ちゅうごく‐こくみんとう〔‐コクミンタウ〕【中国国民党】
中国国民党
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中国国民党(ちゅうごくこくみんとう、繁体字: 中國國民黨、拼音: Zhōngguó Guómíndǎng[1]、英語: Chinese Nationalist Party、Kuomintang[11]、略称: KMT[11])は、中華民国(台湾)の政党。略称は国民党[18](こくみんとう)。イメージカラーは藍色で、ニュース報道等では、民主進歩党(以下、民進党)の「緑」に対して「藍」と呼ばれることがある。民進党と共に二大政党制を形成している。2024年1月現在は野党かつ立法院第1党である[19]。
注釈
出典
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- 1 中国国民党とは
- 2 中国国民党の概要
- 3 派閥
- 4 参考文献
中国国民党
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「2020年中華民国総統選挙」の記事における「中国国民党」の解説
2019年3月22日告示、7月15日に国民党総統選予備選挙の結果、韓国瑜が44.805%得票し、郭台銘(22.73%)、朱立倫(17.90%)、周錫瑋(6.02%)、張亜中(中国語版)(3.54%)を下し、総統選候補に選出された。
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中国国民党
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「2008年中華民国総統選挙」の記事における「中国国民党」の解説
2005年7月に行われた党主席選挙で、馬英九が王金平立法院長に20万票以上の大差をつけるなど、以前から馬英九が国民党の候補者に選ばれる空気が出来上がりつつあった。しかし2006年後半から取りざたされた台北市長時代の特別支出費に関する横領疑惑で状況が一変する。2007年2月に馬英九が起訴されると、2月13日に中央常務委員会を開き、起訴された段階で党員としての権利が停止され一審で有罪となれば除名されるという「排黒条款」について、党章(党規約)に抵触するとして無効とする見解を示した。しかしこのことがかえって馬英九を総統選挙の候補者にするためのものだという批判を呼んだ。 国民党の予備選挙には、馬英九のほかに高雄師範大学の雷僑雲教授が出馬を表明したが、雷僑雲は予備選挙への登録に必要な署名を集めることができなかった。また、出馬が有力視されていた王金平も立候補の表明を行わなかった。このため、予備選挙への登録を行えたのは馬英九ただ一人という状況になり、国民党は5月2日、中央常務委員会において馬英九を総統選挙の候補者とすることを正式に決定した。 総統選挙には副総統候補とコンビで立候補することになるが、馬英九はこの人選に苦労することになる。当初、副総統候補を王金平と考えていたが、互いの意見が一致せず、両者の話し合いは5月31日に決裂する。6月23日、副総統候補として蕭万長元行政院長が最終的に選ばれた。
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中国国民党
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「2012年中華民国総統選挙」の記事における「中国国民党」の解説
現職総統の馬英九以外に立候補はなく、2011年4月27日、馬英九を正式に次期総統候補に選任した。同年6月19日、馬候補は、現職の行政院長(首相)である呉敦義を副総統候補に選任すると発表。
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中国国民党
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国家連合構想 連戦は2000年総統選挙期間中、李登輝の後継者であったため、二国論を支持していた。しかし、選挙後、自ら党主席に就任し、その後、連戦は李登輝路線の修正を始めた。2001年1月4日に、連戦は新著『新藍圖、新動力』の発表会で、著書の内容と関連して中国との国家連合を提唱した。同年8月に開かれる第16回全国党大会において、党政策綱領に盛り込もうとした。しかし、党内の台湾本土派の反対により大会開催前に断念せざるを得なかった。また、中国側も同年3月に全人代報道官が反対を表明している。その後、しばらくの間は連戦は国家連合を唱え続けたが、後には自らの提案の存在自体を否認する発言を行っている。 3つの選択肢(馬英九) 2006年2月14日、中国国民党は台湾本土派の日刊紙「自由時報」に意見公告を掲載した。そこで馬英九同党主席は、統一、独立、現状維持の3つの選択肢を上げ、統一が最終的目標であるが、現在は現状維持が最も現実的な選択肢だと述べた。これは、陳水扁総統が国家統一綱領と国家統一委員会の廃止に言及した事を牽制するものであった。ただし、この意見公告に対しては、最終的な統一が馬英九の理想である事を強調する見方と、中国国民党が台湾独立も台湾有権者の選択肢の一つとして明言したことを重視する見方がある。なお、2004年に、中国国民党籍の王金平立法院院長も、「台湾独立も選択肢の一つ」と述べたことがある。
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中国国民党
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「1996年中華民国総統選挙」の記事における「中国国民党」の解説
与党の国民党は、1995年8月に開催された第14回党大会で総統候補の選出方法を議論し、林洋港や郝柏村など党内非主流派が主張する約200万人の党員投票ではなく、主流派が求める1973人の党員代表による投票で行うことを決定した。 党員代表による投票の結果、現職の李登輝を総統候補に指名した。李は副総統候補に行政院長の連戦を指名した。連戦は立候補にあたって行政院長を辞職する意向であったが、後任の行政院長を立法院が承認する可能性が低かったため、李登輝は連戦の辞職を認めなかった。
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