足利義詮 義詮の偏諱を受けた人物

足利義詮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 00:29 UTC 版)

義詮の偏諱を受けた人物

「義」の字
「詮」の字
(補足)
  • 「義」の字は、足利氏の祖先にあたる清和源氏通字であり、統治にあたってその子孫であることを示す意図があったものとみられ、子の以降の足利将軍家でも代々用いられるようになった。なお、室町時代においては、この字が与えられることは破格の待遇を意味していた。
  • 「詮」の読み方について、義詮とその子である満詮は「あきら」、その他の人物は「あき」と読まれる。また、後者では「のり」と読まれることもある。
  • 年代的にほぼ同時代の人物であることから、上記のほか、斯波斯波兄弟[注釈 2]畠山、畠山(二本松)国二本松氏畠山国氏の子)や京極高、二階堂行(行良)など(諱の2文字目に用いている人物)も義詮から偏諱を受けた者と考えられるが、確証はない。

注釈

  1. ^ 足利竹若丸、足利直冬という2人の庶兄に次いで三男とされる。
  2. ^ 孫の義淳の時代において「斯波氏は代々『』の字を与えられる」(『満済准后日記』)と明確に述べられていることや、兄の氏経氏頼足利尊氏(義詮の父)、年齢的に割と近い甥(兄の子)の詮経・詮将が足利義詮、義将の子の義重や義種の子の満種満理足利義満(義詮の子)から1字を受けていることからほぼ確実とみられる。

出典

  1. ^ 足利義詮』 - コトバンク
  2. ^ a b 瀬野 2005, p. 177.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 藤田精一楠氏研究』(増訂四)積善館、1938年、204–206頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1915593/204 
  4. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰『コンサイス日本人名辞典』(第5版) 三省堂、2009年 32頁。
  5. ^ 黒田日出男『国宝神護寺三像とは何か』角川学芸出版、2012年。ISBN 978-4-04-703509-6 
  6. ^ 赤松俊秀「足利氏の肖像に就いて」『美術研究』52号、東京文化財研究所、1949年。 また同論文は、本画像を紹介すると同時に義詮像として問題なしと論じ、この論旨が広く広まっている。
  7. ^ 米倉迪夫 「足利氏の肖像 --宝筐院蔵足利義詮像を中心に--」(栃木県立博物館発行・編集 『開館三〇周年特別企画展 足利尊氏 その生涯とゆかりの名宝』展図録、2012年。ISBN 978-4-88758-069-5)。
  8. ^ 「嵯峨宝筐院の成立と泰甫恵通の動向」『仏教史学研究』59巻2号、2017年。 /所収:高鳥『足利将軍家の政治秩序と寺院』吉川弘文館、2022年、245-248頁。ISBN 978-4-642-02976-6 






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