鈴木康友 (野球) 鈴木康友 (野球)の概要

鈴木康友 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 14:45 UTC 版)

鈴木 康友
基本情報
国籍 日本
出身地 奈良県五條市
生年月日 (1959-07-06) 1959年7月6日(64歳)
身長
体重
180 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1977年 ドラフト5位
初出場 1980年4月15日
最終出場 1992年10月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

来歴・人物

プロ入り前

天理高等学校では春夏の甲子園に4度出場。1年生の1975年夏の甲子園には控え内野手として出場。準々決勝に進出するが新居浜商に敗れる。2年上のチームメートに猪口明宏中堅手巨人)がいた。強打の大型遊撃手として知られ、2年生で4番打者となる。同期の福家雅明を主戦投手とした1976年春の選抜では、2回戦で福井高に敗れ、同年夏の甲子園では3回戦で星稜高に敗退。1977年、3年生時の春の選抜では、作新学院戦で放った中越えの大本塁打が球界関係者の注目を集めた。この大会は準々決勝に進出するが、エース山沖之彦を擁する中村高に敗退した。同年夏は、県大会準々決勝で中学時代の同級生・智弁学園山口哲治に完封され、甲子園出場はならなかった。

1977年のドラフト会議では、当初大学進学の意志が強いと言われていたため、各球団とも上位での指名は見送ったが、5位で読売ジャイアンツが指名した[1]。高卒5位指名ながら、当時の長嶋監督が獲得に自ら出馬して自宅まで出向いて口説き落とすなど、大いに注目され、入団時には、異例の一桁の背番号5が与えられた。

プロ入り後

当時、巨人の遊撃手のポジションには河埜和正が君臨しており、わずか1年でこれまで背番号29だった河埜に5を奪われ、二軍暮らしが続いた。なおチームでの初顔合わせで長嶋監督に挨拶に行った際、「おお、調子はどうだ? (同期入団の)伸良」と勘違いされたエピソードが残されている。

1980年に一軍初出場を果たし、遊撃手として6試合に先発出場。その後も内野のユーティリティプレーヤーとして徐々に出場機会を増やす。

1984年には遊撃手、二塁手として31試合に先発。

しかし同年オフ、鴻野淳基とのトレードで西武ライオンズに移籍[1]石毛宏典辻発彦らの存在もあって出番に恵まれなかった。

1986年開幕直前に市村則紀とのトレードで中日ドラゴンズに移籍する[1]ケン・モッカ退団後の三塁手の穴埋めに悩んだ中日は、遊撃手の宇野勝を三塁にコンバートし、その後継に鈴木を充てた。同年は開幕から主に二番打者に起用され、113試合に出場し初めて規定打席に到達。打率.234(リーグ30位)ながらキャリアハイの11本塁打を放ち、セ・リーグ最多の35犠打を記録して遊撃手のレギュラーに定着した。しかし翌1987年に移籍してきた落合博満が三塁手に入ったことで、宇野が遊撃手に戻り、鈴木は当初二塁を守ったが、やがて仁村徹にポジションを奪われる形で控えに転落。翌1988年には立浪和義が高卒新人で遊撃手に定着し、宇野が二塁、仁村が三塁、落合が一塁を守ることになり、わずか15試合の出場にとどまった。チームはリーグ優勝を果たしたが日本シリーズの出場もなかった。この年、5歳年下の客室乗務員の女性と結婚、その後2人の子供に恵まれている。

1989年10月13日の横浜大洋ホエールズ戦では松本豊からサヨナラ犠牲フライを放った。

1990年途中、北村照文との交換トレードで西武に復帰[1]

1991年広島東洋カープとの日本シリーズでは代打として3試合に出場。王手をかけられた状態での第6戦では、6回に川口和久から決勝2点適時打を放ち、逆転日本一を果たす原動力となった。

1992年限りで現役引退[1]

引退後

1993年2000年まで西武一軍守備・走塁コーチ、一塁ベースコーチとして三塁ベースコーチの伊原春樹とのコンビを務めた(2000年は三塁ベースコーチ)。西武コーチ時代はプロ入り当時の長嶋茂雄監督と同じ背番号90を着けた。

2002年2003年、監督に就任した原辰徳に請われ、巨人一軍守備・走塁コーチ、三塁ベースコーチ。

2004年、伊原の監督就任によりオリックス・ブルーウェーブで一軍守備・走塁コーチ、一塁ベースコーチを務め、再び伊原とコンビを組んだ。

2005年 - 2006年はCS系テレビの野球解説者と日刊スポーツ野球評論家をしながら、茨城ゴールデンゴールズでコーチをしていた。

2007年 - 2009年BCリーグ富山サンダーバーズの監督を務めた。2008年にはリーグ優勝を達成している。同年のグランドチャンピオンシップでは香川オリーブガイナーズに敗退した。

2010年より9年ぶりに埼玉西武ライオンズの二軍守備・走塁コーチに復帰。

2011年は一軍内野守備・走塁コーチ(一塁ベースコーチ)を務めた。

2012年からは東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍内野守備・走塁コーチを務める[2]

2013年からは退団した本西厚博に代わって三塁ベースコーチを担当することになった。

2014年10月14日に来季の契約を結ばないことが発表された[3]

2014年11月8日、福岡ソフトバンクホークスの二軍内野守備・走塁コーチに就任することが発表された[4]

2015年11月3日に三軍内野守備走塁コーチに就任することが発表された[5]

2016年10月4日退団[6]

2017年1月24日に四国アイランドリーグplus徳島インディゴソックスの野手コーチに就任することが発表された[7]。2017年のシーズンに徳島はリーグ優勝とグランドチャンピオンシップ優勝を達成している。同年11月18日に契約満了で退団[8]。この2017年夏頃から体調を崩して闘病生活に入り、2018年2月に骨髄異形成症候群(MDS)で臍帯血移植を受けた[9]

2018年10月19日に長男がかつて所属していた立教新座高等学校野球部の非常勤コーチに就任した[10]。2019年からはJ SPORTSの野球解説者に13年振りに復帰する(体調面も考慮し、2019年9月14日放送のオリックス対楽天戦のゲスト解説として出演)。同時に東京スポーツの野球評論家として活動する[要出典]

2021年4月11日、東京2020オリンピック聖火リレーにおける奈良県内の第一走者を務め、故郷の五條市を走った[11]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1980 巨人 39 23 20 2 2 0 0 2 8 2 0 0 1 0 2 0 0 12 0 .100 .182 .400 .582
1981 11 5 5 0 1 1 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .200 .200 .400 .600
1982 45 63 52 13 10 1 0 1 14 3 0 1 6 0 4 0 1 19 0 .192 .263 .269 .532
1983 77 170 149 15 41 3 0 5 59 18 0 0 5 1 14 4 1 29 2 .275 .339 .396 .735
1984 85 146 126 16 24 8 0 3 41 9 3 1 8 0 10 0 2 24 0 .190 .261 .325 .586
1985 西武 13 16 14 1 4 1 0 0 5 1 2 0 0 0 2 0 0 2 0 .286 .375 .357 .732
1986 中日 119 429 368 31 86 16 1 11 137 30 3 2 35 3 18 0 5 76 4 .234 .277 .372 .649
1987 79 110 97 10 18 6 0 0 24 6 3 0 6 1 6 0 0 24 1 .186 .231 .247 .478
1988 15 31 26 4 6 3 0 1 12 2 1 1 1 0 4 0 0 3 0 .231 .333 .462 .795
1989 80 119 100 15 22 4 0 0 26 9 3 3 10 2 7 0 0 23 0 .220 .266 .260 .526
1990 西武 65 101 83 7 18 2 1 1 25 7 0 2 8 0 10 0 0 11 2 .217 .301 .301 .602
1991 27 22 19 2 4 2 0 0 6 1 2 1 1 0 1 0 1 2 2 .211 .286 .316 .602
1992 33 26 23 1 8 2 0 0 10 2 0 0 0 0 1 0 2 4 0 .348 .423 .435 .858
通算:13年 688 1261 1082 117 244 49 2 24 369 91 17 11 81 7 79 4 12 230 11 .226 .284 .341 .625
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

背番号

  • 5 (1978年)
  • 43 (1979年 - 1981年)
  • 25 (1982年 - 1984年)
  • 38 (1985年)
  • 37 (1986年 - 1990年途中)
  • 12 (1990年途中 - 1992年)
  • 90 (1993年 - 2000年)
  • 82 (2002年 - 2003年)
  • 76 (2004年)
  • 81 (2007年 - 2009年)
  • 72 (2010年 - 2011年)
  • 73 (2012年 - 2014年、2017年)
  • 83 (2015年 - 2016年)

  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003 (2003年、日外アソシエーツ)、297ページ
  2. ^ 新任コーチに関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年11月15日). 2011年11月15日閲覧。
  3. ^ 来季のコーチ契約に関して 楽天球団公式サイト2014年10月14日配信
  4. ^ ソフトB来季コーチングスタッフを発表”. 日刊スポーツ (2014年11月8日). 2014年11月8日閲覧。
  5. ^ 2016年 コーチングスタッフについて”. 福岡ソフトバンクホークス (2015年11月3日). 2015年11月3日閲覧。
  6. ^ コーチの退団について 2016年10月4日、球団公式サイト
  7. ^ “徳島IS 新コーチ就任のお知らせ”. 徳島インディゴソックス. (2017年1月24日). http://www.indigo-socks.com/%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%b9/n103-3/ 2017年1月24日閲覧。 
  8. ^ 徳島IS 鈴木康友ヘッドコーチ退団のお知らせ”. 徳島インディゴソックス (2017年11月18日). 2017年11月18日閲覧。
  9. ^ 元巨人の鈴木氏「骨髄異形形成症候群」で臍帯血移植 池江に「医学信じて」
  10. ^ 元巨人鈴木康友氏が立教新座中・高野球部コーチ就任”. 日刊スポーツ (2018年10月30日). 2018年10月30日閲覧。
  11. ^ 日本放送協会. “聖火リレー 奈良県1日目 五條市をスタート|NHK 関西のニュース”. NHK NEWS WEB. 2021年4月11日閲覧。


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