日垣隆 日垣隆の概要

日垣隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/24 02:14 UTC 版)

ひがき たかし
日垣 隆
生誕 (1958-07-30) 1958年7月30日(64歳)
長野県長野市
国籍日本
出身校東北大学法学部
職業作家、コラムニスト、ギャンブラー、トレーダー、英語学校主催
活動期間1987-
活動拠点東京、フィリピン
受賞第61回文藝春秋読者賞受賞、第3回新潮ドキュメント賞、アジア太平洋賞 
公式サイト日垣隆公式サイト ガッキィファイター

経歴

長野県長野市生まれ。東北大学法学部卒業。大学時代は、全日本学生自治会総連合(全学連)の委員長及び、東北大学生活協同組合学生組織部員も務めた。在学中に結婚(後に離婚)[1]。書店員、トラック配送員、販売員、編集者といった様々な職業を経て[2][3]1987年より、作家・取材活動に入る。

徹底的な調査と検証による鋭い筆致が特長で、1993年春から連載が始まった「週刊エコノミスト」(毎日新聞社)の巻頭コラム「敢闘言」(“巻頭言”のもじり)で頭角を現した。ときどき姿を現す皮肉なものいいが持ち味ともなっている。1999年にはベストセラー『買ってはいけない』の批判本である『「買ってはいけない」は嘘である』を著したほか、朝日新聞のコラム「天声人語」(小池民男による執筆のもの)、産経新聞正論といった既存のジャーナリズム、さらに評論家の佐高信石原慎太郎検察庁みずほ銀行などを批判、イラク戦争に反対、日本共産党を「偽善者」と批判する一方市田忠義に一定の評価を与えるなど、従来の左右対立図式には当てはまらない立場をとる。

2002年から有料メールマガジン「ガッキィファイター」を発行している。公式サイトでは自著で絶版になった本や、メルマガ会員向け講座や対談、未書籍化の小説やコラム、サイト専用の書きおろしの電子書籍を販売。DVD「裁きの果て」や書籍の朗読CD、英語講座DVDなどのオリジナル作品も独自に制作販売している。2010年にはiPhoneアプリ書籍(「裁きの果て」「足利事件――冤罪の構図」など)を出版した。有料メルマガの嚆矢となった。

2006年11月に刊行された「すぐに稼げる文章術」(幻冬舎新書)で盗作騒動が起きた[4]新潟大学教授(のちに慶応義塾大学教授)の山内志朗による「ぎりぎり合格への論文マニュアル」(平凡社新書、2001年刊)の一節と酷似した内容が掲載されていることが刊行の翌年にインターネット上で指摘され、平凡社が幻冬舎に抗議する事態に発展。問題とされた部分は増刷の際に書き改められた。

盗作騒動の影響か、2007年いっぱいで当時抱えていた連載[5](「新書一点賭け」(文藝春秋)、「MEDIA WATCH 売文生活日記 どっからでもかかって来い!」(WiLL)、「通といえば販!」(週刊現代)、「敢闘言」(エコノミスト)、「日垣隆のどこへ行くのかニッポン!」(日刊ゲンダイ))がすべて終了となった。

2009年7月より、講談社の雑誌「週刊現代」にて「なんなんだこの空気は メディア考現学」として雑誌への連載を再開したが、2012年7月に再び連載終了。以降、いわゆるマスメディアへはほとんど登場せず、ツイッターやフェイスブックなどのSNSによる情報発信、有料メルマガ、電子書籍による自費出版を盛んに行っている。

2010年に「クレド」と名付けた有料制の会員組織(年会費10万円)を発足。「自立と自由およびそのために資する収入源を複数化かつ増加させ、家族や隣人、友人、その他あなたの助けを必要としている人々を、いつでも最も的確かつノーリスクで助けられる人物になる」ことが会員の任務。年に1度、人数限定で募集し「5年で所得3倍実現へ―「クレド」特別会員―[6]」と謳っていた。すでに解散しているが、オンラインサロンの嚆矢となった。

2015年11月、脳梗塞で倒れるが回復。2016年5月、5年ぶりの新刊『脳梗塞日誌』(大和書房)を上梓。2016年文藝春秋11月号での経済ジャーナリストの財部誠一との対談が久しぶりのメディア登場となった。

2012年春からは断続的にフィリピン・セブ島に短期滞在型語学留学開始。本人によればわずか数ヶ月でTOEIC900点超えを達成したと言い、秋より約3ヶ月で2万円のメーリングリスト形式スパルタ英語学校をスタートさせた。

人物・エピソード

  • 1973年7月23日、日垣が中学3年生のときに同じ学校に通う中学1年生の弟(当時13歳)が死亡した[7]信濃毎日新聞は、同中学校の1年生約220人が集団登山に出かけた際、宿泊先の旅館のわきにある深さ4メートルの除雪溝に転落し、頭の骨を折ったと報じた[7]
    • 事故後、旅館側は安全管理のミスを認め、日垣の両親に650万円を支払った[8]
  • この事故に関して、日垣の両親は中学校の設置主体である長野市を被告として長野地方裁判所に対し、損害賠償請求訴えを提起した。「学校事故の補償制度が不備な現状や、こうした事故に対する責任を回避しようとする態度をとっていた当時の教職員や市側に対する "告発" の意味を含め[9]て、学校側の指導・監督責任を追及した[9]
    • 1977年1月21日、長野地裁は原告の請求を概ね認め、長野市に約680万円の支払いを命じる判決を言い渡した[9]。双方からの控訴がなかったため、裁判は一審で確定した[8]
  • 日垣自身、この出来事について自著で度々言及し、神戸高塚高校校門圧死事件を扱ったルポルタージュ[10]や、週刊誌のエッセイ[11]などで、「学校事故」と書いていた。
    • しかし、その後、少年犯罪を取り上げたルポルタージュ[12]などでは、「弟が同級生に殺された」との発言を行うようになる。
  • 2002年および2009年、「意見広告7人の会」呼びかけ人として、北朝鮮による日本人拉致問題解決を求める意見広告ニューヨーク・タイムズに掲載する運動を行った(残りの6人は有田芳生勝谷誠彦加藤哲郎重村智計高世仁湯川れい子)。
  • 批判の舌鋒が鋭く、しばしば他人と「喧嘩」を行い、それを売りにもしていた(著書『どっからでもかかって来い!』など)ため、敵が多い。
  • ビジネス感覚に優れており、電子書籍の自費出版、有料メルマガの発行、オンラインサロンの開設、フィリピン英語学校の斡旋などをかなり早い段階で手掛けている。そのマーケティング手法には「電子書籍を日本一売った」「世界初&日本初の有料メルマガ」「5年で所得3倍」「数ヶ月でTOEIC900点超え」など煽るような広告宣伝が多かった。

  1. ^ ガッキィファイター 2010年10月11日号
  2. ^ 『情報への作法』(講談社プラスアルファ文庫)第14章 六法より奇なり p.266
  3. ^ 『情報系 これがニュースだ』(文春文庫)解説 p.517
  4. ^ 日垣隆の盗作事件を検証する
  5. ^ 連載15本かかえていたものを3年前にすべて降りさせてもらった――キミにそんな勇気があるかな
  6. ^ 日垣隆公式サイト ガッキィファイター 5年で所得3倍実現へ―「クレド」特別会員―
  7. ^ a b 1973年7月23日信濃毎日新聞夕刊「集団登山の中学生 側溝に落ちて死ぬ」
  8. ^ a b 判例時報』867号(1977年)100頁以下「市立中学校における宿泊旅行中の生徒の事故死につき引率教員の下見、検分義務違反に基づき市に国賠法一条の損害賠償責任が認められた事例」
  9. ^ a b c 1977年1月22日信濃毎日新聞「学校登山の中学生死亡 長野市側が敗訴 地裁が賠償支払い命令」
  10. ^ 「閉ざされた回路-神戸「校門圧死」事件の深層」『世界』1990年10月号
  11. ^ エコノミスト/毎日新聞社 1992.03.17号 p82-87 「分裂病の兄よ、逝ってしまった弟よ」
  12. ^ 「少年リンチ殺人 ―ムカついたから、やっただけ―」新潮文庫 日垣隆著 p.223


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