『岳物語』
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1985年5月、集英社刊行。「きんもくせい」「アゲハチョウ」「インドのラッパ」「タンポポ」「ムロアジ大作戦」「鷲と豚」「三十年」「ハゼ釣り」「二日間のプレゼント」の9編を収録。文庫版は集英社文庫から1989年9月刊行、文庫版解説は斎藤茂太。挿絵は単行本・文庫版ともに沢野ひとし。また英語版も刊行されており、『Gaku Stories』(1991年、講談社英語文庫)『My boy』(1992年、講談社インターナショナル)の2タイトルが存在する。 各短編は集英社『青春と読書』1983年11月号~1985年4月号に掲載。最初から『岳物語』としての連載だったわけではなく、椎名が同誌に毎号30枚の短編小説を書くという企画に対して、初回に息子の岳を主人公にした初の私小説「きんもくせい」を発表したところ、編集者の好評を得て、岳と家族をテーマとした私小説としてシリーズ化されたものである。『岳物語』のタイトルは9つの短編を纏めて単行本化する際に付されたものであり、表題作は存在しない。 本作の主人公である椎名の長男・岳は1973年7月生まれ、椎名が29歳の時の子である。当時の椎名は流通・小売系の出版社デパートニューズ社(後のストアーズ社)に編集者として勤務していた。同社在籍中には処女出版となる『クレジットとキャッシュレス社会』(1979年、教育社)ほか、複数の流通・小売系の専門書を上梓している。サラリーマン生活の一方、1976年には目黒考二らと『本の雑誌』の刊行を開始し、キャンピング集団「東ケト会」の企画など、後の作家生活の下地となる活動を展開しつつあった。1979年、『本の雑誌』誌上に掲載した『さらば国分寺書店のオババ』(情報センター出版局)が初のエッセイ集として単行本化。1980年3月には東ケト会の活動を描いた第2集エッセイ『わしらは怪しい探検隊』(北宋社)を発表し、後にシリーズ化される。同年12月には椎名はストアーズ社を退職し、フリーの作家生活に入った。 岳が生まれ育った時期はこのように、椎名が「サラリーマンから転がるようにモノカキに転身」し、「三十代の新米親父と作家デビューの時代が重なって」いたと語る、家族生活においても仕事上でも大きな転換期であった。そうした折に連載小説の題材に困り、いたずら盛りの息子の行動をそのまま文章にしていれば作品が出来上がると考えて、家族の風景を書き始めたのが作品誕生の契機であった。 なお、岳の姉で椎名の長女である渡辺葉は、本作中には全く登場しない。これに関して椎名は、「きんもくせい」「アゲハチョウ」と1・2作目に姉を登場させる機会がなかったうちに家族テーマの連載の運びとなり、突然姉を登場させづらくなってしまったという理由と、父が家族を題材に小説を書くと知った葉が早くから「自分のことを書いたらだめだからね」と言っていたという理由を挙げている。
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『岳物語』
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東京都小平市に家を構えるよろず雑文書きの「私」と、保育園に勤める妻との間に生まれた息子は、両親の登山好きから「岳」と名付けられた。岳は保育園児の頃から、好奇心から友達と近所のサツマイモ畑を根こそぎ掘ってしまうなど、何かと事件を巻き起こす。読み書き英会話と就学前から教育にかまびすしい地域の中で、私たち夫婦はあえて習い事の類を一切させずに岳を小学校に入学させた。岳は自由闊達に育ち、小学4年生にしてバレンタインデーに3人の同級生からチョコレートをもらう程の人気者となった。一方、学校の勉強はからきしで、上級生にもケンカで挑みかかり、乱暴者の問題児と教師たちから煙たがられて私や妻が学校に呼び出されることもしばしばであった。 4年生の時、私の友人である野田さんの家がある亀山湖に初めて連れていかれた岳は、そこで釣りを教わって以来、それまで見せたこともない集中力で釣りにのめり込んでいく。私が冗談で「多摩川でナマズを釣ってきてくれよ」と声をかけた時には、自分で仕掛けを調べ本当にナマズを釣ってきて私を驚かせた。5年生の夏休み、岳は両親から離れ野田さんと釧路川のカヌー下りに出発した。岳の不在の間、私は朧げな自身の少年時代の記憶を思い出していた。世田谷の家を引き払って各地を転々とし、異母兄弟が何人もいた子供心にも訳ありと分かる家庭。私が鉄棒から落ちて頭を縫うケガを負っても駆けつけず、そして小学6年の時に死んだ父。釧路川から帰って来た岳の伸びた髪を風呂場で散髪しながら、私は父が死んで30年になること、その30年とはそのまま私と岳との歳の隔たりでもあることを考えていた。 岳が5年生の冬。昨年に引き続き取材旅行のため正月に家を空けてしまうことになった私は、スケジュールの合間を縫って、岳に東伊豆の稲取への一泊二日の釣り旅行をプレゼントする。旅先の岳は、釣具店の店主と私にはまるで分からない専門的な語で仕掛けや餌の話をし、見たこともない道具を使って見事にカサゴを釣り上げ、彼が私の知らない世界へと突き進んでいることを感じさせた。それから1か月。私は酷寒のイルクーツクから、久しぶりに家に電話をかけた。雑音混じりの途切れがちな回線の中で、岳から鴨川に釣りに出かけて海に転落した話を聞き、私は激しく動揺して問いただすものの、私の慌てぶりとは裏腹に岳の声はのんびりとしたものだった。やがて回線の不調で無情にも電話が切れてしまい、諦めて受話器をおいた私はため息をひとつつき、一人くつくつと笑うのだった。
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