福岡空港としての歴史とは? わかりやすく解説

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福岡空港としての歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 18:26 UTC 版)

福岡空港」の記事における「福岡空港としての歴史」の解説

1972年昭和47年4月1日 - アメリカ空軍より大部分返還され、「第二種空港」として供用開始。レディオ・コールサインが「イタヅケ」 (例: イタヅケ・タワー、イタヅケ・アプローチ)から「フクオカ」に変更第二種空港としては初の航空機騒音防止対策法上特定飛行場指定され22:00-07:00避けた定期便ダイヤ設定が行指導の形で行われた消防責任日本側に移管移管時点での機材米国側から借用した化学消防車など3台。人員課長係長の2名だけ。当分は空港ビル関係者のみで編成する自衛消防隊担当する状況であった1970年4月米国側は「現在の消防力では、乗客100名以上の大型機の事故には対処できない」と日本側に通告していた。 8月 - 米軍残したレンジ40NMのCPN18-C型レーダー使用した(ターミナル)レーダー管制業務の正式運用日中の12.5時間限定して開始管制官総数36名。 月次不詳 - 1972年における1日平均取り扱い機数は171機。内軍用機は6%。内ジェット機49%、プロペラ機46%、ヘリコプター4%。 1973年昭和48年7月 - 空港東側に新設され管制塔管制業務開始。ASR/SSRのレンジは50NM。管制官総数44名。敷地内にあった板付TACAN廃止し、旧雁ノ巣飛行場跡地にあった福岡VORTAC運用開始1974年昭和49年4月 - 第2旅客ターミナルビル供用開始1975年昭和50年) - エア・サイアムバンコク - ロサンゼルス、当空港初の長距離国際線)とエールフランスパリ - 東京地方空港初の欧州便)が寄港するが、両社とも2年ほどで撤退1978年昭和53年10月 - ターミナル・レーダー管制業務24時間体勢となる。タワーアプローチあわせてすべて24時間運用となる。 月次不詳- 1978年における1日平均取り扱い機数は204機。 1981年昭和56年4月 - 国際線旅客ターミナルビル(のちの第3ターミナルビル供用開始4月17日 - 午前3時40分頃、空港西側にあるレーダー・サイト内の空港監視レーダー (ASR: Airport Surveillance Radar) 室のレーダー送受信機付近から出火し1時間後に消し止められた。室内半焼予備機あわせて二組とも使用不能になった。17日からノン・レーダー管制方式による管制実施復旧までに数ヶ月要する見込み (記事による)。鉄筋コンクリート平屋建て240m2のうちASR機器入っている一室50m2を焼いた。この火事ASR使えなくなったほか、隣の部屋のトランスミッターサイトもスス被り送信機使用できなくなった送信機だけは同空港予備施設があったため、無線通話対空通信使用でき、離着陸誘導支障はなかった。 1982年昭和57年3月 - 福岡管区気象台福岡空港気象レーダー完成6月11日から正式運用開始。100kmの擾乱度(乱気流)を含む降水エコーデータを監視8月 - ARTS-J 試験運用開始レンジは60NM。 1983年昭和58年1月 - ARTS-J 正式運用開始管制官総数60名。 1984年昭和59年1月 - 1984年における1日平均取り扱い機数は205機。軍用機割合は7.9%。 1987年昭和62年6月1日 - コンチネンタル・ミクロネシア航空の一番機がグアムから乗り入れ1988年昭和63年3月28日 - シンガポール航空の一番機がシンガポールから乗り入れ1989年平成元年12月16日 - 中国国際航空(CCA)981便 (北京発上海経ニューヨーク行き) が上海向けて飛行中ハイジャックされ壱岐上空経由福岡空港滑走路34着陸福岡空港への着陸要求残存燃料考慮した機長判断よる。乗務員によりハイジャック犯は機内から放り出された。 月次不詳 - 1989年における1日平均取り扱い機数は261機。管制官総数昭和63年56名から59名に増加1993年平成5年3月 - 福岡市営地下鉄乗り入れ1995年平成7年9月 - 国内貨物ビル供用開始1997年平成9年2月 - ARTS-E (ターミナルレーダー情報処理システム)運用開始。覆域60NM。 月次不詳 - 1997年における1日平均取り扱い機数は362機。2月新管制塔管制業務運用移行される。 1999年平成11年5月 - 新国際線旅客ターミナルビル国際貨物ビル供用開始旧国際線旅客ターミナルビル第3ターミナルビル改称2004年平成16年1月 - 滑走路34ILS運用開始2005年平成17年4月 - 誘導路(E-10)の直線化、バイパス誘導路(E-11)の供用開始2008年平成20年6月18日 - 空港法改正により、4条1項5号該当する空港として政令定め空港区分される2015年平成27年6月 - 2019年平成31年3月完成目標として、国内線第1ターミナルビル全体および第2ターミナルビル一部撤去と、第2ターミナルビル残部および第3ターミナル全体全面改修し地上5階地下2階新国内線旅客ターミナルビル建設する全面改修工事開始2016年平成28年3月27日 - 航空法混雑空港指定される10月4日 - 国内線第1ターミナルビル閉館翌日より、第2ターミナルビルおよび第3ターミナルビル国内線旅客ターミナルビル改称2019年平成31年4月1日 - 滑走路等の空港運営事業民営化2020年令和2年3月26日 - 福岡空港奈多地区奈多ヘリポート運用開始3月31日 - 第7管区海上保安本部福岡航空基地廃止所属機等は北九州航空基地移転

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「福岡空港としての歴史」を含む「福岡空港」の記事については、「福岡空港」の概要を参照ください。

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