日本電気ホームエレクトロニクス 概要

日本電気ホームエレクトロニクス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 03:27 UTC 版)

概要

創設期

1953年6月、NECのラジオ事業部を独立させ、新日本電気株式会社として発足。本社は当初大阪市であったが、後に東京に本社機能を移して大阪は支社扱いとなる。扱い品目は真空管ブラウン管、照明器具、テープレコーダーなど。その後ラジオ受信機白物家電の製造販売へ事業を拡充、1963年よりテレビ受像機の製造部門をNECから移管して総合電機メーカーとしての商品ラインを整備した。1970年代からは市民ラジオアマチュア無線機器も生産販売。

PC-6001発売

1980年代家庭用VTR市場にベータフォーマット方式で参入、規格主幹であるソニーとは違った観点で製品開発を行い、高い技術力を発揮した(ベータフォーマット方式の劣勢から、のちにVHS方式に転換)。

1981年、日本の家庭用パソコンの先駆けでパピコンの愛称で親しまれたPC-6001を開発し販売。

1983年、商号を日本電気ホームエレクトロニクス株式会社に変更。同年オーディオ分野に進出。CDプレーヤ(CD-803)やプリメインアンプ A-10などを販売。

1989年NECスーパータワーが完成してNEC本社が移転すると、本社を住友三田ビルから、それまでNEC本社が入っていた森永プラザビル(森永製菓本社)に移した。

1989年当時、PI(パーソナルインテリジェンス)事業部にてPC-8800シリーズの開発と製造、PC-9800シリーズの委託製造(開発はNEC本体)を行っていた。

PCエンジン発売

1987年にはPCエンジンを開発・発売し家庭用ゲーム機の分野にも進出する。このPCエンジンは当時の市場を席巻していた任天堂ファミリーコンピュータを性能で凌ぎ、大ヒットとはならなかったが日本国内で累計750万台を販売した。 さらには周辺機器としてソフトウェア媒体にCD-ROMを使用したCD-ROM2も発表、後のゲーム機市場に大きな影響を与えた。PCエンジンの成功により、日本電気ホームエレクトロニクスは任天堂やセガと並ぶ大手ゲーム機メーカーの一つとなる。また、出荷数はわずかだが、パイオニアのOEMでレーザーアクティブを販売していたためメガドライブ互換機を販売していた。

解散まで

PCエンジンシリーズの後継機として1994年末に投入された、PC-FXが市場の動向を読み誤るなどの戦略ミスが原因で売り上げ不振に陥る。以降の業績悪化も招き、1999年9月28日に発表されたNECグループの大規模リストラによって事業分割・移管のうえ会社解散が決定。2000年3月31日をもって事業活動を終了し、2002年2月に清算完了。


  1. ^ 「PCエンジン」の商標を、BIGLOBEが持ってるワケ”. ITmedia(2019年6月12日作成). 2019年6月13日閲覧。






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