時代錯誤
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時代錯誤(じだいさくご、英: anachronism アナクロニズム[1])とは、時勢、つまりその時代の傾向に合わないこと。特に、時代に遅れた古い考えや行動についていう[2]。「アナクロ」とも[1]。
概説
時代錯誤とは、時代の異なるものを他の時代のものと混同してしまうこと。または、気づいていても心理的にそれを受け入れられなかったり、既に過去のものとなったやり方などに固執するなど、時代の流れに逆行していること。
なお時代錯誤の「錯誤」とは、認識と事実とが一致していない状態のことである[2]。
コトバンクが掲載している『四字熟語を知る辞典』では次のような文章が例文として挙げてある[3]。
また、例文中に言及される王制については、英語圏でも時代錯誤だとしばしばと指摘されている[4]。
英語のanachronismeは、主たる意味は日本語の「時代錯誤」と同等であるが、逆向きの意味、つまり遠い過去のものごとを分析する時に、間違えて現代のものごとを持ち込んでしまうような失敗も指している[5]。歴史学では「アナクロニズム」は、遠い昔の社会や出来事を分析する時に、近年登場したものを当時普遍的なものであるかのように誤り、それを土台に分析したり論じたりしてしまう分析法のことである。それは、当時存在していなかったものを基準にしているわけであり、「存在しないものを基準に判断する」ということは、過去の時代のことを分析する場合でも(現代のことを分析する場合と同様に)誤ったことである。
フィクション
時代劇での時代錯誤(アナクロ)として、時代劇の劇中に現代の文物を間違えて登場させるという行為がある。
現代劇での時代錯誤(アナクロ)として、たとえば近年の社会問題を描くドラマにおいて、現代社会についての認識が古い脚本家が担当することとなり、その脚本家がすでに消滅した昔の社会制度や人間関係などをもとに、社会制度や人間関係の描写を脚本中でしてしまうことや、それがそのままドラマ化されたり放送されてしまうことが挙げられる。
テレビのフィクション作品では、時代錯誤に視聴者も気づくだろうと承知の上であえて故意に時代錯誤(アナクロ)をやってみて、その「おかしさ」(面白さ)を楽しませる番組もある。
「タイムスリップもの」では、その多くがアナクロを楽しむのが作品の基本となっている。たとえば半村のSF小説『戦国自衛隊』(公表年が1971年とすでに古い作品だが)では戦国時代に1970年当時の自衛隊がタイムスリップしたら...というありえない想定をして妄想を広げて作家自身が楽しみ読者も楽しませ、映画化もした。近年の作品では、たとえば2015年から掲載されたえすとえむによる漫画作品『いいね!光源氏くん』が平安時代の貴族が現代に現れるという、ありえない時代錯誤をさせて、物語の登場人物の"光源氏くん"のセリフも行動も意図的にアナクロ満載の状態にさせて読者を楽しませ人気となり、NHKのドラマにもなった。
脚注
関連項目
外部リンク
アナクロニズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 01:57 UTC 版)
「バルナバによる福音書」の記事における「アナクロニズム」の解説
『バルナバによる福音書』には非常に多くのアナクロニズムないし歴史的に場違いな物事が含まれていると指摘する読者もいる: 同書中でイエスはガリラヤからナザレまで海を渡って行く – しかしナザレは内陸にある; またそこからカファルナウムへ「登って」行く – 実際にはカファルナウムは湖岸にある都市である(第20–21章); ただしこの問題はBlackhirstで扱われていて、歴史上のナザレの位置はそれ自体謎であるという。 イエスはポンティオ・ピラトの統治下に生まれたとされているが、彼の統治は紀元後26年以降である。 バルナバはキリストとメシアが同義語だと気付いていない。キリスト(希: Χριστός)はメシア(ヘブライ語: משיח)のギリシア語訳で、どちらも「油を注がれた者」を意味する。そのためバルナバによる福音書は誤ってイエスを「イエス・キリスト」(つまりメシアのイエス)と呼んでおきながら「イエスは『私はメシアではない』と告白し真実を述べた」と言っている(第42章)。 聖年が100年ごとにあると言及される(第82章)が、レビ記:25では50年ごとである。このアナクロニズムは教皇ボニファティウス8世が1300年を聖年としたことと関係があると思われる; ボニファティウス8世はその後百年ごとに聖年とすると定めた。1343年にはクレメンス6世によって聖年の間隔が50年に縮減された。 アダムとイブがリンゴを食べる(第40章); ところが知恵の樹(創世記 2:9,17; 3:5)の果実がリンゴだという伝統的な観念は旧約聖書のラテン語訳による。ラテン語では「リンゴ」と「悪」がともに「malum」である。 バルナバによる福音書ではワインが木製の樽に貯蔵されているという描写がある(第152章)。木製の樽はガリアや北イタリアに特有のもので、ローマ帝国では300年頃までワインの貯蔵には一般的には用いられていなかった; さらに1世紀のパレスチナではワインは常に皮袋や瓶(アンフォラ)に入れて貯蔵されていた。ヨーロッパナラはパレスチナでは生育しない; そしてその他の木材では酒樽に使うには気密性が十分でない 第91章で「40日間」が毎年の断食期間として言及されている。これはキリスト教の伝統で四旬節に40日間断食することに一致している; しかしこの慣習は第1ニカイア公会議(325年)より以前には確認されていない。また当時のユダヤ教にも40日間断食をするという慣習は存在しなかった。 バルナバによる福音書中で旧約聖書が引用される際、その読みはギリシア語の七十人訳やヘブライ語のマソラ本文ではなくラテン語のヴルガータの読みに一致する。ヴルガータ聖書はヒエロニムスが382年以降に翻訳を始めたものであり、これはバルナバの死後数百年後である。 第54章ではこのように述べられている: 「彼は両替に加わったので金ひとかけらが六十枚の小銭(イタリア語でminuti)に変わったに違いない。」 新約聖書の時代にはアウレウス金貨一枚が最小単位のレプタ銅貨(ラテン語ではminutiと呼ばれる)3200枚の価値があった; 一方ローマで一般的だったデナリウス銀貨は128レプタの価値があった。バルナバによる福音書の交換比率は1:60だが、これは正典福音書の対応箇所(マルコ 12:42)の中世後期の読みと一致する。この読みはminutiを1/60を意味するものとする中世の一般的な解釈から生じている。 第91章ではユダヤ人の軍隊が三軍それぞれ20万人の兵士を含んで合計60万人の兵士がミツパに集ったと記録されているが、当時のローマ帝国の全軍でも30万人程度と推計されている。 第119章では同等の貴重さ・価値を持つものの例として砂糖と金を挙げている。しかし古代にはインドで砂糖の特性が知られていたが、6世紀に産業規模で生産されるようになるまでは甘味料として交易の対象になっていなかった。11世紀から15世紀にはヨーロッパへの砂糖の交易路はアラブ人が独占しており、その価値はしばしば金に比された。しかし15世紀半ばからはカナリア諸島およびアゾレス諸島に大規模なサトウキビ生産地が開かれ、砂糖は依然奢侈品ではあったが並外れて貴重な物とはみなされなくなった。
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