言語改革の例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 21:18 UTC 版)
日本語国語国字問題も参照。ローマ字論や漢字廃止論といった急進的な改革案は古くから存在したが、1946年に当用漢字および現代かなづかいが制定された。 中国語1910年代から1920年代に、それまでの文言文に代えて白話を導入しようという白話運動が起こった。多数ある中国語の方言から北京語音の官話方言(マンダリン)が標準とされた(国語)。中華人民共和国成立後、国語は普通話に改められたほか、簡体字の導入が始まっており、マレーシアやシンガポールも追随している。 ドイツ語1901年から1902年にかけて新たな正書法が制定されて全国各地で異なる綴り字の統一が行われ、後に他のドイツ語圏の国にも導入された。1996年にもドイツ語圏全体で正書法改革が行われている(1996年のドイツ語正書法改革(ドイツ語版))。 ヘブライ語20世紀に入りエリエゼル・ベン・イェフダーらの尽力で、死語となっていた古典ヘブライ語を基に、文法・発音の簡素化やヘブライ語の語幹を使った新語作成を行った現代ヘブライ語が誕生した。 ギリシャ語19世紀からギリシャ語の純化を目指して、古典ギリシャ語やコイネーをもとに、外来語を置き換えるための新語作成などが行われ、現代の「文語」であるカサレヴサが人工的に作られた。これに対してアテネ地方の方言を基にした口語であるデモティキを公用語とすべしという主張も19世紀から行われたが、軍事政権のもとではデモティキは行政公用語から排除された。1974年の民主化以降、1980年代にかけてデモティキの公用語化が進められている。 チェコ語19世紀前半、ヨセフ・ユングマン(Josef Jungmann)やヨゼフ・ドブロフスキー(Josef Dobrovský)らにより、スラブ系民衆の言葉であったチェコ語の研究が進められ、特にユングマンのチェコ語辞典は語彙の一新と現代チェコ語の確立に大きな役割を果たした。1840年代には「w」が「v」に置き換えられた。 エストニア語エストニアが独立する1910年代から1920年代、Johannes Aavik と Johannes V. Veski によるエストニア語の改革が進められた。彼らはフィンランド語やその他のウラル語族の言語から語幹を借用し、時には一から新しい語幹を創造し、エストニア語を近代化するための語彙を多数作成した。 ハンガリー語18世紀末から19世紀にかけ、カジンツィ・フェレンツ(Kazinczy Ferenc)らによりハンガリー語の再生が行われ、近代社会の必要にこたえるために1万以上の語彙が作成された。その多くは現在も使用されている。ハンガリー語は1844年にハンガリーの公用語となった。 アイルランド語1940年代に綴りの簡素化が行われた。たとえば、Gaedheal は Gael に、 Ó Séigheadh は Ó Sé へと改められている。 ノルウェー語ノルウェーがデンマークから1814年に独立すると、ノルウェー語はデンマーク語からの自立をはじめた。1907年と1917年、デンマーク語の文語に基づくリクスモール(Riksmål)がノルウェーの書き言葉となり、1929年にはリクスモールからブークモールへと改められた。さらに、ノルウェー各地の方言を合成した文語であるランスモールもこの年にニーノシュクへと改められている。1938年の改革でブークモールはニーノシュクに近い形へと改められた。現在、ブークモールとニーノシュクの二つが公用語の書き言葉となっている。 ポルトガル語20世紀に入り、古い煩雑な綴りが簡素化されている(たとえば asthma は asma に、 phthysica は tísica になっている)。 ルーマニア語19世紀、それまでキリル文字で書かれたものがラテン文字で書かれるようになり、同時にスラブ語系の単語からロマンス諸語系の単語への置き換えも進んだ。 ソマリ語ソマリアではモハメド・シアド・バーレが大統領であった1972年、言語学者 Shire Jama Ahmed により作成されたラテン文字表記法が採用された。同時に標準ソマリ語も公用語として定められ、ソマリ語の語幹から多くの新語が作成された。 トルコ語オスマン帝国に代わりトルコ共和国が成立した1920年代からトルコ語の言語改革が始まった。1928年、新たなトルコ語が導入され、それまで使われていた言語はオスマン語と呼ばれ廃止された。オスマン語のアラビア文字表記に代わりラテン文字によるトルコ語アルファベットが導入され、オスマン語に多数含まれていたペルシャ語・アラビア語などの借用語はトルコ語の語幹から作成された新語に置き換えられた(トルコの言語純化運動)。 ベトナム語フランス植民地時代、漢字とこれに基づくチュノム表記に代わり、ラテン文字による表記(クオック・グー)が採用された。また中越戦争後に漢語由来の語を固有語による造語へと多数置き換えた。
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