日本の進出
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日本は内南洋方面の守りを固める目的で、陸海軍でオーストラリアの委任統治領であったラバウルとカビエンを攻略することを決めた。ラバウル航空隊は、中村忍大佐が指揮する水上機母艦「聖川丸」(第四艦隊所属)の水上機隊から始まった。1942年1月20-22日、日本海軍の第一航空艦隊がラバウルを空襲により制圧し、23日攻略に成功する。翌24日、「聖川丸」がラバウルに進出し、水上機基地を開設した。25日、横浜海軍航空隊の九七式飛行艇の一部が派遣されたが、敵機による被害を避けるために即日出発してニューアイルランド島の南東方にあるグリーン島に基地を移し、戦闘機隊の進出を待って2月4日にラバウルに基地を開設した。 1942年1月24日、千歳海軍航空隊の副長山中龍太郎中佐は飛行艇に便乗してラバウルに出発、陸軍の協力を得てラバウルの飛行場整備を行い小型機の離着陸の見込みがつき、岡本晴年大尉の指揮する九六式艦上戦闘機18機の進出が命じられた。慎重を期して航空母艦で輸送されることになったが、同隊は空母の経験者が少なく、25日、空母翔鶴・瑞鶴母艦飛行機隊の操縦員によって着艦収容された。26日、千歳空の操縦員によって発艦したが、天候不良で一度引き返して着艦未経験者を含む全機無事成功した。27日、再度発艦してカルビエンの飛行場に着陸したが、整備が不十分で2機が着陸時破損。整備員不在、燃料不足、天候不良の問題で同隊がラバウル進出を完了したのは31日のことであった。 2月10日、千歳空分遣隊と高雄海軍航空隊陸攻隊で第四海軍航空隊(森玉司令)を新編。1942年2月14日、第二十四航空戦隊司令部が進出し、いわゆる「ラバウル航空隊」の誕生となった。20日、ラバウル南方の最初の航空戦は、接近する米機動部隊に対し4空の一式陸上攻撃機17機が攻撃に向かったが、帰還機はわずか2機と開戦以来の最大の被害となった(ニューギニア沖海戦)。23日、第一航空隊陸攻隊(中攻隊)がラバウルに着任。24日からニューギニア島東南部、ポートモレスビー基地攻撃を開始。3月7日、陸軍南海支隊の一部のサラモア上陸、海軍陸戦隊のラエ上陸で終戦まで続くニューギニアの戦いが開始。3月8日、ラエ・サラモア攻略作戦に成功。その後、ソロモンは搭乗員の墓場といわれるほど激しい戦闘となり、5月3日のツラギ攻略で終結した。ラエ占領後のポートモレスビーは一進一退の攻防に終始し、ラバウルは零式艦上戦闘機の活躍により保持されていた。一方で3月31日、先のフィリピン攻略戦初期の爆撃行時に不時着、抗日ゲリラの捕虜となるも陸軍部隊に救出され復帰した1空の原田機(九六式陸上攻撃機)乗組員一同に対し、その処分に困じた海軍上層部がモレスビー基地陣地への攻撃・自爆命令を発している(一空事件)。 4月1日、第二十五航空戦隊が新編される。25航戦は編制上第十一航空艦隊の隷下だが、連合艦隊は軍隊区分で南洋部隊に配属させた。24航戦は開戦以来南洋部隊基地航空隊として南洋群島、南東の航空作戦に任じてきたが、25航戦の新編でマーシャル方面基地航空部隊となった。25航戦がラバウル方面となり、24航戦の西方空襲部隊任務を引き継いだ。25航戦に台南海軍航空隊、四空、横浜空が、24航戦に千歳空、1空、14空が編入された。台南空は、ラバウルおよびラエ方面で作戦中だった4空の戦闘機隊の人員、機材の大部分を吸収し、バリ島およびクーパンに展開中だった台南空本隊もラバウルに進出した。10日、1空は後退し本土木更津で再建に入る。5月3日、浜空(横浜海軍航空隊)飛行艇隊はガダルカナル島ルンガ泊地北東対岸に位置するフロリダ島南端小島のツラギに進出する。 詳細は「珊瑚海海戦」を参照 5月7日、ポートモレスビー攻略作戦の前哨戦となった珊瑚海海戦でニューギニア・ラエの戦闘機隊とラバウルの攻撃機隊が地上基地からの協同作戦で敵機動部隊への攻撃に向かう。一式陸攻31機で重巡洋艦中心の水上部隊と遭遇し雷撃するが一本の命中もなくこちらの被害は甚大だった。しかし、攻撃隊は戦果を「型不明戦艦一隻撃沈、重巡一隻大破」と過大に報告し、さらに過大な戦果が発表された。この海戦で第四艦隊が米機動部隊と交戦し空母を損傷、ポートモレスビー攻略部隊はこの妨害で作戦に失敗し、一時中止した後に作戦を将来陸路から攻略することに変更された。5月末から数ヶ月間、数次にわたり1空先遣隊(千歳空の一部と混成)がラバウルに補給される。6月5日 ミッドウェー海戦の敗北を受け、ミッドウェー島進出部隊の錬成が中止される。7月末、ニューギニア島東南・ラエ基地戦闘機隊は連合軍側空襲激化のため一時撤収、ラバウルへ帰還する。
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