〒400-1513 山梨県中央市大鳥居
〒437-0205 静岡県周智郡森町大鳥居
〒520-2118 滋賀県大津市大鳥居
〒808-0133 福岡県北九州市若松区大鳥居
大鳥居
大鳥居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:42 UTC 版)
草薙駅そばの市道をまたいで建つコンクリート製「一の鳥居」が、1950年代から存在していたが、2020年に撤去された。
※この「大鳥居」の解説は、「草薙神社」の解説の一部です。
「大鳥居」を含む「草薙神社」の記事については、「草薙神社」の概要を参照ください。
大鳥居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 22:37 UTC 版)
1928年(昭和3年)建立のコンクリート製の大鳥居があったが2021年(令和3年)2月13日の福島県沖地震で損傷した。その後、2021年12月にステンレス製の大鳥居(高さ7.4m)が神社に寄進されることになった。
※この「大鳥居」の解説は、「相馬中村神社」の解説の一部です。
「大鳥居」を含む「相馬中村神社」の記事については、「相馬中村神社」の概要を参照ください。
大鳥居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 00:20 UTC 版)
「厳島神社大鳥居」を参照 境内の沖合約200mの地に立つ(北緯34度17分50.29秒 東経132度19分5.24秒 / 北緯34.2973028度 東経132.3181222度 / 34.2973028; 132.3181222 (大鳥居))。 現鳥居は明治8年(1875年)の再建である。棟の高さ16.6メートル、柱間10.9メートルの、大型の木造両部鳥居(各主柱に2本ずつの控柱がつく)である。主柱はクスノキの自然木で、控柱はスギ材である。主柱は1本が宮崎県岡富村(現西都市)、もう1本が香川県和田浜(現観音寺市)で切り出された。両柱とも、1950年の修理時に根継ぎを行っており、根継ぎ材は東柱が福岡県久留米市、西柱が佐賀県佐賀郡川上村大字池ノ上字池ノ上(現在佐賀市大和町池ノ上)で切り出されたものである。各主柱の立つ基礎は、千本杭といって、松材の丸太の杭を密に立てて打ち込んだもので、現在はその上をコンクリートと花崗岩で固めてある。鳥居はこの土台の上に約60tの自重で立っている。島木と笠木は箱状の構造で、これらの内部には拳大の石が約7t詰め込まれており、その重みによって大鳥居は自立し、風や波に耐えるようになっている。 奈良の春日大社・敦賀の気比神宮の大鳥居とともに「日本三大鳥居」に数えられる。現在のものは平清盛の造営時から8代目と言われる。扁額は有栖川宮熾仁親王の染筆で、沖側は「嚴嶋神社」、神社側は「伊都岐島神社」と記されている。 近年、大鳥居にできた亀裂の部分に、一部の観光客によって硬貨が差し込まれるケースが多発している。神社側は「鳥居の柱の老朽化が進む虞があり、止めてほしい」と呼び掛けている。
※この「大鳥居」の解説は、「厳島神社」の解説の一部です。
「大鳥居」を含む「厳島神社」の記事については、「厳島神社」の概要を参照ください。
大鳥居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 04:38 UTC 版)
満月寺境内にある日吉社の鳥居。室町時代の建立とされる。名前は大鳥居であるが、標準的な神社のものと比べても小さい部類に入る。大分県指定有形文化財。 五輪塔 少し離れた場所に計3基の五輪塔がある。いずれもそれぞれ1つの石を削って五輪塔全体を刻み出した珍しい様式である。山王山石仏横の急な山道を上った所にある。 1基は、日吉神社境内近くにある。大部分が地中に埋没しているため、正確な高さは不明。大分県指定有形文化財。 残る2基は、上記の場所からさらに数百メートル奥にある大小2基の石塔。大きい方は嘉応2年(1170年)、小さい方は承安2年(1172年)の銘があり、日本で最も古い五輪塔の1つと言われている。国の重要文化財であり、特別史跡の「附」指定。 深田はす畑 満月寺前。2000年から拡張された。花の見頃の7月中旬から8月上旬に石仏の里蓮まつりが行われる。象鼻杯体験、ゆうはすの唄コンサートなどを実施。また、付近の料理店では蓮料理も提供(予約制)される。 深田の鳥居 国道502号臼杵石仏入口交差点付近。南北朝時代または室町時代前期作。高さ約3.3m。県指定有形文化財。
※この「大鳥居」の解説は、「臼杵磨崖仏」の解説の一部です。
「大鳥居」を含む「臼杵磨崖仏」の記事については、「臼杵磨崖仏」の概要を参照ください。
大鳥居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 06:32 UTC 版)
境内入口に建てられている大鳥居は、江戸時代前期の正保2年(1645年)の造営。木造朱塗の両部鳥居で、高さ36尺(10.93メートル)・柱間24尺である。扁額「氣比神宮」は有栖川宮威仁親王の染筆になる。 神宮の境内入り口は古くは東側にあったため(「社殿造営」節参照)、初代鳥居は弘仁元年(810年)に境内東側に建てられていたが、その鳥居は康永2年(1343年)に大風で倒壊したという。そして、寛永年間(1624年-1644年)に佐渡の旧神領地の鳥居ケ原から奉納された榁(むろ)の大木を使用して、現在の大鳥居が境内西側に建てられたと伝える。この鳥居は空襲の被害を免れており、国の重要文化財に指定されている。また、奈良の春日大社・広島の厳島神社の大鳥居とともに「日本三大鳥居」にも数えられている。
※この「大鳥居」の解説は、「氣比神宮」の解説の一部です。
「大鳥居」を含む「氣比神宮」の記事については、「氣比神宮」の概要を参照ください。
大鳥居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 06:32 UTC 版)
「貴布禰神社 (尼崎市)」の記事における「大鳥居」の解説
境内南側入口にある。高さ約7m。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で全壊したため、翌年新たに鋼板製にて再建された。色が深緑となっているのは、社殿とのバランス、国道43号沿いという環境事情から汚れの目立たない色が選ばれたためである。
※この「大鳥居」の解説は、「貴布禰神社 (尼崎市)」の解説の一部です。
「大鳥居」を含む「貴布禰神社 (尼崎市)」の記事については、「貴布禰神社 (尼崎市)」の概要を参照ください。
大鳥居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 02:48 UTC 版)
伊勢のシンボルと言われる御幸道路にある大鳥居は1993年(平成5年)に建設されたものである。先代の大鳥居、は鉄筋コンクリート製で、1956年(昭和31年)に松下幸之助が寄贈して伊勢市駅前に建てられたが、駅前の道路拡張のため1988年(昭和63年)に撤去された。その後、伊勢市民の間で再建を望む声が上がり、それを新聞報道で知った桑名郡多度町(現桑名市)の勢濃工業株式会社社長・伊藤源一が伊勢市に寄贈して、御幸道路に再建された。鳥居は鋼鉄製で、高さ22.7m・幅19mあり、総工費は3億3千万円であったとされる。 当初鳥居の管理は伊勢市観光協会に委託されていたが、2008年(平成20年)度から伊勢市の管理となり、2010年(平成22年)度の予算6,634,950円をかけ2011年(平成23年)度に大鳥居の塗装工事が行われた。夜間にライトアップされる場合は通常はオレンジ色であるが、2007年(平成19年)6月24日の20時から22時まで環境省の「ブラックイルミネーション2007」の一環で消灯したことがあるほか、ライトアップされない場合もある。また、伊勢市にアイリッシュ・ネットワーク・ジャパン三重支部があることから、友好関係が深いアイルランドの祝祭日であるセント・パトリックス・デー(3月17日)の10日前後前から、アイルランドのナショナルカラーの緑色にライトアップされる。これは2007年の「日愛国交樹立五十周年」での東京タワーの緑色のライトアップに合わせたことに始まり、同年からアイリッシュ・ネットワーク・ジャパン三重支部が毎年実施しているものである。
※この「大鳥居」の解説は、「御幸道路」の解説の一部です。
「大鳥居」を含む「御幸道路」の記事については、「御幸道路」の概要を参照ください。
大鳥居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 04:14 UTC 版)
1959年(昭和34年)に竣工した、高さ17m・笠木22m・柱直径1.6mある鉄筋コンクリート造・朱塗りの鳥居。掲げられていた「倉持戎大宮」の扁額は畳3枚分の大きさがあったが、2015年(平成27年)現在、扁額は外されている。
※この「大鳥居」の解説は、「尼崎戎神社」の解説の一部です。
「大鳥居」を含む「尼崎戎神社」の記事については、「尼崎戎神社」の概要を参照ください。
大鳥居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/09/25 14:21 UTC 版)
大鳥居は御影石でつくられたもので、瀬戸内海の小豆島より産出されたものであると伝えられている。戸出地域がかつて千保川を通じて伏木、さらには瀬戸内海、京、大阪と繋がっていたことを示す貴重な歴史遺産となっている。 戸出町には本町川参道奥や寺町側にも同程度の大きさの鳥居があるが、「大鳥居」といえば本町側のこの鳥居を指す。 この大鳥居は加賀藩で屈指の豪商で、戸出の特産品である八講布や菜種などの問屋だった竹村屋茂兵衛の繁栄に肖るため、伏木の廻船問屋および7軒の船問屋のうちで最も実力のあった能登屋三右衛門とその持船の船頭らが、1853年3月、竹村屋茂兵衛の住む戸出の戸出野神社へ寄進したものであると考えられている。竹村屋茂兵衛の屋敷は、かつてこの大鳥居より西にあった。竹村屋茂兵衛は、船を持って伏木港を拠点として海運業を営み、財を築いたことで知られている。
※この「大鳥居」の解説は、「戸出野神社」の解説の一部です。
「大鳥居」を含む「戸出野神社」の記事については、「戸出野神社」の概要を参照ください。
大鳥居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:03 UTC 版)
「豊国神社 (名古屋市)」の記事における「大鳥居」の解説
豊国神社への通り(名古屋市営地下鉄東山線中村公園駅の真上)には大鳥居が建っている。大鳥居は鉄筋コンクリート製で高さ約24m、柱の直径は2.4mである。 1929年(昭和4年)に住民らの寄付で完成した大鳥居は、市道上にあるが名古屋市の所有ではなく、豊国神社や民間のものでもなく、名古屋市緑政土木局は大鳥居について「所有者不明の物件」としている。1970年と1993年に地域住民や企業などの寄付で補修された。 名古屋市編入百周年記念事業として黄金に塗り替える案があり、2022年2月から住民アンケートが行われている。
※この「大鳥居」の解説は、「豊国神社 (名古屋市)」の解説の一部です。
「大鳥居」を含む「豊国神社 (名古屋市)」の記事については、「豊国神社 (名古屋市)」の概要を参照ください。
- 大鳥居のページへのリンク