西暦紀元
(紀元後 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 10:40 UTC 版)
西暦紀元(せいれききげん、羅: 英: anno Domini、略号:AD)および西暦紀元前(英: before Christ、略号:BC)は、ユリウス暦やグレゴリオ暦の年を呼称するときに用いられる。通常、伝統的な西暦紀元には0年や負数の年は存在しないが、天文学では、0年や負数による西暦年を用いる。
注釈
- ^ ディオニシウス・ペタヴィウスはラテン語名、ドニ・プトはフランス語名である。
- ^ annoという言葉は大文字で書かれることがあるが、一般的な辞書によれば正しくない。単に代替的なものとして記載される程度である。
- ^ "before"という言葉は大文字で書かれることがあるが、一般的な辞書によれば正しくない。単に代替的なものとして記載される程度である
- ^ 紀元の最初の年は「紀元1年」であり、紀元100年までで100年間(第1世紀)となる。したがって第2世紀は紀元101年から始まり、紀元200年に終わる。このように世紀は後ろの桁に「01」と付く数の年から始まる(例えば、1801年、1901年、2001年など)。同様に千年紀も1001年および2001年から始まる。この考えは、世紀・千年紀は末尾の数字が0のときに始まる(1800年、1900年、2000年など)とする、より一般的な概念とは相反する。例えば、千年紀のお祝いは2000年に最も近い1999年の大晦日に行われることも少なくない。
出典
- ^ J・D・ブルゴワン『暦の歴史』池上俊一(監修)、南條郁子(訳)、創元社〈「知の再発見」双書〉、2001年5月20日、66頁。ISBN 978-4-422-21156-5。
- ^ Teresi, Dick (July 1997). “Zero”. The Atlantic .
- ^ a b Blackburn & Holford-Strevens 2003, pp. 778–9.
- ^ 岡崎(1996), p.191 岡崎は、マイアーの百科事典の記述「キリスト紀元のキリスト生誕以前の時代への適用は、D・ペタヴィウスが十七世紀に創始し十八世紀に一般に使用されるようになった」を引用している。
- ^ "Anno Domini". Merriam Webster Online Dictionary. Merriam-Webster. 2003. 2011年10月4日閲覧。
Etymology: Medieval Latin, in the year of the Lord
- ^ "anno Domini". Collins English Dictionary.
- ^ "anno Domini". American Heritage Dictionary. Houghton Mifflin Harcourt.
- ^ Chicago Manual of Style 2010, pp. 476–7; Goldstein 2007, p. 6.
- ^ "BC". Collins English Dictionary.
- ^ "before Christ". American Heritage Dictionary. Houghton Mifflin Harcourt.
- ^ "BC". Merriam Webster Online Dictionary.
- ^ Donald P. Ryan, (2000), 15.
- ^ Johannes Kepler (1615) (Latin). Joannis Keppleri Eclogae chronicae: ex epistolis doctissimorum aliquot virorum & suis mutuis, quibus examinantur tempora nobilissima: 1. Herodis Herodiadumque, 2. baptismi & ministerii Christi annorum non plus 2 1/4, 3. passionis, mortis et resurrectionis Dn. N. Iesu Christi, anno aerae nostrae vulgaris 31. non, ut vulgo 33., 4. belli Iudaici, quo funerata fuit cum Ierosolymis & Templo Synagoga Iudaica, sublatumque Vetus Testamentum. Inter alia & commentarius in locum Epiphanii obscurissimum de cyclo veteri Iudaeorum.. Francofurti : Tampach 2011年5月18日閲覧. "anno aerae nostrae vulgaris"
- ^ Kepler, Johann; Vlacq, Adriaan (1635). Ephemerides of the Celestiall Motions, for the Yeers of the Vulgar Era 1633... 2011年5月18日閲覧。
- ^ Sliter, Robert (1652). A celestiall glasse, or, Ephemeris for the year of the Christian era 1652 being the bissextile or leap-year: contayning the lunations, planetary motions, configurations & ecclipses for this present year ... : with many other things very delightfull and necessary for most sorts of men: calculated exactly and composed for ... Rochester. London: Printed for the Company of Stationers
- ^ The History of the Works of the Learned. 10. London: Printed for H. Rhodes. (January 1708). p. 513 2011年5月18日閲覧。
- ^ BBC Team (2005年2月8日). “History of Judaism 63BCE–1086CE”. BBC Religion & Ethics. British Broadcasting Corporation. 2011年5月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年5月18日閲覧。 “Year 1: CE – What is nowadays called the 'Current Era' traditionally begins with the birth of a Jewish teacher called Jesus. His followers came to believe he was the promised Messiah and later split away from Judaism to found Christianity”
- ^ Raphall, Morris Jacob (1856). Post-Biblical History of The Jews. Moss & Brother. オリジナルの11 May 2011時点におけるアーカイブ。 2011年5月18日閲覧。 The term common era does not appear in this book; the term Christian era [lowercase] does appear a number of times. Nowhere in the book is the abbreviation explained or expanded directly.
- ^ Robinson, B.A. (2009年4月20日). “Justification of the use of "CE" & "BCE" to identify dates. Trends”. ReligiousTolerance.org. 2018年7月1日閲覧。
- ^ William Safire (17 August 1997). “On Language: B.C./A.D. or B.C.E./C.E.?”. The New York Times Magazine .
- ^ Teresi, Dick (July 1997). “Zero”. The Atlantic .
- ^ Doggett, 1992, p. 579
- ^ 佐藤正幸『世界史における時間』(1版1刷)山川出版社、2009年、71頁。ISBN 978-4-634-34966-7。
- ^ Blackburn & Holford-Strevens 2003, p. 767.
- ^ Nineteen year cycle of Dionysius Introduction and First Argumentum.
- ^ Tøndering, Claus, The Calendar FAQ: Counting years
- ^ Mosshammer, Alden A (2009). The Easter Computus and the Origins of the Christian Era. Oxford. p. 347
- ^ Declercq, Georges, "Anno Domini. The Origins of the Christian Era" Turnhout, Belgium, 2000
- ^ Wallraff, Martin: Julius Africanus und die Christliche Weltchronik. Walter de Gruyter, 2006
- ^ Mosshammer, Alden A.: The Easter Computus and the Origins of the Christian Era. Oxford University Press, 2009, p. 254, p. 270, p. 328
- ^ Declercq, Georges: Anno Domini. The Origins of the Christian Era. Turnhout Belgium. 2000
- ^ Bede 731, Book 1, Chapter 2, first sentence.
- ^ Patrick, 1908
- ^ “General Chronology”. New Advent Catholic Encyclopedia. Vol III. New York: Robert Appleton Company. (1908) 2011年10月25日閲覧。
- ^ Werner Rolevinck in Fasciculus temporum (1474) used Anno an xpi nativitatem (in the ...(th) year before the birth of Christ) for all years between Genesis creation narrative|creation and Jesus. "xpi" is the Greek χρι in Latin letters, which is an abbreviation for Christi. This phrase appears upside down in the centre of Recto|recto folios (right hand pages). From Jesus to Pope Sixtus IV he usually used Anno Christi or its abbreviated form Anno xpi (on verso folios—left hand pages). He used Anno mundi alongside all of these terms for all years.
- ^ Steel, Duncan (2000). Marking time: the epic quest to invent the perfect calendar. p. 114. ISBN 978-0-471-29827-4 2010年6月1日閲覧。
- ^ Hunt, Lynn Avery (2008). Measuring time, making history. p. 33. ISBN 978-963-9776-14-2 2010年6月1日閲覧。
- ^ Petau, Denis (1758). search for "ante Christum" in a 1748 reprint of a 1633 abridgement entitled Rationarium temporum by Denis Petau 2010年6月1日閲覧。
- ^ C. R. Cheney (1945–2000). A Handbook of Dates, for students of British history. Cambridge University Press. pp. 8–14. ISBN 9780521778459
- ^ Dunn, James DG (2003). Jesus Remembered. Eerdmans Publishing. p. 324.
- ^ Doggett 1992, p579: "Although scholars generally believe that Christ was born some years before AD 1, the historical evidence is too sketchy to allow a definitive dating".
- ^ Paul L. Maier "The Date of the Nativity and Chronology of Jesus" in Chronos, kairos, Christos: nativity and chronological studies by Jerry Vardaman, Edwin M. Yamauchi 1989 ISBN 0-931464-50-1 pp. 113–129
- ^ New Testament History by Richard L. Niswonger 1992 ISBN 0-310-31201-9 pp. 121–124
- ^ Roger S. Bagnall and Klaas A. Worp, Chronological Systems of Byzantine Egypt, Leiden, Brill, 2004.
- ^ Patrick, 1908
- 1 西暦紀元とは
- 2 西暦紀元の概要
- 3 歴史
- 4 歴史的なキリストの誕生日
- 5 文献
紀元後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/05 16:38 UTC 版)
2世紀初頭 - 中国(後漢)の蔡倫が、紙の製法を確立。 これ以前にも紙は存在したが、文字の記録には向かないものだった。蔡倫は現在の紙のルーツとなるすき紙の製法を確立した。紙に文字を記録することが実用的に行えるようになり、以後、文字記録用の紙が普及しはじめた。 8世紀 - 製紙法が中国からイスラム世界に伝播。 タラス河畔の戦い (751年) で製紙法が唐からイスラム世界に伝わった。製紙法がヨーロッパまで伝わるのは比較的遅く、12世紀頃になる。 8世紀 - 日本や朝鮮で木版印刷が行われる。 日本の百万塔陀羅尼 (8世紀後半) など。 13世紀 - 中国(南宋)で活字を用いた活版印刷が行われる。 15世紀後半 - ヨーロッパで近代的な活版印刷の実用化と商業印刷の開始。 グーテンベルクが金属活字を用いた活版印刷術を確立した。活版印刷術はルネサンスの3大発明の1つに挙げられる。また、アルドゥス・マヌティウスは商業印刷の父とされる。 16世紀? - 黒鉛製の鉛筆の登場。 ヨーロッパでは16世紀に黒鉛鉛筆に関する記録が現れ、17世紀にはイギリスで量産されるようになった。 1700年頃 - ゴットフリート・ライプニッツが二進法を確立。 現代のデジタル記録技術の基本原理となっている。 1770年 - イギリスのジョゼフ・プリーストリーがゴムの消字性を発見。消しゴムが生まれる。 1791年 - イギリスでフェルトペンが発明される。
※この「紀元後」の解説は、「記録技術の年表」の解説の一部です。
「紀元後」を含む「記録技術の年表」の記事については、「記録技術の年表」の概要を参照ください。
紀元後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 03:10 UTC 版)
850年頃にリーテムでの塩の製造が初めて文献に記録された。本市はハールストラングの北向きの張り出し部に位置しており、城砦には理想的な立地であった。ヴェルル伯は900年頃にメシェデからヴェルルに移り、ヴェルル城を建設した。伯はその後さらにアルンスベルクに移った。その影響はドイツの皇帝一族にまで及んだ。950年頃に十字型の平面図を持つ私有教会が設けられた。これを建設したのはヘルマン1世伯であった。その基礎は発掘調査がなされた。この教会は1197年にアルンスベルク近郊のプレモンストラート会(ドイツ語版、英語版)ヴェディングハウゼン修道院に寄進された。ヘルマン1世は、ゲルベルガと結婚した。ゲルベルガはヘルマン1世の死後シュヴァーベン大公ヘルマン2世と結婚し、後の皇妃ギーゼラ・フォン・シュヴァーベン(990年 - 1043年)の母親となった。ヴェルル伯ヘルマンとその母ゲルベルガ・フォン・ブルグントの名が1000年に文献に記されている。
※この「紀元後」の解説は、「ヴェルル」の解説の一部です。
「紀元後」を含む「ヴェルル」の記事については、「ヴェルル」の概要を参照ください。
紀元後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:37 UTC 版)
「帆船時代」も参照 ギリシャ時代には、帆走船やガレー船が使われ、ローマ時代には、1世紀頃にヒッパロスがインド洋の季節風を利用したアラビア半島からインド南岸までの航路を開いた後はローマ - インド間の海上交易が行われた。 8-10世紀にはヴァイキングと呼ばれたノルマン人たちが独特の丈夫な船を駆って西ヨーロッパの海を支配していた。 一方、日本では、600年からの遣隋使船、618年からの遣唐使船も日本にとって発達した航海術を吸収する機会であったが、1401年からの勘合による日明貿易が開始され、これらの船(遣明船)には羅針盤が備わるなど確実な進歩を遂げていった。中国の鄭和の艦隊が15世紀、30年間に渡って中国沿岸からインド洋を席巻していた。中国の海洋進出が途絶えた後も、東南アジアからインド経由でヨーロッパに至る海のシルクロードが、商人と船乗りの手で長期に渡り維持された。 ヨーロッパでは、それまでのガレー船のラティーン・セイル(三角帆)に加えて、ヴァイキング船の横帆を取り入れた「キャラック船」を生み出した。15世紀初頭にはポルトガル人が、ラティーン・セイルと横帆を持つ小型の「キャラベル船」を生み出し、「エンリケ航海王子」の支援も受けて、外洋への航海に乗り出していった。 16世紀にはキャラック船を元にガレオン船が登場し、大航海時代になった。ガレー船は18世紀末まで地中海で、北欧のバルト海では19世紀初頭まで使用された。1807年にロバート・フルトンが作った外輪蒸汽船がニューヨークとオリバニー間で運航を開始した後は、多数の帆船に蒸気機関が搭載され、また、帆船も港での操船は蒸気エンジンを備えたタグボートに任せることができるようになったため、外洋航行に最適化した高速大型帆船が作られ、「クリッパー」と呼ばれる高速帆船も登場した。1858年に英国人アイザム・K・ブルーネルが発明したスクリュープロペラを備えた外洋定期客船「グレート・ブリテン」が作られた。英海軍が海上公開実験によってその性能を確認し、軍艦の標準としたため、各国海軍もそれに倣った。海底ケーブル網が充実した1860年代から、軍艦だけでなく商船でも、航行スケジュールが確実な蒸気船が帆船を駆逐するようになっていった。スエズ運河は開通してから当分の間、通行可能な船のサイズに制限があったり、運賃が高かったりして、商船がしばしば利用を敬遠した。 蒸気船の歴史については蒸気船#歴史を参照のこと。 この後、多数の蒸気船が登場して徐々に海運の主役となった。1892年のディーゼルエンジンの登場によって多くの大型船舶が内燃機関を備えるようになった。 帆船は今日でも練習船や競技用ヨットなどとして用いられているが、多くがエンジンを備えた汽船である。
※この「紀元後」の解説は、「船」の解説の一部です。
「紀元後」を含む「船」の記事については、「船」の概要を参照ください。
紀元後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 22:48 UTC 版)
イエス・キリストの時代には、エルサレム地方とサマリア地方のあるユダヤ属州や、別の属州に含まれたガリラヤ地方が、全てローマ帝国の支配下であった。また、ガリラヤは異邦人のガリラヤと呼ばれ、ユダヤからは低く見られていたようである。サマリア人は、イスラエルと他民族との混血であり、ユダヤ人から軽蔑されていた。 紀元70年のエルサレム攻囲戦でローマ帝国軍に滅ぼされ、ユダヤ人は中東世界に離散(ディアスポラ)した、ユダヤ的なものを一掃しようとしたローマ人は、この土地をユダの地(ユダヤ)ではなく、ユダヤ人の宿敵ペリシテ人にちなんでパレスチナという名前をつけたため、ユダヤという地名は消滅した。 1948年に建国した新国家は、イスラエル国と命名された。 聖書の創世記には、ユダヤ人の先祖アブラハムのモリヤ山での試練などが、記載されている。
※この「紀元後」の解説は、「ユダヤ」の解説の一部です。
「紀元後」を含む「ユダヤ」の記事については、「ユダヤ」の概要を参照ください。
「紀元後」の例文・使い方・用例・文例
- 古くとも紀元後2世紀から行われていた。
- フォークが食事用として一般に使われ始めたのは、紀元後10世紀のことであった。
- パルティア王国(紀元前250年から紀元後226年まで)で話されたイラン語
- それらが以前の教えを説明し適用したパレスチナとメソポタミアのロースクールでミシュナー法を議論して、議論がタルムードに記録されるラビのグループの1つ(現行の紀元後250年−500年)
- アウグストゥスの孫娘で、カリグラとアグリッピ・ヤンガーの母親(紀元前14年−紀元後33年)
- ローマの詩人で、愛に対する悲哀の詩で知られる(紀元前43年−紀元後17年)
- ギリシアの伝記作家で、『対比列伝』を書いた(紀元後46?年−120年)
- 紀元前100年から紀元後600年の間に作られたこの土地の土器に同じような模様が見られる。
- フォロ・ロマーノは,紀元前6世紀から紀元後3世紀末までローマの政治,経済,宗教の中心だった広場である。
- 紀元後のページへのリンク