鈴木康四郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鈴木康四郎の意味・解説 

鈴木康四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/01 04:16 UTC 版)

鈴木 康四郎
すずき こうしろう
生年月日 1886年2月15日
出生地 和歌山県西牟婁郡白浜町
没年月日 (1960-03-14) 1960年3月14日(74歳没)
死没地 和歌山県和歌山市
出身校 和歌山県立田辺中学校卒業
前職 公吏京都市
配偶者 鈴木まさゑ

在任期間 1946年8月 - 1946年12月

選挙区 西牟婁郡選挙区
当選回数 1回
在任期間 1947年4月 - 1951年4月
テンプレートを表示

鈴木 康四郎(すずき こうしろう、1886年明治19年)2月15日 - 1960年昭和35年)3月14日)は、日本官僚政治家。第8代和歌山市長

生涯

1886年明治19年)2月15日、岡崎定治郎の次男として和歌山県西牟婁郡宇津木村(のち白浜町宇津木)で生まれ、後に西牟婁郡万呂村大字下万呂(現:田辺市下万呂)の鈴木まさゑと結婚して改姓。和歌山県立田辺中学校卒業後、1911年(明治44年)4月に西牟婁郡書記となり、1918年大正7年)には和歌山県属に昇進したが、在任中の手腕が認められて内務属となり中央官界で活躍。

1926年(大正15年)10月、京都市の課長に就任し、累進して中京区長となって5年間務めた後、1938年昭和13年)に和歌山市助役に迎えられた。市長を補佐して戦時中の和歌山市政に寄与したが、辞職した田口易之の跡を受けて1946年(昭和21年)8月に和歌山市長に就任し、混乱期の市政を担ったものの、僅か5ヶ月で同年12月に退職した。

1947年(昭和22年)4月の和歌山県議会議員選挙に西牟婁郡から選出され、在任中は総務委員長や震災対策委員長や和歌山県金庫調査委員長を務め、1951年(昭和26年)4月の任期満了により退職した。

博学で文筆に長けており、蛙城と号して俳句を趣味としていた。県議会議員退職後、2年余りに渡って地方紙に連載した随筆が好評を博したため、1954年(昭和29年)には『蛙城随筆』を宮井平安堂から出版している。

1960年(昭和35年)3月14日、和歌山市車坂の自宅で死去。享年75(満74歳没)。

参考文献

  • 和歌山県議会事務局編 『和歌山県議会歴代議員名鑑』 和歌山県議会、1969年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鈴木康四郎」の関連用語

鈴木康四郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鈴木康四郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鈴木康四郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS