倫理思想
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ギリシア・ローマ社会において貧者はさげすみと不安の対象であったが、アレクサンドリアのクレメンスは『救われる富者は誰か』において富者が貧者を救済することは自らの救済につながると主張した。 キリスト教は、霊と肉の別を主張し、性欲を罪の最たるものとしたが、これはギリシア・ローマ社会において独特の主張であった。童貞や処女であることも一種の理想とされた。ただし、こうしたキリスト教の性倫理はユダヤ教の厳格な性倫理を受けついだものでもあり、また、タキトゥスやスエトニウスが記録したように当時キリスト教は性的紊乱という中傷を受けていたため、教会は性倫理を重視せざるをえなかったことも背景にある。 ドゥ・サント・クロワは、キリスト教はローマ社会ともっと妥協しており、イエスの「神と富とに仕えることはできない」という教義も文字通りには実践されずに、教会もすすんで富を求め、また富者の信徒の発言力も強かったという。2世紀から3世紀にかけて教会の教職には手当が支払われ、他の迫害された教会に献金を贈ることなどからも、教会が富をタブー視していなかったことが判明している。 また、教徒のなかにはローマ軍兵士になるものもおり、3世紀には将校の教徒マルケッルスがローマ祭儀を拒否して処刑されている。また、伝承では、ローマ軍内にキリスト教徒兵士部隊があったとも記されている。いずれにしても、キリスト教教会が当時反戦や反軍隊を教義として主張したことはなかった。 このほか、奴隷を教会は受けいれたが、教会は奴隷制そのものを非難することもなく、奴隷所有者としての立場にあまんじ、奴隷解放にも消極的であったともいわれるなど、従来の説の見直しが様々に行われてきている。
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倫理思想
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ロックが『人間悟性論』によって観念の生得性を否定したことは倫理思想においても大きな影響を及ぼした。ロックにおいては倫理学的本質が実在的性質を持ち、経験的に把握されると説かれた。これは純粋理性と実践理性による推理を同質なものと見なす素朴な考え方に基づいており、理性レベルにおける良心の共有というような曖昧な証明にとどまっている限り、認識論の深化によって糾弾されるべきであった。 実際啓蒙主義が純粋理性的認識と実践理性的認識を等価値にしていたことは、倫理的な問題をしばしば機械論的人間論に還元してしまったり、社会による人間疎外の問題にしてしまった。純粋に道徳的価値が議論されることは稀であった。モーペルテュイは『道徳哲学試論』のなかで快と不快によって量的にあるいは幾何学的に道徳的価値が判断可能であるとした。またヴォルテールはしばしばパスカルの懐疑論を批判したが、積極的な倫理思想を展開することが出来ず、現実肯定的に「寛容」を主張するにとどまった。パスカルに比べると啓蒙主義の倫理思想は概して表層的であった。 ヒュームは『人性論』においてロックの経験論的立場を徹底させ、あらゆる観念の理性による基礎付けを否定した。実在的本質と理性的推理の間に連関はなく、あるのはただ原因と結果のみであり、一般に理性により普遍で不変とされていたその推理過程は、一種の蓋然的な法則にすぎない。すなわち純粋理性の否定である。またヒュームによって実践理性の領域である道徳を純粋理性の真偽と同じように判断することは不可能であるとされ、それらは行為や事物の実践的把握に必然的にともなう印象によるとされた。この印象は共感というかたちで一定の社会あるいは人々の間に共有されているものであり、社会的基盤を持つ。この共感が社会的基盤をもつということは、道徳的価値判断が純粋理性によるものではないことを示しており、ヒュームは純粋理性と実践理性を分離するとともに、啓蒙主義的立場による道徳の把握に根元的な批判を加えた。 ヒュームの重要な指摘を継承し、啓蒙主義以後の倫理思想を支えたのはベンサムら功利主義とカントに始まるドイツ観念論である。 ベンサムはヒュームの指摘を受けて、道徳的原則が社会基盤を持つという立場をより深化させ、社会的基盤から生じる人間の根本的な要素として快楽と苦痛を設定した。『道徳および立法の諸原理』のなかで快楽と苦痛を数学的に計算することで、道徳的問題は解決可能であるとした。この著作が立法的な問題にも触れているということが示すように、ベンサムはこれらの道徳原則はそのまま社会の立法原則にも適用可能であるとした。 ベンサムの理論を批判的に発展させ、ある意味ヒューム的立場に回帰させたのはジョン・スチュアート・ミルである。ミルはベンサムの快楽と苦痛による単純な理論を批判して、勇気や誠実といったような質的な評価も考慮すべきと述べた。また道徳的制裁としてベンサムが法律による規制などの外部的制裁を重視したのに対し、ミルはヒューム的で内面的な良心を設定し、外部的制裁以上に重要なものであると述べた。 功利主義は経験論的な伝統に立っており、先験的な超越論道徳論には批判的でその意味においてイギリス経験論の正統な後継者であった。また方法論的には心象を重視する心理学的立場をとった。 イマヌエル・カントはヒュームによって打ち立てられた純粋理性と実践理性の分析的立場を継承し徹底した。彼はヒュームに従って純粋理性を否定した。すなわち『純粋理性批判』によって純粋理性の外界である物自体を想定し、それを経験則から分離した。一方で実践理性には物自体や経験則とは別個に実践主義的な原理を想定し、それを格率と名付けた。この格率は個別的に個人に存在するものであるが、同時に何らか普遍的な道徳法則との同一性を目指すものと規定した。カントは普遍的な道徳法則とは、ある行為に対して無条件的に「こうしろ」と命令する定言的命令にあるとした。普遍的な道徳法則の行為主体は目的自体として物自体と同じように個人の実践理性(すなわち格率)の外側に設定した。カント以前の道徳哲学は理性主義を取るにせよ、必ず個人の内面に道徳的原則を設定していたが、カントによって目的自体(定言的命令として表現される)と格率という形で分離が果たされ、同時に不可知論的立場が設定されたため、啓蒙主義的理性主義は道徳哲学からも追放されるに至った。
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