機器供出と余剰車体の制御車転用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 06:08 UTC 版)
「愛知電気鉄道電7形電車」の記事における「機器供出と余剰車体の制御車転用」の解説
1950年代後半に入ると、監督省庁である運輸省から日本の各私鉄に対し、在籍木造車群について早期の淘汰が強く求められる状況となった。これは火災対策や衝突事故時などの乗客の安全性確保の観点から、燃えやすく脆弱な木造車が危険と判断されたためである。このような状況下で名古屋鉄道においても、当時は未だに多数を保有していた木造車について緩みや腐食などの老朽化が目立つようになっていたことと、それに伴う車両修繕費の増大もあって軽量構造で17 m級の全金属製車体を新造、これに木造車から取り外した、まだ十分使用に耐える主要機器を艤装することで車両製作コストを抑制しつつ速やかな木造車の淘汰を図る計画が立てられた。 この車体更新工事により、以後の使用にも耐える主要機器を搭載していた旧愛知電気鉄道電5形・電6形などの木造車各形式の淘汰が実施されたが、最初の車体更新車となった3700系では当初主電動機の非力さを補いAL車並の走行性能を確保するため全電動車方式での車両製作をもくろんだことや、当時沿線のトヨタ自動車工場の通勤客急増で三河線在籍車両の近代化が急務となっていたことなどから、該当木造車群を機器供出元としただけでは必要数に対し電装品をはじめとする主要機器が不足した。このため1959年に3700系の最終増備車としてモ3719 - 3721を新造する際に、それらの木造車と同系の機器を搭載するモ3200形の中からモ3203・3207・3209の3両を選出、これらから3700系へ電装品や台車を供出することで電動車の種車不足を補った。この機器供出で余ったこれら3両分の車体については戦中戦後の酷使で疲弊が深刻であったが、更新修繕の上で低出力などの事情で機器供出対象とならなかった木造車などから流用の旧式台車と組み合わせて制御車 (Tc) へ改造し、これらも木造車の淘汰促進に役立てられることとなった。この改造の際には片運転台化と片隅式運転台の全室式への改造、それらに伴う運転台側乗務員扉の新設と車掌台側乗務員扉の運転台側と同寸の開き戸への変更、運転台を撤去した方の車端部についての車掌台側乗務員扉の撤去と一般的な客用窓の設置、それに段差のついた複雑なモニター屋根構造であった車内天井部の単純な丸屋根への改装など大掛かりな改修が実施されており、以下のようにク2300形(2代)に改称・改番された。 モ3200形モ3203・モ3207・モ3209 → ク2300形ク2301 - ク2303 これら3両の機器供出先となったモ3700形モ3719 - モ3721の内、モ3721については落成時に試作の日本車輌製造ND-502 SIG式トーションバー台車を装着したため、供出されたボールドウィン84-27-A台車を流用しなかった。このため、これら3両については機器供出元と供出先の間の正確な対応関係は明らかとなっていない。 なお、これら3両はこの機器供出で台車を喪ったが、その補充には愛知電気鉄道電5形由来のク2040形が装着していたブリル27MCB-2Xが充当されている。 名古屋鉄道で木造車の淘汰が急速に進行した1960年代中盤になると、モ3200形は新造から40年が経過し車体の疲弊や接客設備の陳腐化が目立ち始めていた。1959年の機器供出時に対象とならなかった7両については1958年・1961年・1962年に更新修繕が実施されたが、7両中6両についてセンターシルとドラフトシルに補強板を鋲接あるいは溶接で装着して補強され、2両については車体両端が垂下、その他各部の腐食が指摘される状況となっていた。また、これらは手動扉車であったため高速運転される本線系統でそのまま使用し続けるには保安面でも問題があり、木造車と同様に車体更新が必要な状況となった。 そこで、1964年9月にモ3200形のまま残っていた7両について、その電装品や台車などの主要機器が3700系の改良形にあたる3730系へ供出された。 残された車体については上述のとおり状態が良くなかったとされる。それでもその半鋼製車体は、当時600 V電化の支線区を中心に多数が残存していた種々雑多な老朽木造車群と比較すれば安全性の面で格段に有利であった。このためこれら7両の車体は、先に2代目ク2300形へ改造された3両と同様に機器供出後は既に廃車済みの木造車から転用の台車を装着の上で片運転台の制御車であるク2320形へ改造され、当時支線区に残存していた種々雑多な老朽木造車淘汰の原資とされた。 モ3200形モ3201・モ3202・モ3205・モ3204・モ3206・モ3208・モ3210 → ク2320形ク2321 - ク2327 これにより10両全車が機器供出により制御車となったことでモ3200形は形式消滅となった。 なお、これら3730系への機器供出車7両については他の供出元各形式と同様、機器供出元と供出先の正確な対応がまったく判然としない。ただし、台車についてはモ3200形10両とモ3250形1両の合計11両分しか輸入されていないボールドウィン84-27-Aが、1967年8月の現車調査の時点でモ3719・モ3720・モ3731 - モ3737・モ3749・モ3774の11両に装着され全数健在であったことが確認されている。 ク2320形は、車体の内外について大規模な改造・更新工事を実施したク2300形とは異なり運転台は片隅式のままで運転台側乗務員扉の新設を行わず、車掌台側乗務員扉も引き戸のまま残され、客室天井もモニター屋根がそのまま残された。さらには連結面側の旧運転台も主幹制御器やブレーキ制御弁といった機器を撤去しただけで車掌台側乗務員扉を含め乗務員室区画を撤去せずそのままとなっており、大がかりな改修が実施されたク2300形と比較すると総じて簡易な改造に留められた。 これら2形式の制御車は、機器供出の際に別途調達する必要が生じた台車について、心皿荷重上限などの条件を満たす社内中古品の再利用が計られた。 そのため、書類上は当初ク2301を除く全車が鉄道省制式のTR14を装着したことになっていたが、実際にはTR11以降の制式台車が制定されるより前に鉄道作業局や鉄道院で設計製作された台車の統合形式であるTR10や住友金属工業ST-9、ブリル27MCB-1、それに日本車輌製造によるブリル27MCB-1のデッドコピー品である42-84-MCB-1など、本線・支線を問わず淘汰対象車両などからかき集められた種々雑多な台車が装着された。 もっとも、その後の3700・3730・3770・3780系新造計画の進捗に合わせてこれら流用台車の一部が再度供出対象に選ばれたため、再び複雑かつ大規模な台車振り替えが実施され、最終的に以下のとおり廃車となった木造車から捻出された台車が装着されている。 ク2301 加藤車両製作所製のボールドウィンタイプ形鋼組み立て台車を装着。 ク2302・ク2322・ク2324 ブリル27MCB-1を装着。 ク2303・ク2323・ク2325・ク2327 日本車輌製造42-84-MCB-1(ブリル27MCB-1の模倣品)を装着。 ク2321・ク2326 ブリル27MCB-2Aを装着。27MCB-1と42-84-MCB-1の基礎ブレーキ装置が片押し式の踏面ブレーキであったのに対し、この台車については車輪の前後からシューを締め付ける両抱き式に改造されていた。 この間、1962年にモ3208が事故に遭遇、妻面が大破した。この復旧の際に踏切事故の発生を抑止すべく、運転台の床面高さをかさ上げすることで座席に着座して運転する乗務員の前方見通しを改善しこれにあわせて妻面窓や運転台側側窓の下辺の高さを引き上げる、いわゆる高運転台化改造工事が同車の前後両方の運転台に対して施工されている。この改造では従来のリベット組み立てではなく全て溶接で妻面周辺の組み立てが実施され、併せて妻面周辺のウィンドウシル・ウィンドウヘッダーが省略されている。なお、この高運転台仕様は電装解除によりモ3208がク2326へ改番された後も維持された。 モ3200形全車が電装解除され制御車化された時点では、これらは主要機器を3730系へ供出する前のモ910形やモ3300形・モ3350形といったHL制御仕様の電動車各形式と編成を組み、名古屋本線や直流1,500V電化の支線各線での運用が継続された。この時期には、例えばク2300形3両は電装解除前のモ910形とMc-Mc-Tcの3両編成を組んで運用されていたことが記録されている。
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