倫理思想とは? わかりやすく解説

倫理思想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 00:26 UTC 版)

初期キリスト教」の記事における「倫理思想」の解説

ギリシア・ローマ社会において貧者さげすみと不安の対象であったが、アレクサンドリアのクレメンスは『救われる富者誰か』において富者貧者救済することは自らの救済につながると主張したキリスト教は、霊と肉の別を主張し性欲を罪の最たるものとしたが、これはギリシア・ローマ社会において独特の主張であった童貞処女であることも一種理想とされた。ただし、こうしたキリスト教性倫理ユダヤ教厳格な性倫理を受けついだものでもあり、また、タキトゥススエトニウス記録したように当時キリスト教性的紊乱という中傷受けていたため、教会性倫理重視せざるをえなかったことも背景にある。 ドゥ・サント・クロワは、キリスト教ローマ社会ともっと妥協しており、イエスの「神と富とに仕えることはできない」という教義文字通りに実践されずに、教会すすんで富を求め、また富者信徒発言力強かったという。2世紀から3世紀にかけて教会教職には手当支払われ、他の迫害され教会献金を贈ることなどからも、教会が富をタブー視していなかったことが判明している。 また、教徒なかにはローマ軍兵士になるものもおり、3世紀には将校教徒マルケッルスローマ祭儀拒否して処刑されている。また、伝承では、ローマ軍内にキリスト教徒兵士部隊があったとも記されている。いずれにしてもキリスト教教会当時反戦反軍隊を教義として主張したことはなかった。 このほか、奴隷教会は受けいれたが、教会奴隷制そのもの非難するともなく奴隷所有者としての立場にあまんじ、奴隷解放にも消極であったともいわれるなど、従来の説見直し様々に行われてきている。

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倫理思想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:33 UTC 版)

啓蒙思想」の記事における「倫理思想」の解説

ロックが『人間悟性論』によって観念生得性否定したことは倫理思想においても大きな影響及ぼしたロックにおいては倫理学本質実在的性質持ち経験的に把握される説かれた。これは純粋理性実践理性による推理同質なものと見なす素朴な考え方基づいており、理性レベルにおける良心共有というような曖昧な証明とどまっている限り認識論深化によって糾弾されるべきであった実際啓蒙主義純粋理性認識実践理性認識等価値にしていたことは、倫理的な問題をしばしば機械論的人間論還元してまったり社会による人間疎外問題にしてしまった。純粋に道徳的価値議論されることは稀であったモーペルテュイは『道徳哲学試論』のなかで快と不快によって量的にあるいは幾何学的に道徳的価値判断可能であるとした。またヴォルテールはしばしパスカル懐疑論批判したが、積極的な倫理思想を展開することが出来ず現実肯定的に寛容」を主張するとどまったパスカル比べる啓蒙主義の倫理思想は概して表層的であったヒュームは『人性論』においてロック経験論立場徹底させ、あらゆる観念理性による基礎付け否定した実在的本質理性的推理の間に連関はなく、あるのはただ原因と結果のみであり、一般に理性により普遍不変とされていたその推理過程は、一種蓋然的法則にすぎない。すなわち純粋理性否定である。またヒュームによって実践理性領域である道徳純粋理性真偽同じよう判断することは不可能であるとされ、それらは行為事物実践的把握必然的にともなう印象によるとされた。この印象共感というかたちで一定の社会あるいは人々の間に共有されているものであり、社会的基盤を持つ。この共感社会的基盤をもつということは道徳的価値判断純粋理性よるものではないことを示しており、ヒューム純粋理性実践理性分離するとともに啓蒙主義立場による道徳把握根元的な批判加えたヒューム重要な指摘継承し啓蒙主義以後の倫理思想を支えたのはベンサム功利主義カントに始まるドイツ観念論である。 ベンサムヒューム指摘受けて道徳的原則社会基盤を持つという立場をより深化させ、社会的基盤から生じ人間根本的な要素として快楽苦痛設定した。『道徳および立法の諸原理』のなかで快楽苦痛数学的に計算することで、道徳的問題解決可能であるとした。この著作立法的問題にも触れているということが示すように、ベンサムはこれらの道徳原則そのまま社会立法原則にも適用可能であるとした。 ベンサム理論批判的に発展させ、ある意味ヒューム立場回帰させたのはジョン・スチュアート・ミルである。ミルベンサム快楽苦痛による単純な理論批判して勇気や誠実といったような質的な評価考慮すべきと述べた。また道徳的制裁としてベンサム法律による規制などの外部的制裁重視したのに対しミルヒューム的で内面的な良心設定し外部的制裁以上に重要なのである述べた功利主義経験論的な伝統立っており、先験的な超越論道徳論には批判的その意味においてイギリス経験論正統後継者であった。また方法論的に心象重視する心理学的立場をとった。 イマヌエル・カントヒュームによって打ち立てられ純粋理性実践理性分析的立場継承し徹底した。彼はヒュームに従って純粋理性否定した。すなわち『純粋理性批判』によって純粋理性外界である物自体想定し、それを経験則から分離した一方で実践理性には物自体経験則とは別個に実践主義的な原理想定し、それを格率名付けた。この格率個別的に個人存在するのであるが、同時に何らか普遍的な道徳法則との同一性目指すもの規定したカント普遍的な道徳法則とは、ある行為に対して無条件的に「こうしろ」と命令する定言的命令にあるとした。普遍的な道徳法則行為主体目的自体として物自体同じよう個人実践理性(すなわち格率)の外側設定したカント以前道徳哲学理性主義を取るにせよ、必ず個人内面道徳的原則設定していたが、カントによって目的自体定言的命令として表現される)と格率という形で分離果たされ同時に不可知論立場設定されたため、啓蒙主義理性主義道徳哲学からも追放される至った

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