本車の改造と時期を同じくして、宅急便などの宅配サービスが急速な進展を見せたことから鉄道荷物輸送の存在意義が失われ、改造翌年に荷物列車の運行は廃止された。除籍後は老朽化著しかった長津田車両工場の入換車旧デハ3604の代替車となった。山側に両開きの大扉が設けられたうえで青と黄色のツートーンカラーとなり(2007年7月に著しく退色していた外板が塗り直された)、電動空気圧縮機も8000系で使用されていた大容量のもの(それまではC-1000型を吊っていた)が載せられるなどの変化もあったが、最後まで稼動状態の旧デハ3450形として極めて貴重な存在であった。アント入換機導入に伴いデキ3021・ED301とともに使用停止となり、2009年6月末に解体された。
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デワ3040形
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「東急電鉄の機関車・貨車」の記事における「デワ3040形」の解説
形式記号は「デワ」だが用途は有蓋貨車でなく荷物車である。延べ3両が1949年 - 1982年の間に使用されていた。 詳細は「東急3000系電車 (初代)#デワ3040形」を参照
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