福岡空港としての歴史
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1972年(昭和47年)4月1日 - アメリカ空軍より大部分が返還され、「第二種空港」として供用を開始。レディオ・コールサインが「イタヅケ」 (例: イタヅケ・タワー、イタヅケ・アプローチ)から「フクオカ」に変更。第二種空港としては初の航空機騒音防止対策法上の特定飛行場に指定され、22:00-07:00 を避けた定期便のダイヤ設定が行政指導の形で行われた。消防の責任も日本側に移管。移管時点での機材は米国側から借用した化学消防車など3台。人員は課長と係長の2名だけ。当分は空港ビル関係者のみで編成する自衛消防隊が担当する状況であった。1970年4月、米国側は「現在の消防力では、乗客100名以上の大型機の事故には対処できない」と日本側に通告していた。 8月 - 米軍の残したレンジ40NMのCPN18-C型レーダーを使用した(ターミナル)レーダー管制業務の正式運用を日中の12.5時間に限定して開始。管制官総数は36名。 月次不詳 - 1972年における1日平均の取り扱い機数は171機。内軍用機は6%。内ジェット機49%、プロペラ機46%、ヘリコプター4%。 1973年(昭和48年)7月 - 空港東側に新設された管制塔で管制業務を開始。ASR/SSRのレンジは50NM。管制官総数44名。敷地内にあった板付TACANを廃止し、旧雁ノ巣飛行場跡地にあった福岡VORTAC運用開始。 1974年(昭和49年)4月 - 第2旅客ターミナルビル供用開始。 1975年(昭和50年) - エア・サイアム(バンコク - ロサンゼルス、当空港初の長距離国際線)とエールフランス(パリ - 東京、地方空港初の欧州便)が寄港するが、両社とも2年ほどで撤退。 1978年(昭和53年)10月 - ターミナル・レーダー管制業務が24時間体勢となる。タワー、アプローチとあわせてすべて24時間運用となる。 月次不詳- 1978年における1日平均の取り扱い機数は204機。 1981年(昭和56年)4月 - 国際線旅客ターミナルビル(のちの第3ターミナルビル)供用開始。 4月17日 - 午前3時40分頃、空港西側にあるレーダー・サイト内の空港監視レーダー (ASR: Airport Surveillance Radar) 室のレーダー送受信機付近から出火し約1時間後に消し止められた。室内は半焼し予備機あわせて二組とも使用不能になった。17日からノン・レーダー管制方式による管制を実施。復旧までに数ヶ月を要する見込み (記事による)。鉄筋コンクリート平屋建て240m2のうちASRの機器が入っている一室50m2を焼いた。この火事でASRが使えなくなったほか、隣の部屋のトランスミッターサイトもススを被り送信機も使用できなくなった。送信機だけは同空港に予備施設があったため、無線通話対空通信は使用でき、離着陸の誘導に支障はなかった。 1982年(昭和57年)3月 - 福岡管区気象台福岡空港気象レーダーが完成。6月11日から正式運用開始。100kmの擾乱度(乱気流)を含む降水エコーデータを監視。 8月 - ARTS-J 試験運用開始。レンジは60NM。 1983年(昭和58年)1月 - ARTS-J 正式運用開始。管制官総数は60名。 1984年(昭和59年)1月 - 1984年における1日平均の取り扱い機数は205機。軍用機の割合は7.9%。 1987年(昭和62年)6月1日 - コンチネンタル・ミクロネシア航空の一番機がグアムから乗り入れ。 1988年(昭和63年)3月28日 - シンガポール航空の一番機がシンガポールから乗り入れ。 1989年(平成元年)12月16日 - 中国国際航空(CCA)981便 (北京発上海経由ニューヨーク行き) が上海に向けて飛行中にハイジャックされ、壱岐上空経由で福岡空港滑走路34に着陸。福岡空港への着陸要求は残存燃料を考慮した機長の判断による。乗務員によりハイジャック犯は機内から放り出された。 月次不詳 - 1989年における1日平均の取り扱い機数は261機。管制官総数は昭和63年の56名から59名に増加。 1993年(平成5年)3月 - 福岡市営地下鉄が乗り入れ。 1995年(平成7年)9月 - 国内貨物ビル供用開始。 1997年(平成9年)2月 - ARTS-E (ターミナルレーダー情報処理システム)運用開始。覆域60NM。 月次不詳 - 1997年における1日平均の取り扱い機数は362機。2月、新管制塔へ管制業務の運用が移行される。 1999年(平成11年)5月 - 新国際線旅客ターミナルビル、国際貨物ビル供用開始。旧国際線旅客ターミナルビルを第3ターミナルビルに改称。 2004年(平成16年)1月 - 滑走路34のILS運用開始。 2005年(平成17年)4月 - 誘導路(E-10)の直線化、バイパス誘導路(E-11)の供用開始。 2008年(平成20年)6月18日 - 空港法改正により、4条1項5号に該当する空港として政令で定める空港に区分される。 2015年(平成27年)6月 - 2019年(平成31年)3月完成を目標として、国内線第1ターミナルビル全体および第2ターミナルビル一部の撤去と、第2ターミナルビル残部および第3ターミナル全体を全面改修し、地上5階、地下2階の新国内線旅客ターミナルビルを建設する全面改修工事を開始。 2016年(平成28年)3月27日 - 航空法の混雑空港に指定される。 10月4日 - 国内線第1ターミナルビルが閉館。翌日より、第2ターミナルビルおよび第3ターミナルビルを国内線旅客ターミナルビルに改称。 2019年(平成31年)4月1日 - 滑走路等の空港運営事業を民営化。 2020年(令和2年)3月26日 - 福岡空港奈多地区(奈多ヘリポート)運用開始。 3月31日 - 第7管区海上保安本部福岡航空基地廃止。所属機等は北九州航空基地に移転。
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