教皇領
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影響
以降、教皇ピウス9世は自らを「バチカンの囚人」(1870年 - 1929年)と呼び、数代(レオ13世、ピウス10世、ベネディクトゥス15世)にわたってイタリア政府との交渉を拒否した。ピウス11世の時代にイタリア政府とバチカンの間での和解が模索され、1929年にラテラノ条約が締結され、世界最小の独立国「バチカン市国」が成立した。
脚注
参考文献
- 尚樹啓太郎 『ビザンツ帝国史』 東海大学出版会、1999年。
- H・I・マルー 『教父時代』2、上智大学中世思想研究所訳、平凡社〈平凡社ライブラリー, 168 . キリスト教史〉、1996年。
- M・D・ノウルズ 『中世キリスト教の成立』3、上智大学中世思想研究所訳、平凡社〈平凡社ライブラリー, 174 . キリスト教史〉、1996年。
- William, Barry (1902). The Papal Monarchy from St. Gregory the Great to Boniface VIII. T. Fisher Unwin.
- 森田鉄郎 著「第1編 イタリア史」、井上幸治 編『南欧史』山川出版社〈世界各国史5〉、1957年3月。
関連項目
- バチカン市国 (世界遺産)
- バチカン
- カステル・ガンドルフォ - 別荘ガンドルフォ城がある。
- サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂 - ローマ市にある。
- ポンテコルヴォ - イタリア統一まで南イタリアに所在した教皇領の飛び地
- ベネヴェント - イタリア統一まで南イタリアに所在した教皇領の飛び地
- 教皇領海軍
注釈
出典
- ^ 新共同訳、「マタイによる福音書」16.18-19。
- ^ 尚樹啓太郎 1999, pp. 106–107.
- ^ a b William 1902, p. 52.
- ^ H・I・マルー 1996, p. 438.
- ^ William 1902, pp. 52–53.
- ^ a b William 1902, p. 53.
- ^ H・I・マルー 1996, p. 434.
- ^ M・D・ノウルズ 1996.
- ^ 尚樹啓太郎 1999, p. 5.
- ^ 1789年8月26日の人間と市民の権利の宣言まで、もしくは1803年のナポレオン戦争まで。
- ^ a b c d e f g h i j k 森田 イタリア史,p.153-159.
- ^ a b c 森田 イタリア史,p.164-166.
教皇領と同じ種類の言葉
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