レギュラー放送開始とは? わかりやすく解説

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レギュラー放送開始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 19:59 UTC 版)

TWWAプロレス中継」の記事における「レギュラー放送開始」の解説

1968年1月3日から『TWWAプロレス中継』のタイトルで、毎週水曜 19:00 - 19:55レギュラー番組として放送開始同時に団体名も「TBSプロレス」と名乗った当初日本テレビの『日本プロレス中継』とは異なり、モノクロビデオ放送だった。定期放送第1回メインイベントは、『オープニング・ワールド・シリーズ』開幕戦日大講堂大会実況生中継王者ルー・テーズ草津挑戦するTWWA世界ヘビー級選手権試合で、放送開始時間に合わせて試合開始された。前述記者会見当初JNN加盟20局で放送発表されていたためか、後年文献ではそれが定説化されているが、ネット局あるよう静岡放送当初からのネット受けをしておらず(一説には『日本プロレス中継』を既に放送していた関係から日本テレビ日本プロレスと同番組提供三菱電機からの圧力により放送取り止めたと言われる)、このことから実際20ネットでなかったのが事実である。これらを考慮すると、静岡放送以外にもネット受けをしなかったJNN加盟局がある可能性もあり、放送当初正確なネット局数は不明である。なお、このTWWA選手権東郷画策1967年設立されたいわばお手盛りタイトルである。試合前、TBS関係者がテーズに対しエース目論んでいた草津に「花を持たせる」ことをそれとなく要求する歴戦をくぐり抜け何度となくNWA世界ヘビー級王座にも就いたテーズにとって、キャリア3年にも満たず大きな実績もない草津に負けることなど認めがたいことであり、大い憤慨吉原TBS側の無礼ぶりを認めたが、「TBSに顔が立たないから表面上は了承したふりをしていてほしい。でも実際に従う必要はない」とテーズに語り、テーズも了承する試合が始まると、草津受け身未熟であることを見抜いたテーズは、必殺バックドロップ見舞う。現在残され写真では、急角度危険なものではなかったが、食らった草津あえなく失神草津自身は、実際に失神はしておらず、セコンドにいた東郷指示寝ていただけだと語っている)。草津そのまま試合放棄敗戦となり、TBS目論みは潰れることとなった。「エース」がテレビ放映初戦このような無残な負け方をするなど前代未聞であり、その後国際苦難の道暗示した一戦といわれるライバル団体ある日プロレス関係者もこの試合酷評し長谷川淳三社長は「キャリア不足の草津がテーズに挑戦するなど、力道山尊敬していたテーズを冒涜している」として、急遽本番開始当日蔵前国技館興行ぶつけて興行戦争仕掛け、かつ日本テレビ17:30からの1時間特番放送した他、当日蔵前大会直後アメリカ遠征出発するため、東京国際空港に行く途中で立ち寄ったベースボール・マガジン社当時神田錦町所在)でこの試合本番組で観戦していた上田馬之助も、「草津試合ぶりはプロとして恥ずかしく、しかも動きが幼稚」などとコメントした草津VSテーズは1月8日行われた鹿児島県体育館大会でノンタイトル戦で再戦が行われ(この試合もテーズの勝利)、TBS労働組合ストライキのため生中継中止となった1968年4月24日生中継代替として録画中継された。開始1か月間の視聴率も『日本プロレス中継』と互角で、『日本プロレス中継』を隔週金曜20時台放送から、毎週金曜20時台への放送変更させたほどであった一方で社外モニター上田同様に厳し評価下し同年1月24日実況生中継された台東区体育館大会(テーズVSダニー・ホッジなどを放送)に関し電通TBS提出した社外モニター報告書では「テーズ・ホッジは一流で、ぶざまな負け方をした杉山・豊登・草津よりも役者が上だった」などと記されている。 1968年2月19日開催の『TWWAワールド・タッグ・シリーズ』静岡県浜松市体育館大会テレビ未放送)では、東郷TBSプロレスとの間で、ブッキング料を巡るトラブル発し東郷招聘した外国人選手全員ファビュラス・カンガルーズアル・コステロ&ドン・ケントフレッド・カリー、『オープニング・ワールド・シリーズ』から残留参戦したホッジブルドッグ・ブラワー)の試合出場ボイコットさせ、TBSも、同年2月21日放送分を1月12日開催の『オープニング・ワールド・シリーズ』九電記念体育館録画中継変更した。『オープニング・ワールド・シリーズ』と『TWWAワールド・タッグ・シリーズ』では万が一の際の予備中継予定がない会場でも番組収録が行われ、一部放送された(後述)。同時に団体名TBSプロレスから国際プロレス戻った。翌2月20日には、国際プロレス会見開き東郷との絶縁並びに外国人招聘ルートヨーロッパ変更することを発表した他、東郷外国人選手全員も、2月23日記者会見開き国際との絶縁並びに外国人選手全員帰国させることを発表した1968年2月28日開幕の『日欧決戦シリーズ』からはヨーロッパルートによる外国人招聘開始。同シリーズにはトニー・チャールズらが参戦したが、東郷とのトラブル受けて急遽招聘だったため観光ビザでの来日となり、開幕戦栃木県足利市月丘高校体育館大会実況生中継)は入場無料チャリティー興行として開催次期の「日・欧チャンピオン決戦シリーズ」では、ビル・ロビンソン初来日した。 しかし、鹿児島大会における草津VSテーズ戦の放送を境に、放送形態生中継よりも録画中継メインとなり、全試合録画中継というシリーズもあったため、主要スタッフ国際プロレスサーキットに2〜3戦帯同した場合があった他、収録から1か月〜2か月後に録画中継されるケースもあった。以降国際プロレス中継におけるこの基本的な放送フォーマットは、本番組の他にも、後継番組である東京12チャンネル(現:テレビ東京)『国際プロレスアワー』にも継承されるテレビ中継が行われる大会は、JNN加盟局所在する地域行われた大会がほとんどで、JNN加盟局所在しない地域開催され大会中継したのはわずか4大会しかなかった(後述)。当時TBS水曜日プロ野球中継20時からの放送としていたため、『日本プロレス中継』やNETの『NETワールドプロレスリング同様に休止になることは殆どなかった(後述)。 当時民放1局の地域だった岩手放送(現:IBC岩手放送)・山陰放送山陽放送(現:RSK山陽放送)・大分放送の4局では『日本プロレス中継』をネットした経験さえもなく(当時の4局は『近鉄金曜劇場』→『金曜20時台ドラマ』の同時ネット)、本番組が岩手島根岡山・大分の4県では初めてのプロレス放映となり、なおかつ岩手島根・大分の3県では、テレビ岩手テレビ大分開局並びに日本海テレビ島根県への電波乗り入れまで、岡山県ではテレビ岡山(現:岡山放送開局に伴う『NETワールドプロレスリング開始までは唯一のプロレス中継番組となった他、当時日本プロレス中継』の非ネット地域だった新潟福岡の2県でも、新潟総合テレビ(現:NST新潟総合テレビ)と福岡放送開局に伴う『日本プロレス中継ネット再開まで唯一のプロレス中継番組となった。特に岩手県宮城県の2県で行われた興行は、岩手放送東北放送本番開始当時東北地方所在しJNN加盟局はこの2局のみだった)が当時圧倒的に強かったのも相まって国際プロレス日本プロレスよりも興行成績上回っており、岩手県行われた興行における実況生中継番組収録も、1973年以外毎年のように盛岡市以南東北本線沿線の各都市行っていたほどだった(後述)。日本プロレス首脳陣も「岩手県宮城県ではBI砲がいてもテレビ中継なくては国際には勝てない」と言わしめたほどだった。さらに当時国道45号沿線プロレス興行黄金ルート呼ばれていた。 1968年11月4日開幕した第1回ワールド・チャンピオン・シリーズ」では、ロビンソンジョージ・ゴーディエンコピーター・メイビアジョン・ダ・シルバなどの豪華外国人招聘し、ロビンソン初代IWA世界ヘビー級王者となった1969年1月1日には、宮崎県体育館大会生中継が行われ、2年連続年始シリーズ開幕戦生中継となり、翌週8日にも宮崎大会録画中継された。同時に木村政雄リングネームも、本名からラッシャー木村改められた。 1968年から1969年にかけて初来日果たした主な外国人選手には、ロビンソンやゴーディエンコ、メイビアら以外にも、「'68ワールド・サマー・シリーズ」ではワイルド・アンガス、「'68ダイナマイト・シリーズ」ではアル・ヘイズとミスター・ギロチン初代ケンドー・ナガサキ)、「'69国際ゴールデン・シリーズ」ではダニー・リンチパット・ローチ、「'69ワールド選抜シリーズ」ではドリー・ディクソンアルバート・ウォール、「'69ダイナマイト・シリーズ」ではジャン・ウィルキンスダニー・リトルベア、「'69ビッグ・サマー・シリーズ」ではスタン・ザ・ムースオックス・ベーカー、「'69ロイヤル・シリーズ」ではバディ・コルトなどがいる。1970年には「'70新春チャレンジ・シリーズ」においてモンスター・ロシモフ初来日し、同じく初来日となるバーン・ガニア2月3日開催広島県立体育館大会(翌4日録画中継)から2月9日開催岩手県盛岡市体育館大会3月4日録画中継)まで特別参戦した1968年 - 1969年視聴率20%台で、1968年年間視聴率ベスト15に入る健闘見せた。しかし、1968年11月13日放送された「第1回ワールド・チャンピオン・シリーズ」盛岡市体育館実況生中継草津&木村VSロビンソン&メイビアIWAワールド・シリーズ公式戦豊登VSシルバ放送)の27.2%を最後に以降視聴率25%超えることはなかった。

※この「レギュラー放送開始」の解説は、「TWWAプロレス中継」の解説の一部です。
「レギュラー放送開始」を含む「TWWAプロレス中継」の記事については、「TWWAプロレス中継」の概要を参照ください。

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