劇場版三部作
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1980年10月2日発売の『日刊スポーツ』で、「ポスト・ヤマトはガンダムだ」との見出しで本作の映画化のスクープが報じられた。 1週間後の9日には築地の東劇ビル最上階にあったレストラン「エスカルゴ」で公式に劇場版の製作発表記者会見がおこなわれた。富野や安彦のほか、日本サンライズや配給元の松竹からも複数の関係者が出席した大々的な会見となったが、その中で富野は、単なる再編集のダイジェスト版にはしたくない、43話を2時間半の1本の映画にまとめるのは不可能であり、何本かにならざるを得ないことを松竹に了承してもらった上でこの話を受けたと語った。もとより富野は映画化決定以前のインタビューでも、映画化するなら4部構成でやりたいと発言していた。しかし、現実的に続編の制作は1作目の業績次第であり、そのため劇場版第1作には富野が望んだ連番の "I" およびサブタイトルを付けることは(慣例的にも)許されなかった。 第1作の公開に先立つ1981年2月22日、プロモーションの一環として2つのイベントがおこなわれた。午前中には新宿松竹会館で入場者数を限定した「ガンダムフェスティバル」が開催され、大成功のうちに終了。そして午後には、新宿アルタ前(新宿東口ステーションスクエア)で「アニメ新世紀宣言大会」が開催された。「ガンダム5000人キャンペーン」と銘打たれたものの、実際には公称約2万人(各ファンクラブの集計によれば実数1万2千人)ものファンが詰めかけた。中には本作の登場人物やMSのコスプレ(当時はまだ一般的ではなく、雑誌『ファンロード』では「トミノコ族」と称された)をした者たちもおり、代表として「アニメ新世紀宣言」をスピーチしたファンもシャアとララァのコスプレをしていたが、このふたりはのちに富野の作品や『ガンダム』の続編にも携わることになる永野護と川村万梨阿であった。また、予想をはるかに超える動員によって警備員やボランティアによる整理が追いつかず、将棋倒しも起こりかねない危険な状況もあったが、富野がマイクを握り、ここで事故があれば世間は「所詮はアニメファンのイベント」と判断するだろうと発言したことで参加者は冷静さを取り戻したといわれ、イベントは無事に終了した。 結果的に、劇場版第1作は大ヒットに終わった。特に前売り券は行列ができるほどの驚異的な売れ行きを見せ、続編の実現の鍵になったとされる。続編においても行列はファンが参加できる「祭り」として重要な役割を担ったという。最終的には、当初の構想より少ない3部構成でテレビ版の最終話までの映画化が実現された。 2000年に初めてDVD化されたが、「特別版」として音声をドルビーデジタル5.1chにするためにオリジナルキャスト(一部除く)でアフレコし直され、効果音やBGMの一部も変更されたものであった(大きな違いの例としては、IIIのエンディングのスタッフロール部分がオリジナル版は「ビギニング」が流れたが、特別版は「めぐりあい」がそのまま続けて流れる等)。2007年の『機動戦士ガンダム 劇場版メモリアルボックス』ではオリジナル音声で改めてDVD化され、2012年には3作それぞれ単独でも発売された。 その後も、本作の節目の年には劇場版がさまざまな形で上映された。テレビ放送開始から30周年の2009年には、三部作のHDリマスター版のDLP興行が6月から7月にかけて各地の映画館でおこなわれた。2019年には「機動戦士ガンダム40周年プロジェクト」の一環として、8月に「劇場版『機動戦士ガンダム』シネマ・コンサート」と題し、劇場版第1作の上映に合わせてフルオーケストラ(編曲・指揮 - 服部隆之 / 演奏 - 東京フィルハーモニー交響楽団)が劇中の音楽パートの生演奏をおこなった。また、「ガンダム映像新体験TOUR」としてガンダムシリーズの劇場版が特殊スクリーンで上映されたが、本三部作も9月から10月にかけてULTIRAで、2020年1月にはDOLBY CINEMAで上映された。2021年には、YouTubeの「ガンダムチャンネル」で1月下旬から2月上旬にかけて3作それぞれ24時間限定配信、10月の「サンライズフェスティバル2021」では4Kで3作連続で上映されたほか、11月には3つのイベントで上映された(1つは第1作のみ)。 機動戦士ガンダム(劇場版) テレビ版の第1話から第14話前半までを再編集した第1作で、1981年3月14日に全国松竹系にて公開された。配給収入は9億3700万円。 機動戦士ガンダムII 哀・戦士編 第16話から第31話前半までを再編集した第2作で、1981年7月11日に公開された。本作では、テレビ版と第1作の録音監督である松浦典良が降板。「松浦さんが降りるなら、僕たちも降りる」と古谷徹、鈴置洋孝、井上瑤、鵜飼るみ子と主だった声優陣が松浦に続こうとしたが、サンライズは拒否した。結局、自宅を訪れた声優陣を松浦が説得したことで騒動は収束したが、松浦は復帰せず録音監督は浦上靖夫に交代、この騒動の余波で『ガンダム』の声優陣の待遇が改善されたという。配給収入は7億7000万円。 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙(そら)編 第31話後半から第43話までを再編集した第3作で、1982年3月13日に公開された。75パーセントが新撮であった。テレビ版の終盤で降板した安彦良和が前2作以上に多くの新作カットを担当したこともあり、作画のクオリティはテレビ版より大幅に向上している。配給収入は、同年公開のアニメ映画で第1位の12億9000万円のヒットを記録した。
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