橘家圓蔵 (8代目)
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映画出演
コマーシャル
- 国際電気(国際電気工業)
- ※銃を持った戦闘員の格好をしている圓蔵が、ほふく前進をしながら本部へ無線連絡して「寒くて寒くてガッタガタです」と言う時の動きがウケていた(「暑くて暑くてクーラクラです」と言うパターンもあった)。
- エバラ焼肉のたれ(エバラ食品工業)
- ※1970年から1986年までの約16年間の長きに渡り出演。「3日に一度は焼肉料理」のフレーズでエバラ食品工業(現在は東証スタンダード上場)の知名度・業績拡大に大きく貢献した他、エバラの社員と共に日本各地の精肉店に営業に出向いたこともあった。
- メガネクリンビュー(タイホー工業(現:イチネンケミカルズ))
- ※鍋料理を囲む設定で、「眼鏡スッキリ曇りなし、料理すっかり食う物なし」のフレーズが受けた。
- タイホーハロン消火器(タイホー工業)
- セブン-イレブン
- ※1980年代初頭、年末年始仕様のCMに出演。
- ニュータッチヌードル(ヤマダイ)
- ※1980年代に出演。
一門弟子
系図
八代目橘家圓蔵† | 六代目柳亭左楽 | ||||||||||||||||||||
橘家竹蔵 | 橘家圓十郎 | ||||||||||||||||||||
六代目月の家圓鏡 | 二代目月の家小圓鏡 | ||||||||||||||||||||
橘家半蔵 | |||||||||||||||||||||
橘家富蔵 | |||||||||||||||||||||
二代目橘家蔵之助 | |||||||||||||||||||||
橘家仲蔵 | |||||||||||||||||||||
弟子入り
- 1966年2月∶月の家杵助が入門。
- 1972年4月∶杵助が二ツ目昇進、「橘家舛蔵」と改名。
- 1975年5月∶月の家かがみが入門。
- 1980年
- 1981年3月∶橘家竹蔵が真打昇進。
- 1982年
- 1983年4月∶杵助が二ツ目昇進、「橘家舛蔵」と改名。
- 1986年∶かがみが二ツ目昇進、「橘家鷹蔵」と改名。
- 1987年∶若蔵が二ツ目昇進、「橘家豊蔵」と改名。
- 1990年3月∶靖鏡が真打昇進、「橘家半蔵」と改名。
- 1991年∶橘家竹蔵門下に橘家亀蔵が入門。
- 1995年
- 舛蔵が真打昇進、「橘家富蔵」と改名。
- 亀蔵が二ツ目昇進。
- 1996年∶鷹蔵改メ「二代目橘家蔵之助」、豊蔵改メ橘家仲蔵が真打昇進。
- 1999年4月∶小圓鏡が六代目月の家圓鏡を襲名。
- 2001年
- 2004年11月∶かがみが二ツ目昇進、「鏡太」と改名。
- 2005年∶亀蔵が真打昇進、橘家圓十郎を襲名。
- 2016年3月∶鏡太が真打昇進、二代目月の家小圓鏡を襲名。
著書
- 『円鏡のセツ子と共に』月の家円鏡 文化放送 1968
- 『即興話術 社交・座談・酒席にすぐ役立つ本』月の家円鏡 日本文芸社 1969
- 小久保晴行 『八代目橘家圓蔵の泣き笑い人情噺』イーストプレス 2003
- ^ a b c d “〈レクイエム2015〉 5人の「若手四天王」落語家・橘家圓蔵さん”. 毎日新聞. 毎日新聞社. (2015年12月9日) 2017年2月11日閲覧。
- ^ 年齢は1学年下だが、入門は8ヶ月ほど早かった。
- ^ 作家としては、まだ短編を時折発表する程度だった。
- ^ 圓蔵が前座時代、師匠に命じられ、大師匠の8代目桂文楽宅に住み込み内弟子修行に出された際、そこで女中をしていた。2010年6月、82歳で逝去した。
- ^ 『月の家円鏡 八代目円蔵を襲名 師匠のあと継いで「面白さで大成目ざします」』毎日新聞 1982年6月28日東京本社版夕刊9面
- ^ 三遊亭円丈著『落語家の通信簿』(2013年、祥伝社新書) ISBN 978-4396113377
- ^ “橘家圓蔵さん死去 81歳 黒縁眼鏡となぞかけで人気”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2015年10月16日) 2017年2月11日閲覧。
- ^ “橘家円蔵さん自宅を記念館として整備、15日から一般公開”. Sponichi ANNEX. スポーツニッポン新聞社. (2017年7月14日) 2017年7月14日閲覧。
- ^ 1975年4月、近畿地区におけるネット局が朝日放送から毎日放送に変更。
- ^ 1975年4月、関東地区におけるネット局がNETテレビからTBSテレビに変更
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