木曽特定地域総合開発計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 15:42 UTC 版)
丸山ダム(木曽川)。木曽特定地域総合開発計画における治水事業の根幹である。 横山ダム(揖斐川)。揖斐川の治水と西濃地域の利水に重要な役割を担う。 牧尾ダム(王滝川)。愛知用水の水源で知多半島の水がめである。 岩屋ダム(馬瀬川)。木曽川用水の水源で名古屋市の水がめである。 木曽川は宝暦治水や木曽・長良・揖斐三大河水利分流計画によって長良川・揖斐川と完全に切り離され、以前に比して水害による被害は減少した。とはいえそれでも洪水による被害は後を絶たず、1938年(昭和13年)7月5日の梅雨前線豪雨で木曽川は過去最大の洪水量を記録した。その洪水量は愛知県犬山市地点において毎秒13,200トンという過去に例を見ないものであった。 戦後カスリーン台風やアイオン台風を始め毎年の様に台風や豪雨が襲来、これに戦中の河川改修不備や山間部の乱伐による保水力低下もあいまって全国各地の河川は大小問わず大洪水をもたらし、その被害額は留まるところを知らなかった。こうした風水害が戦後疲弊した日本経済に更なる打撃をもたらすことを懸念した経済安定本部は、利根川・淀川・北上川を始め全国10の主要大河川に対して堤防整備に加えてダムによる洪水調節を図る治水方針を立案した。そして1949年(昭和24年)には諮問機関である治水調査会の答申を得て「河川改訂改修計画」を発表。上記の目的に沿った河川改修を計画した。 木曽川についても対象となり、同年木曽川水系流域計画が発表された。この計画では1938年(昭和13年)の洪水を基準としてダムと堤防改修による洪水調節を行うこととし、木曽川本流と飛騨川・長良川・揖斐川流域に多数の治水ダム建設を計画した。当初は既に建設されていた大井ダムや兼山ダムなどの発電専用ダムを転用する計画であったが、何れも洪水調節目的を達成するだけのポテンシャルが無いため既設のダム再開発は断念し、日本発送電が施工を進めていた木曽川中流の丸山ダムを水力発電専用から洪水調節目的を加えた多目的ダムとすることで木曽川中流・下流の治水を図ろうとした。経済安定本部は岐阜県知事を通じて日本発送電に事業主体を建設省にする変更を命じた。これにより丸山ダムは木曽川水系流域計画における治水の要として活用されることになる。 さらに1951年(昭和26年)、第3次吉田内閣は国土復興のために河川を有効に開発して治水のみならず農地開墾のためのかんがいと工業地帯への送電のための電力開発を強力に進めるために今まで別個の事業者が実施していた河川開発を一元化する河川総合開発事業を大規模に遂行し、経済成長を軌道に乗せることを目的に国土総合開発法を成立させ特定地域総合開発計画を発表した。これにより全国22地域がその対象となったが、木曽川水系についても愛知県・岐阜県・長野県の三県にまたがり、建設省(現在の国土交通省)・農林省(現在の農林水産省)・通商産業省(現在の経済産業省)・中部電力・関西電力の5者により治水・かんがい・水力発電の多目的河川開発計画が進められた。その根幹事業として木曽川本流と飛騨川・長良川・揖斐川流域に15基の多目的ダムを建設する計画が立てられたのである。これが木曽特定地域総合開発計画である(愛知用水事業については後述)。 木曽特定地域総合開発計画におけるダム計画一次支川(本川)二次支川三次支川ダム名堤高(メートル)総貯水容量(千立方メートル)型式目的沿革木曽川 薮原ダム 50.0 9,000 重力式 F・P 信濃川水系奈良井川の奈良井ダムとの間で導水する計画。一旦立ち消えとなり後に味噌川ダムとして再度計画され、1993年(平成5年)に完成。 木曽川 丸山ダム 98.0 59,350 重力式 F・P 関西電力による発電専用ダムから多目的ダムに目的拡大。1955年(昭和30年)完成。 木曽川 犬山ダム 35.0 35,150 重力式 F・P 立ち消えとなり、その後農林省東海農政局により宮田用水などの取水口である犬山頭首工として建設される。 王滝川 二子持ダム 75.0 68,500 重力式 F・N・A・P 愛知用水事業の水源として計画変更され、治水機能を持たない多目的ダム・牧尾ダムとして1961年(昭和36年)完成。 飛騨川 朝日ダム 92.0 34,400 重力式 F・N・A・P 中部電力の発電専用ダムに治水とかんがい目的を付加する予定であったが、最終的には発電単独で建設され1953年(昭和28年)完成。 飛騨川 久田見ダム 60.0 76,000 重力式 F・P 飛水峡に建設され、水没する上麻生ダム・上麻生発電所の発電目的を付設する予定であったが、水没予定数が200戸を超えるため立ち消え。 飛騨川 小坂川 落合ダム 70.0 67,250 重力式 F・N・A・P 出力32,000キロワットの発電能力を有する多目的ダムとして計画されたが、立ち消え。 飛騨川 馬瀬川 岩屋ダム 70.0 24,000 重力式 F・P 支流和良川の岩瀬ダムとの間で導水する発電計画であったが、一旦立ち消え。1960年代に再度計画され、1976年(昭和51年)に1億トン級のダムとして完成。 飛騨川 馬瀬川 和良川 岩瀬ダム 50.0 17,500 重力式 F・P 岩屋ダムとの間で導水する計画であったが立ち消え。その後ダム地点を馬瀬川に移し発電専用の馬瀬川第二ダムとして1976年(昭和51年)に完成。 長良川 板取川 洞戸ダム 60.0 155,550 重力式 F・A・P 一旦立ち消えとなったが1960年代に板取ダム計画として復活。だが地元の反対が激しく1980年代に計画中止。 揖斐川 東杉原ダム 72.0 184,000 重力式 F・N・A・P ダム地点を下流に移し横山ダムとして1964年(昭和39年)に完成したが、電源開発によって同地点にダム計画が立てられ日本最大の多目的ダム・徳山ダムとして2008年(平成20年)完成。 揖斐川 根尾川 黒津ダム 84.0 130,000 重力式 F・N・P 1950年代には立ち消え。 揖斐川 根尾川 根尾東谷川 根尾ダム 45.0 16,000 重力式 F・N・P 1950年代には立ち消え。その後上流部に1995年(平成7年)上大須ダムが完成。 揖斐川 牧田川 一之瀬ダム 32.0 6,710 重力式 F・N・P 1950年代には立ち消え。 信濃川 犀川 奈良井川 奈良井ダム 30.0 9,000 重力式 F・P 薮原ダムとの間で導水する発電計画であったが一旦立ち消え。その後長野県営の多目的ダムとして1982年(昭和57年)完成。 (注)目的の略号:F(洪水調節)、N(不特定利水)、A(かんがい)、P(水力発電) このダム計画はその後変更があり、最終的には木曽川の丸山ダムと揖斐川の横山ダム、王滝川の二子持ダムの三ダム計画に集約され、それぞれ1950年代後半から1960年代には完成を見た。ところが1959年(昭和34年)9月26日、近畿地方から中部地方を伊勢湾台風が襲来し、死者・行方不明者4,645人という戦後最悪の台風被害をもたらした。この台風では長良川・揖斐川流域の水害に加え名古屋市南区を始めとする伊勢湾沿岸地域での高潮が被害をさらに拡大させた。事態を重く見た政府は中曽根康弘を本部長とする「中部日本災害対策本部」を名古屋市に設置し、木曽川水系および伊勢湾沿岸一帯の治水・防災体制強化を図った。特に被害が甚大であった伊勢湾岸については防潮堤や防潮水門などの強化・建設を進め、これらの防潮施設は1990年代にはほぼ完成した。また長良川・揖斐川流域の治水機能を高めるため堤防の強化を進めると同時にダムによる治水の強化も検討し、横山ダムの洪水調節機能を強化する傍ら徳山ダム(揖斐川)や長良川河口堰(長良川)、板取ダム(板取川)の計画が持ち上ることとなった。
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