八紘一宇
八紘一宇とは、八紘一宇の意味
八紘一宇とは全ての世界を1つにして、1つの家のようにまとめることである。または、天下を1つの家のようにまとめることを示している。大きな屋根で世界を覆うことで、1つにまとめることを指すのが八紘一宇だ。第二次世界大戦のときには、日本が国家の理念として打ち出している言葉で、海外進出を正答するためのスローガンとしても使われている。八紘一宇の語の由来・語源
八紘一宇は『日本書紀』の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」という一文に由来している。この一文が世界を1つの家のようにすると解釈したことで、八紘一宇という四字熟語が生まれた。日本書紀の記述だと「八紘為宇」だが、第二次世界大戦中に使われたスローガンでは「八紘一宇」という漢字が最初に使われた。また「八紘」が示すのが天地の八方の隅や地の果てまでを指して全世界の意味で使われる。そして「宇」は大きな屋根で覆われた家を示している。八紘一宇の語の使い方(用法)、例文
八紘一宇は日常生活の中で使われる場合は少なく、歴史的や政治的な文脈で使われることが多い言葉だ。例文には以下のものがあげられる。 ・彼は八紘一宇を提唱していたが、戦争は批判する側の人間だった。 ・地球はみんなのものだから、八紘一宇の思いで地球温暖化対策に取り組みたい。 ・世界の人すべてが八紘一宇の精神でつながったら、戦争のない世界になるかもしれない。 ・八紘一宇は、世界征服の野望のために使われるべき言葉ではない。八紘一宇の類語と使い分け
八紘一宇の類語には、「東亜新秩序」があげられる。東亜新秩序とは、日本をトップにした東アジアにおける広域ブロック化の構想のことである。第二次世界大戦中に公式文書で使われた点、統一と平和を掲げながら海外侵略の口実として使われた点など八紘一宇との共通点が多い。また八紘一宇と同じように、東亜新秩序という言葉も戦後はGHQによって使用が禁止されている。東亜新秩序の思想的根拠が八紘一宇だという見方も可能だ。 「四海兄弟」も八紘一宇の類語の1つだ。「四海」が四方の海のことを指し、世界中を意味している。そこから四海兄弟は、人種や国籍・民族などは関係なく、世界中の人はみんな兄弟のように仲良くできるという意味を持つ。また、兄弟のように仲良くするべきだという意味でも使われる。八紘一宇は、戦争や政治によって支配するというイメージが強い言葉が、四海兄弟は、八紘一宇と比較すると友好的な意味合いで使われることが多い。八紘一宇の英語
八紘一宇の英語表現は、「making the world one home」となる。この表現は、A級戦犯を裁いた東京裁判で使われた表現でもある。はっこう‐いちう〔ハツクワウ‐〕【八×紘一宇】
八紘一宇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/27 21:05 UTC 版)
八紘一宇(はっこういちう、旧字体:八紘一宇、英語: Eight crown cords, one roof)、または八紘為宇[1](はっこういう、旧字体:八紘爲宇)とは、「天下を一つの家のようにすること」または「全世界を一つの家にすること」を意味する語句であり[2]、「天皇総帝論」、「唯一の思想的原動力」等ともいう[3]。『日本書紀』の「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむ」を、全世界を一つの家のようにすると解釈したもの[4]。
- 1 八紘一宇とは
- 2 八紘一宇の概要
八紘一宇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 05:30 UTC 版)
詳細は「八紘一宇」を参照 八紘一宇とは日本建国の主義である「道義的世界統一」を意味する。大正2年3月11日に機関紙、国柱新聞「神武天皇の建国」にて言及。 この言葉の典拠となったのは『日本書紀』巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」にある 「上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎」(上は則ち乾霊の国を授けたまいし徳に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや。) 日本書紀巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条の「令」 であるが、智學は「下則弘皇孫養正之心。然後」(正を養うの心を弘め、然る後)という神武天皇の宣言に初めて着眼し、「養正の恢弘」という文化的行動が日本国民の使命であり、その後の結果が「八紘一宇」であると、「掩八紘而為宇」から造語した。 八紘一宇という言葉は、戦後、軍国主義のスローガンであったかのように言われているが、造語した智學は1922年(大正11年)出版の『日本国体の研究』に以下の記述をしている(智學は他に戦争を批判し死刑廃止も訴えている)。 人種も風俗もノベラに一つにするというのではない、白人黒人東風西俗色とりどりの天地の文、それは其儘で、国家も領土も民族も人種も、各々その所を得て、各自の特色特徴を発揮し、燦然たる天地の大文を織り成して、中心の一大生命に趨帰する、それが爰にいう統一である。 — 『日本国体の研究』 - 国立国会図書館(p325)原著p664 また、日蓮主義者としての智學像が強い為、八紘一宇は「日蓮を中心とした世界統一」を意味して造語された、との解説が流布されているが、それは誤りである。もちろん智學の国体観の根底には、日蓮主義があり、「日蓮上人によって、日本国体の因縁来歴も内容も始末も、すっかり解った」 とまで述べているが、それは仏法・覚道、即ち法華経の一念三千の法門、並びに日蓮の三大秘法の法門によって日本国の理義が明らかになり解決を得た。という事であり、それに伴う王法・治道の研究によって、神武天皇建国の宣言から明らかにしたのが、八紘一宇である。
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八紘一宇
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1939年(昭和14年)に入り、きよめの友には「新東亜建設の新春を賀す」との文章が載せられた。元旦から三日間、日本民族に与えられた神の義を力説した。1月26日の機関紙の文章では、宗教団体法は統制上必要とあればやむをえないとして、賛成した。2月9日には、ジャバ島で伝道していたきよめ教会の宮平秀昌が十数年前に、オランダ政府より退去命令を受けた事件を記して、八紘一宇の理想を実行するために、キリスト教が必要であると述べた。 1939年2月11日の紀元節の連合礼拝では、君が代斉唱、宮城遥拝、愛国行進曲等を歌い、紀元節を祝い、中田は日本は皇道の上に立つ特殊の国であると述べた。 4月のきよめ大会では、監督の下に総務を置き、一切の教務を取り扱うようになった。また、地方分権を廃止して、監督の直轄権を強化した。
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八紘一宇
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詳細は「八紘一宇」を参照 大東亜共栄圏を語る上で重要な概念にこの語がある。この語は日本が大東亜共栄圏の建設を推進するための政策標語(スローガン)として広く掲げられた。
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八紘一宇と同じ種類の言葉
日本書紀に由来する四字熟語 | 天孫降臨 天壌無窮 八紘一宇 |
日本書紀に由来する古典の言葉 | ささがねの 八紘一宇 |
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