満洲国の成立と満鉄とは? わかりやすく解説

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満洲国の成立と満鉄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:46 UTC 版)

南満洲鉄道」の記事における「満洲国の成立と満鉄」の解説

満洲国」および「満洲国国有鉄道」も参照 第2次若槻内閣総辞職によって、立憲政友会犬養毅大命下される一方八方ふさがりの状態にあった関東軍息を吹き返した。関東軍1932年2月までに東三省のほとんどを占領し2月5日ハルビン占領7日以降馬占山協力姿勢をみて満洲独立政権動き急激に高まった東三省要人たちは本庄繁関東軍総司令官訪問し満洲新政権に関する協議はじめた関東軍は、2月16日奉天黒竜江省張景恵奉天省臧式毅吉林省煕洽、そして馬占山の「四巨頭」を集めて張景恵委員長とする東北行政委員会組織し、そこでは馬占山黒竜江省長官任命された。2月18日、「党国政府と関係を脱離東北省区は完全に独立せり」という、満洲中国国民党政府からの分離独立宣言された。そして2月24日元首称号執政国号満洲国国旗は新五色旗年号大同基本構想立てられた。 1932年3月1日張景恵宅において、上記四巨頭」に熱河省湯玉麟内モンゴルジェリム盟チメトセムピルホロンバイル副都統の凌陞加えた東北行政委員会開かれ清朝廃帝愛新覚羅溥儀執政とする満洲国建国宣言された。満洲国首都長春選ばれて「新京」と命名され国務院総理首相)には鄭孝胥就任した人口3,400万人面積現在の日本の約3倍の115万平キロメートル五族共和スローガン掲げられたものの、事実上支配権関東軍の手にある傀儡国家であった3月10日溥儀鄭孝胥の間で秘密協定結ばれ満洲国国防治安維持費用満洲国政府負担すること、満洲国鉄道その他社資本日本管理すること、日本が必要とする各種施設満洲国準備すること、官吏日本人採用し選任関東軍司令官推薦委ねることが合意された。これは、のちの日満議定書確認されることとなった犬養内閣は、積極外交方針とする政友会中心内閣であったが、それでも満洲国即座に承認しなかった。3月12日犬養は「満洲国承認容易に行わざる件」を天皇上奏し、天皇もそれを喜んだ犬養首相はしかし五・一五事件暗殺され、これにより戦前政党内閣幕を閉じた後継首相斎藤実であった斎藤内閣政友会民政党からの入閣得て挙国一致内閣」として成立したが、世論満洲事変熱狂的に支持しており、斎藤1932年9月には日満議定書結んで満洲国承認踏み切った1932年4月軍部批判的だった江口定条副総裁憲政会に近いこともあって解任され、これを知らなかった内田康哉総裁辞表提出する事態となったが、内田軍部慰留受けて辞任撤回した内田は、この年7月斎藤内閣外務大臣に就任するため満鉄総裁転出し林博太郎が新総裁となった1932年8月8日関東軍首脳人事異動があり、軍司令官武藤信義大将、軍参謀長小磯国昭中将参謀副長岡村寧次少将就任し、高級参謀板垣征四郎関東軍司令部付に、同参謀石原莞爾参謀本部付に転じた満鉄監督官庁満洲国建国以後日本の在満洲国特命全権大使であったが、この8月8日をもって関東軍司令官が在満全権大使関東庁長官兼任することとなり、その権限飛躍的に拡大した関東軍また、極東ソ連軍増強対抗すべく、わずか1個師団であった戦力急速に拡大された。こうして満鉄事実上関東軍支配下入った関東軍なかにはこれを機に満鉄組織徹底的に改編しようという構想が培われていった1932年中、満鉄関東軍作戦範囲拡大に応じて装甲列車走らせるなど、作戦鉄道としての機能全面的に発揮された。そして、3月満洲国成立以降中国東北にあった国有鉄道満洲国政府管轄することとなった1933年2月9日満洲国管轄下の鉄道満洲国国有鉄道)は、南満洲鉄道満洲国政府に対して供与する借款担保というかたちで、満鉄経営委託された。委託経営することとなった既設鉄道は2,939.1キロメートルであった3月1日から委託経営実施され満鉄奉天鉄路総局設置したまた、満鉄には鉄道新設権限あたえられ同日鉄道建設局を大連本社内に置いた。これにより満鉄が本来所有する路線を「社線」、国鉄線(満洲国国有鉄道路線)を「国線」と呼ぶようになったこののち新線建設計画実施されたのは、長春 - 大賚 - 洮安間など旧来から懸案となっていた路線や、関東軍が対ソ作戦のために必要と認めた東満や北満の鉄道網であった。 なお、国内では1933年日本共産党最高幹部だった佐野学鍋山貞親獄中から転向声明発したが、これを機に大量転向現れた。かれら転向者には、統制経済国家官僚通じた計画経済新たな期待寄せ国家社会主義となえる者が多かった新国家満洲新たな理想求めた転向者も多く満鉄には数多く左翼運動からの転向者がいた。

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満洲国の成立と満鉄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 22:17 UTC 版)

南満州鉄道」の記事における「満洲国の成立と満鉄」の解説

満洲国」および「満州国国有鉄道」も参照 第2次若槻内閣総辞職によって、立憲政友会犬養毅大命下される一方八方ふさがりの状態にあった関東軍息を吹き返した。関東軍1932年2月までに東三省のほとんどを占領し2月5日ハルビン占領7日以降馬占山協力姿勢をみて満洲独立政権動き急激に高まった東三省要人たちは本庄繁関東軍総司令官訪問し満洲新政権に関する協議はじめた関東軍は、2月16日奉天黒竜江省張景恵奉天省臧式毅吉林省煕洽、そして馬占山の「四巨頭」を集めて張景恵委員長とする東北行政委員会組織し、そこでは馬占山黒竜江省長官任命された。2月18日、「党国政府と関係を脱離東北省区は完全に独立せり」という、満洲中国国民党政府からの分離独立宣言された。そして2月24日元首称号執政国号満洲国国旗は新五色旗年号大同基本構想立てられた。 1932年3月1日張景恵宅において、上記四巨頭」に熱河省湯玉麟内モンゴルジェリム盟チメトセムピルホロンバイル副都統の凌陞加えた東北行政委員会開かれ清朝廃帝愛新覚羅溥儀執政とする満洲国建国宣言された。満洲国首都長春選ばれて「新京」と命名され国務院総理首相)には鄭孝胥就任した人口3,400万人面積現在の日本の約3倍の115万平キロメートル五族共和スローガン掲げられたものの、事実上支配権関東軍の手にある傀儡国家であった3月10日溥儀鄭孝胥の間で秘密協定結ばれ満洲国国防治安維持費用満洲国政府負担すること、満洲国鉄道その他社資本日本管理すること、日本が必要とする各種施設満洲国準備すること、官吏日本人採用し選任関東軍司令官推薦委ねることが合意された。これは、のちの日満議定書確認されることとなった犬養内閣は、積極外交方針とする政友会中心内閣であったが、それでも満洲国即座に承認しなかった。3月12日犬養は「満洲国承認容易に行わざる件」を天皇上奏し、天皇もそれを喜んだ犬養首相はしかし五・一五事件暗殺され、これにより戦前政党内閣幕を閉じた後継首相斎藤実であった斎藤内閣政友会民政党からの入閣得て挙国一致内閣」として成立したが、世論満洲事変熱狂的に支持しており、斎藤1932年9月には日満議定書結んで満洲国承認踏み切った1932年4月軍部批判的だった江口定条副総裁憲政会に近いこともあって解任され、これを知らなかった内田康哉総裁辞表提出する事態となったが、内田軍部慰留受けて辞任撤回した内田は、この年7月斎藤内閣外務大臣に就任するため満鉄総裁転出し林博太郎が新総裁となった1932年8月8日関東軍首脳人事異動があり、軍司令官武藤信義大将、軍参謀長小磯国昭中将参謀副長岡村寧次少将就任し、高級参謀板垣征四郎関東軍司令部付に、同参謀石原莞爾参謀本部付に転じた満鉄監督官庁満洲国建国以後日本の在満洲国特命全権大使であったが、この8月8日をもって関東軍司令官が在満全権大使関東庁長官兼任することとなり、その権限飛躍的に拡大した関東軍また、極東ソ連軍増強対抗すべく、わずか1個師団であった戦力急速に拡大された。こうして満鉄事実上関東軍支配下入った関東軍なかにはこれを機に満鉄組織徹底的に改編しようという構想が培われていった1932年中、満鉄関東軍作戦範囲拡大に応じて装甲列車走らせるなど、作戦鉄道としての機能全面的に発揮された。そして、3月満洲国成立以降中国東北にあった国有鉄道満洲国政府管轄することとなった1933年2月9日満洲国管轄下の鉄道満洲国国有鉄道)は、南満洲鉄道満洲国政府に対して供与する借款担保というかたちで、満鉄経営委託された。委託経営することとなった既設鉄道は2,939.1キロメートルであった3月1日から委託経営実施され満鉄奉天鉄路総局設置したまた、満鉄には鉄道新設権限あたえられ同日鉄道建設局を大連本社内に置いた。これにより満鉄が本来所有する路線を「社線」、国鉄線(満洲国国有鉄道路線)を「国線」と呼ぶようになったこののち新線建設計画実施されたのは、長春 - 大賚 - 洮安間など旧来から懸案となっていた路線や、関東軍が対ソ作戦のために必要と認めた東満や北満の鉄道網であった。 なお、国内では1933年日本共産党最高幹部だった佐野学鍋山貞親獄中から転向声明発したが、これを機に大量転向現れた。かれら転向者には、統制経済国家官僚通じた計画経済新たな期待寄せ国家社会主義となえる者が多かった新国家満洲新たな理想求めた転向者も多く満鉄には数多く左翼運動からの転向者がいた。

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