枕草子 枕草子の概要

枕草子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 01:15 UTC 版)

枕草子絵詞」(部分) 五月頃の夜、宮中に住む定子の所に「女房はいらっしゃいますか」と声がするので、定子が誰なのか見てくるよう言いつけ、清少納言が声をかけると呉竹が差し入れられた。それを見た清少納言は「おいこのきみにこそ」(おや「このきみ」でしたよ)と言う(三巻本130段)。「このきみ」とは王子猷王羲之の子)が竹を「此君」と呼んだことにちなむ。

執筆時期は正確には判明していないが、長保3年(1001年)にはほぼ完成したとされている。「枕草紙」「枕冊子」「枕双紙」とも表記され、古くは『清少納言記』『清少納言抄』などとも称された。また日本三大随筆の一つである。

内容

「枕草子絵詞」 一条天皇が「無名」という琵琶を持って中宮定子のもとを訪れ、琵琶の名を問うと定子は「ただいとはかなく、名もなし」と答えた(三巻本89段)。

「虫は」「木の花は」「すさまじきもの」「うつくしきもの」に代表される「ものづくし」の「類聚章段」をはじめ、日常生活や四季の自然を観察した「随想章段」、作者が出仕した中宮定子周辺の宮廷社会を振り返った「回想章段」(日記章段)など多彩な文章からなる。このような3種の分類は、池田亀鑑によって提唱された(『全講枕草子』解説、1957年)。もっとも、分類の仕方が曖昧な章段もある[注 1]

平仮名を中心とした和文で綴られ、総じて軽妙な筆致の短編が多いが、中関白家の没落と清少納言の仕えた中宮定子の身にふりかかった不幸を反映して、時にかすかな感傷が交じった心情の吐露もある。作者の洗練されたセンスと、事物への鋭い観察眼が融合して、『源氏物語』の心情的な「もののあはれ」に対し、知性的な「をかし」の美世界を現出させた。総じて簡潔な文で書かれ、一段の長さも短く、現代日本人にとっても読みやすい内容である。

ただし、後述するように『枕草子』の内容は伝本によって相違しており、現在ではそれら伝本はおおよそ雑纂形態(三巻本能因本)と類纂形態(堺本前田本)の2系統に分けられている[1]。雑纂形態の本は上で述べた3種の章段をばらばらに並べているが、類纂形態の本はそれらを区別整理して編集したものであり、この編集は作者の清少納言よりのちの人物の手によってなされたという。しかし雑纂形態の伝本である三巻本と能因本においても、それぞれ章段の順序や本文にかなりの相違があり、清少納言が書いたという『枕草子』の原形がどのようなものであったのかは明らかではない。

日記的章段として一番年次的に早い時期について書かれているのは小白川という小一条大将殿の家に結縁の法華八講が開かれた最後の日に義懐の中納言と邂逅する段である。そこでは三位中将時代の藤原道隆(「清涼殿の丑寅の隅に」の段、定子の話では円融院位の御時御前に近侍し古歌を工夫して書きかえ賞された)もちらと姿を見せている。三位中将は後に道隆の次男隆家が帯びる官位である(「枕草子」994年頃の記録)。

書名の由来

「枕草子絵詞」(部分) 二月十一日の早朝、定子の暮らす宮中の登花殿に妹の原子と父藤原道隆、道隆の夫人貴子が訪れ定子に対面する(三巻本100段)。

「枕草子」という書名全体についていえば、この作品がこの書名で呼ばれるようになった当時において「枕草子」は一般名詞であった[2]。『枕草子』の執筆動機等については巻末の跋文によって推量するほかなく、それによれば執筆の動機および命名の由来は、内大臣伊周が妹中宮定子と一条天皇に当時まだ高価だった料紙を献上したとき、「帝の方は『史記』を書写されたが、こちらは何を書こうか」という定子の下問を受けた清少納言が、「にこそは侍らめ」(三巻本系による、なお能因本欠本は「枕にこそはし侍らめ」、能因本完本は「これ給いて枕にし侍らばや」、堺本と前田本には該当記事なし)と即答し、「ではおまえに与えよう」とそのまま紙を下賜されたと記されている。「枕草子」の名もそこから来るというのが通説であるが、肝心のとは何を意味するのかについては、古来より研究者の間で論争が続き、いまだに解決を見ない。

田中重太郎は日本古典全書『枕冊子』の解説で、の意味について8種類の説を紹介したが、そのうちの代表的な説を以下に述べる。

  1. 備忘録説:備忘録として枕元にも置くべき草子という意味[注 2]
  2. 題詞説:歌枕・名辞を羅列した章段が多いため[注 3]
  3. 秘蔵本説:枕のごとく人に見すまじき秘蔵の草子[注 4]
  4. 寝具説:「しき(史記→敷布団)たへの」という詞を踏まえた洒落

ほかにも漢詩文に出典を求めた池田亀鑑や、「言の葉の枕」を書く草子であるとした折口信夫など異説が多い。また、『栄花物語』に美しいかさね色を形容するのに普通名詞としての「枕草子」が用いられたことも指摘されている[3]

近年(2014年歴史学五味文彦は、当時、唐風・唐様に対し和風・和様のものが意識されて多くの作品が生まれていることから、これは「史記=しき」を「四季」と連想し、定子に対して清少納言が「四季を枕に書きましょうか」というつもりで答えたのであり、「唐の『史記』が書写されたことを踏まえ、その『しき』にあやかって四季を枕にした和の作品を書くことを宮に提案したもの」とする新説を唱えている[4][5]。すなわち『枕草子』が「春はあけぼの」から始まるのは、まず最初の話題として春夏秋冬の四季を取り上げたということである[4]

なお、萩谷朴は本文の解釈から、上記の定子より紙を賜ったという話は清少納言の作った虚構であるとしている。


注釈

  1. ^ たとえば第一段「春は曙」は、通説では随想章段に入るが異論あり。
  2. ^ 顕昭所引教長卿註で説かれたのをはじめ、近世の契沖村田春海らに継承され明治まで広く支持された。
  3. ^ 「枕」を「枕詞」「歌枕」などの「枕」と同じく見て、内容によって書名を推量した説で、『磐斎抄』『春曙抄』などに見える。
  4. ^ 関根正直らが説いた。
  5. ^ 自分の親族身分のみならず、身分が高い者に対しても敬語がないため
  6. ^ 『校註日本文学大系』第三巻所収[1]。三巻本系統の伝本を底本にした注釈書は、本書がはじめてであった。

出典

  1. ^ 池田亀鑑「枕草子の形態に関する一考察」 『岩波講座日本文学 10』 岩波書店、1932年。
  2. ^ 『枕草子』(『新編日本古典文学全集』18、小学館 1997/10)494 - 495頁
  3. ^ 石田穣二、角川文庫『枕草子』解説
  4. ^ a b 五味『「枕草子」の歴史学』(2014)pp.16-20
  5. ^ 五味『人物史の手法』(2014)pp.65-73
  6. ^ 『国語と国文学』第五巻第一号(昭和三年一月特別号)、明治書院
  7. ^ 光明道隆(楠道隆)「枕草子三巻本両類本考」 『国語国文』第五巻第六号(昭和10年6月)、臨川書店
  8. ^ 橋本不美男『原典をめざして―古典文学のための書誌―』(笠間書院、1983年)、「平安時代における作品享受と本文(片桐洋一)」(172頁)
  9. ^ 『枕草子』(『新編日本古典文学全集』18、小学館)479頁
  10. ^ 『前田家本枕冊子新註』解説、29頁


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