荷物列車
荷物列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 03:45 UTC 版)
乗客の手荷物や小口荷物を扱う旅客列車の一種。荷物類は本質的には、貨物列車で運んでいる貨物と異なるものではないが、旅客の手荷物は旅客と一緒に輸送する必要があり、また小荷物類は速達の必要があることから、旅客列車に連結した荷物車で運ぶことになり、旅客輸送の一部であるとされてきた。しかし手小荷物の取扱量が増えると、その積み下ろしのために旅客列車を長時間停車させることはサービス上問題であり、輸送効率の点からも荷物車だけを集約した荷物列車を運行することになって、さらに貨物列車との差異は小さくなった。なお郵便車による郵便物輸送も同様の理由で旅客輸送の一部であるとされる。
※この「荷物列車」の解説は、「列車」の解説の一部です。
「荷物列車」を含む「列車」の記事については、「列車」の概要を参照ください。
荷物列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:57 UTC 版)
国鉄時代には、旅客列車・貨物列車のほかに荷物列車も運転されていた。旅客列車の下り大阪・神戸側に荷物車を連結することがあったほか、機関車牽引の荷物専用列車も運転された。これらは民営化直前の1986年11月にすべて廃止されている。廃止直前の時点では、汐留駅と九州とを結ぶ急行荷物列車が1日5往復、岐阜駅と東北本線青森駅とを結ぶ急行荷物列車が1日1往復、貨物列車と同様の経路で運転されていた。
※この「荷物列車」の解説は、「東海道本線」の解説の一部です。
「荷物列車」を含む「東海道本線」の記事については、「東海道本線」の概要を参照ください。
荷物列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:15 UTC 版)
道路事情の悪い千葉駅以東・以南の沿線への夕刊新聞輸送のための荷物列車。列車は、非電化時代は蒸気機関車牽引の荷物客車や貨車であったが、気動車化後はキユニ11・キユニ19が使用され、房総西線(現・内房線)が部分電化された後はクモハユ74形・クモユニ74形100番台を使用、その後に長岡運転所(現・長岡車両センター)から転属したクモユニ143を使用、気動車は千葉気動車区から、電車は幕張電車区(現・幕張車両センター)からそれぞれ津田沼駅方面に単独で出区、両国駅まで回送後新聞を積み込み、折り返して両国駅 - 千葉駅間は荷物列車扱いで千葉駅まで運行、到着後各方面行きの列車に併結されて分かれていく、特異な列車であった。 運用は、気動車は千葉気動車区からの出区時は2両編成で運行、北総3線および房総各線が全線電化後は、幕張電車区からの出区時は4両編成で、千葉駅で1両ずつ各方面への千葉ローカル運用の気動車または113系の後部に併結して運転され、各駅に新聞を配布していき、それぞれの線区の終点駅(北総方面は銚子駅、房総方面は安房鴨川駅)と、終点駅から折り返し荷物車両を先頭にして千葉駅まで運行され、千葉駅到着後は回送列車となり、併結した気動車および電車とともに帰区する運用であった。国鉄の郵便・荷物輸送が基本的に廃止された1986年11月1日以降は、外房線・内房線の新聞荷物輸送が道路事情の関係により存続されることとなり、前述のクモユニ143が幕張電車区に転属し充当、電車区からの出区時は2両編成で両国駅まで回送、その後は前述のように、両国駅で積み込み→千葉駅で1両ずつ外房線・内房線の113系6両編成の普通列車(両者とも安房鴨川行き)の後部に連結→終着駅到着後クモユニ143が先頭車になって折り返し(両者とも千葉行き)→千葉駅到着後回送列車として帰区する運用であった。 1996年12月1日のダイヤ改正で、合理化のため房総地区への専用車両による輸送は廃止となり、それ以降は113系4両編成×2本を併結し、上り方各1両を荷物扱いとすることで対処、なお、この列車は2010年3月12日まで運行された。また、列車の運行開始以降から113系の荷物扱い列車に至るまで、夕刊の休刊日は運休となっていた。
※この「荷物列車」の解説は、「総武本線」の解説の一部です。
「荷物列車」を含む「総武本線」の記事については、「総武本線」の概要を参照ください。
- 荷物列車のページへのリンク