殺人前科とは? わかりやすく解説

殺人前科

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 14:51 UTC 版)

名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件」の記事における「殺人前科」の解説

本事件19年前となる1983年昭和58年2月5日当時32歳だったBは長野県諏訪市内で、人生最初の殺人事件起こした。 Bは同事3日前から、諏訪市湖岸通り旅館で、1人宿泊していた。現場旅館日本国有鉄道(現・JR東日本中央本線上諏訪駅西口付近にあり、諏訪湖畔から徒歩5分の立地だった。諏訪湖畔では同日、「御神渡り」の具合見て八剱神社神官一年吉凶を占う神事御渡り神事」が執り行われていたが、Bはその神事を見に来た観光客ではなく所持金尽きて東京都内無銭飲食繰り返しており、刑務所内で知り合った暴力団組員頼って諏訪市付近に来ていたのだが、その組員からの仕事口利き受けられず、金に困った末の犯行だった。 Bは同日昼過ぎ旅館2階居間テレビ見ていたが、「テレビ映りが悪い」と旅館の女将事件当時64歳)に申し出ると、「文句代金払ってから言って」と返されたために逆上し口論になった末に、女将突き倒した。 女将近くにあった靴べら振り回して抵抗したが、Bは抵抗かわして背後回り女将の首に手をかけ、首を絞めた。やがて女将はぐったりしたが、Bは電気こたつコードで首を二重絞め直し女将殺害した後、遺体押し入れ押し込んで隠匿遺棄し上で帳場から現金2万円預金通帳盗んで逃走した。 この事件1983年2月9日女将養子から長野県警察諏訪警察署に「継母が行不明になった」と届け出があったため、旅館内を捜索した諏訪署員遺体発見したことで発覚した事件発生当時から犯人宿泊客可能性が高いとみられていた。 この事件から2週間後の1983年2月19日所持金がわずか39円しかなかったBは、東京都台東区浅草喫茶店にいたところを諏訪署の捜査員詐欺無銭飲食容疑逮捕された。 その後諏訪署に連行され被疑者Bは翌1983年2月20日女将殺害について「自分がやった」と容疑認めたため、同日殺人死体遺棄容疑で逮捕された。 1983年10月28日被告人Bは殺人窃盗罪などで、長野地方裁判所から懲役15年求刑懲役20年)の判決を受け、岐阜刑務所服役した判決後接見で、Bは国選弁護人から「刑務所悪知恵付けんじゃないぞ。出てきて街で会った声を掛けてこい」と語りかけられた。 事件知ったBの母は、被害者女将冥福を祈るために四国八十八箇所遍路し、月に1度獄中息子送った手紙には改心を願う母心つづった

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殺人前科

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 04:35 UTC 版)

豊中市2人殺害事件」の記事における「殺人前科」の解説

加害者N21歳だった1969年昭和44年3月16日不良グループ仲間だった男X当時23歳運転手)、少年Y当時17歳板金工)と共謀し高知県香美郡土佐山田町(現:香美市土佐山田町)内でライフル銃による強盗殺人事件起こした同事件により、Nは1973年昭和48年)に無期懲役刑確定していた。 同事件から1年前の1968年昭和43年3月16日、Nは男1人X・Yとは別人)と共謀し高知県長岡郡大津村船戸銃砲店からライフル銃4挺・空気銃5挺(時価合計117,500円相当)を盗んだその後、Nら3人は銀行強盗企て1969年1月 - 2月ごろからその実計画練り始めたが、先述ライフル銃使用する銃弾や、銀行襲撃必要なダイナマイト入手するために火薬庫侵入し銃弾火薬ダイナマイト代わり)などや、犯行使用する自動車盗みライフル銃試射行った。そして、「銀行を襲うためにはライフル銃1艇では不十分」として、警察官襲撃し拳銃を奪うことを企てた一方高知県警察県内ライフル銃窃盗銃撃事件相次いでいたことを受け、同年2月13日ライフル銃特別捜査本部特捜本部)を高知警察署内に設置して関連事件捜査していた。 1969年3月15日21時ごろ(強盗殺人前夜)、Nら3人はライフル銃パトロール中の警察官射殺し拳銃強奪しよう企図し、高岡郡佐川町内で佐川警察署巡査襲撃しよう待ち伏せたが、タイミング逃して未遂終わった殺人予備罪強盗予備罪)。翌日1969年3月16日)、3人は前日同じよう強盗目的ライフル銃銃弾・鉈を用意して自動車佐川町方面向かったが、警察官の姿を見かけなかったため、やむなく高知市方面引き返そうとした。しかし、出発直前自動車事故起こし2, 3万円損害賠償要求されていたNが自動車強盗思いつき2人もそれに賛同したため、高知市内で警察官探しながら国道32号高松方面)に向かった同日2230分ごろ、3人は土佐山田町北滝本国道32号上で自家用車運転して高知市から帰宅しようとしていた土佐村役場運転手男性・甲(当時36歳)を停車させ、所持していた22口径ライフル銃で甲を脅した。しかし甲が他に助け求めようしたため、Nは甲に計3発発砲し、うち1発を頭部命中させて甲を即死させたが、強盗目的遂げなかった。 同事件の翌日1969年3月17日7時30分ごろに甲の遺体発見され高知県警山田警察署に甲殺害事件特捜本部設置し高知市周辺前月続発したライフル銃事件との関連含めて捜査したところ、Nら加害者3人の関与判明したため、同月26日に甲殺害事件特捜本部高知署が3人を強盗殺人死体遺棄銃砲刀剣類所持等取締法銃刀法違反火薬類取締法違反窃盗の各容疑逮捕した被告人Nは一連の事件強盗殺人窃盗非現住建造物等放火未遂罪などに問われ1970年昭和45年3月30日高知地方裁判所刑事第1部白石晴祺裁判長)で求刑通り死刑判決受けた。しかし控訴したところ、1973年3月29日高松高等裁判所第1部原審破棄自判無期懲役の判決を受け、確定それ以降は主に岡山刑務所で、約18年間にわたり服役していたが、1991年平成3年4月仮出獄仮出所)した。

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殺人前科

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:18 UTC 版)

JT女性社員逆恨み殺人事件」の記事における「殺人前科」の解説

Mは1976年8月広島県広島市女子高生X(当時16歳高校2年生福岡県中間市在住)を殺害したとして、懲役10年処され前科があった。 1976年8月6日下関市内のストリップ劇場照明係として働いていたM(当時34歳)は、下関市内の喫茶店で、家出中の少女Xと偶然知り合い肉体関係持った。Mは同日勤務先ストリップ劇場に「ストリッパー1人雇ってくれ」とXを紹介したが、未成年であることを理由断られた。同月10日、MはXとともに広島市内に来て広島市田中町(現:広島市中区田中町)のホテル投宿したが、市内での職探しがうまくゆかず、同月11日夜(殺人事件前夜)にはホテル近く食料品店パン牛乳購入した際、「値段が高い」と文句をつけていた。 8月12日6時ごろ、Mは投宿先のホテルで、「大阪一緒に行こう」とXを説得した。しかし、Xは既に両親のもとに帰る気持ち固めていたため、Mの申し出拒否した。Mはその態度冷淡なものと受け取り、Xに対す恋着の情を憎悪転じさせるとともに、Xが自己の思い通りにならない憤激加わり確定的殺意のもとにXの首に浴衣腰紐巻き付け強く絞めつけてXを殺害した。その後、Mはホテルから逃走し大阪府大阪市港区市岡二丁目簡易宿泊所に「生田安治郎」の偽名宿泊しつつ、雑役夫として働いていたが、広島県警捜査一課広島東警察署)によって指名手配され同月25日潜伏先簡宿逮捕された。当時所持品事件現場になったホテルマッチ1個と、事件報じた新聞切り抜き3枚、そして所持金300円のみだった。 この事件でMは殺人罪問われ1977年昭和52年1月14日広島地方裁判所雑賀飛龍裁判長)から懲役10年求刑懲役12年)の実刑判決言い渡された。同判決同月29日付で確定し、Mは1984年昭和59年12月20日仮出獄するまで、岡山刑務所服役した

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殺人前科

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:12 UTC 版)

マブチモーター社長宅殺人放火事件」の記事における「殺人前科」の解説

Mは前述刑期終え医療刑務所から出所後、東京都調布市内に在住していた。 1988年昭和63年9月、Mの交際相手だったタイ人女性は、タイの売春シンジケート同居していた、使用者タイ人女性事件当時21歳東京都新宿区上落合在住)に、「使用権」を保有され歌舞伎町バー男性客との売春に応じていた。 交際相手女性は、バーの常連客だったMに対し120万円払えば自由にしてやる、と使用者から言われた」と相談した。 これを受け、Mは交際相手女性束縛から解放するため、1989年平成元年1月9日夜、使用者女性マンション訪れ、「(交際相手女性を)60万円自由にしてくれ」と相談した。 しかし交渉難航し、Mはその使用者女性口論となった激情駆られたMは、使用者女性の首を、室内にあった電話コード絞めて殺害し女性部屋にあった現金7万円ネックレスなどを盗んで逃走した被疑者Mはこの殺人事件で、警視庁戸塚警察署捜査本部により、1989年4月12日夜、殺人窃盗容疑逮捕された。1989年10月11日被告人Mは殺人窃盗の罪により、懲役12年処せられた前科があった。

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