東京都第1区 (中選挙区) 選出議員

東京都第1区 (中選挙区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/26 01:04 UTC 版)

選出議員

選挙名 #1 #2 #3 #4
第23回衆議院議員総選挙 1947年 浅沼稲次郎
日本社会党
櫻内義雄
民主党
原彪
(日本社会党)
野坂参三
日本共産党
第24回衆議院議員総選挙 1949年 野坂参三
(日本共産党)
井手光治
民主自由党
浅沼稲次郎
(日本社会党)
野村専太郎
(民主自由党)
第25回衆議院議員総選挙 1952年 鳩山一郎
自由党
浅沼稲次郎
右派社会党
原彪
左派社会党
安藤正純
(自由党)
第26回衆議院議員総選挙 1953年 鳩山一郎
分党派自由党
浅沼稲次郎
(右派社会党)
安藤正純
(自由党)
原彪
(左派社会党)
第27回衆議院議員総選挙 1955年 鳩山一郎
日本民主党
安藤正純
(日本民主党)
原彪
(左派社会党)
浅沼稲次郎
(右派社会党)
第28回衆議院議員総選挙 1958年 田中栄一
自由民主党
浅沼稲次郎
(日本社会党)
原彪
(日本社会党)
鳩山一郎
(自由民主党)
第29回衆議院議員総選挙 1960年 安井誠一郎
(自由民主党)
浅沼享子
(日本社会党)
田中栄一
(自由民主党)
原彪
(日本社会党)
第30回衆議院議員総選挙 1963年 田中栄一
(自由民主党)
麻生良方
民主社会党
原彪
(日本社会党)
四宮久吉
(自由民主党)
第31回衆議院議員総選挙 1967年 田中栄一
(自由民主党)
広沢賢一
(日本社会党)
麻生良方
(民主社会党)
第32回衆議院議員総選挙 1969年 田中栄一
(自由民主党)
麻生良方
(民主社会党)
渡部通子
公明党
第33回衆議院議員総選挙 1972年 紺野与次郎
(日本共産党)
田中栄一
(自由民主党)
加藤清政
(日本社会党)
第34回衆議院議員総選挙 1976年 麻生良方
無所属
与謝野馨
(自由民主党)
大塚雄司
(自由民主党)
第35回衆議院議員総選挙 1979年 飛鳥田一雄
(日本社会党)
木内良明
(公明党)
大塚雄司
(自由民主党)
第36回衆議院議員総選挙 1980年 与謝野馨
(自由民主党)
大塚雄司
(自由民主党)
飛鳥田一雄
(日本社会党)
第37回衆議院議員総選挙 1983年 与謝野馨
(自由民主党)
大塚雄司
(自由民主党)
木内良明
(公明党)
第38回衆議院議員総選挙 1986年 与謝野馨
(自由民主党)
大塚雄司
(自由民主党)
木内良明
(公明党)
第39回衆議院議員総選挙 1990年 鈴木喜久子
(日本社会党)
与謝野馨
(自由民主党)
大塚雄司
(自由民主党)
第40回衆議院議員総選挙 1993年 海江田万里
日本新党
与謝野馨
(自由民主党)
柴野たいぞう
新生党

  1. ^ 実質的には8区の定数3と合わせ、2人増。8区は1992年の同法改正で定数2へ1人削減された。
  2. ^ 例えば、千代田区では2000年のデータとして昼間人口855,172人、夜間人口36,035人(昼間が夜間の23.7倍)という調査結果が同区のホームページで紹介されている [1]
  3. ^ この要求は東京都議会での定数是正問題でより強かったが、実現しなかった。
  4. ^ 例えば、浅沼の自宅は東京都江東区にあり、飛鳥田は地盤の横浜から移動しての立候補となった。
  5. ^ 保守唯一の当選者は民主党櫻内義雄。櫻内は第24回選挙で落選し、その後参議院の島根県選挙区、さらに衆議院の島根県全県区に転じた。
  6. ^ その後、参議院の東京都選挙区で当選。
  7. ^ 同党は第27回の宮本顕治をはじめ、細川嘉六聴濤克巳などの党内有力者を擁立したが、当選ラインには遠かった。
  8. ^ 2人とも衆議院議員在職中に死去。
  9. ^ 浅沼は最下位当選(4位)。また、六全協武装闘争路線の放棄を決定する直前の共産党から出馬した宮本は、主要政党の立候補者7人中の最下位(総数では14人中7位)。逆に、1958年第28回総選挙では社会党書記長(ナンバー2)の浅沼(2位)が首相退任後の鳩山(4位)を抑えたが、トップ当選は安藤の死去後に自民党新人の田中に譲った。
  10. ^ トップ当選は初代東京都知事だった自民党新人の安井誠一郎
  11. ^ 原は分区後の東京8区に移ったが落選し、引退。
  12. ^ その後、夫・一郎の地盤である兵庫県選出の参議院議員に転進。
  13. ^ その後、同党は弁護士の平山知子や、後に参議院議員になる筆坂秀世を擁立したが、当選は出来なかった。
  14. ^ その後、小選挙区制になってから、2010年代に掛けて都心回帰で人口増に転じている。
  15. ^ 飛鳥田は横浜市長を辞任して中央政界に戻ったため、かつての地盤の神奈川1区からの出馬が困難だった。なお、このあおりを受けて加藤清政は参議院議員選挙に東京都選挙区から出馬するが落選、その後千代田区長となる。
  16. ^ この際、「俺が苦戦するのもしょうがねえや、ろくに地元にいねえんだもんな」という飛鳥田の言葉が報じられている。
  17. ^ 佐々木は第39回総選挙で北海道2区から当選した。1986年第38回総選挙で同党公認だった元参議院議員・東京都知事選候補の和田静夫も、同選挙で埼玉1区で当選した。
  18. ^ 赤尾は戦時中の1942年第21回総選挙で旧東京6区から当選1回、平井は1948年から1960年まで福岡4区から通算5回当選している。小田も戦前の一時期、沖縄県選出の衆議院議員だった。
  19. ^ 衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第046回国会 制定法律の一覧 >公職選挙法の一部を改正する法律 法律第百三十二号(昭三九・七・二)”. 衆議院 (1964年7月2日). 2022年1月22日閲覧。地名は1964年(昭和39年)当時のものである。
  20. ^ 衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第007回国会 制定法律の一覧 >公職選挙法 法律第百号(昭二五・四・一五)”. 衆議院 (1950年4月15日). 2022年1月22日閲覧。地名は1950年(昭和25年)当時のものである。


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