教皇退位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 10:24 UTC 版)
「ケレスティヌス5世 (ローマ教皇)」の記事における「教皇退位」の解説
ケレスティヌス自身、不本意な形での教皇での擁立であり、なおかつ政争の具として利用された格好でもあり、本人にとっては一種の災難であった。在位数か月にしてケレスティヌス5世は、自ら「教皇の器にあらず」と述べて退位を希望し、教会法に詳しい教皇官房のベネデット・カエターニ枢機卿に相談した。カエターニ枢機卿は教会法に基づいた辞任の方法を教皇に助言し、ケレスティヌスは自ら「教皇に選ばれた者は、選出を拒否する権利を持つ」という法令を出し、結局半年たらずで教皇を退位した。ここに、存命のまま教皇が退任するという異例の事態が発生した。 ケレスティヌス5世は、夜な夜な聞こえる「ただちに教皇職を辞し、隠者の生活に戻れ」という声に悩まされた末にカエターニ枢機卿に相談したのであるが、実際のところカエターニ自身が、部下に教皇の寝室まで伝声管を引かせて毎晩のように声を聞かせた上に、教皇を不眠症と神経衰弱に追い込んだ張本人であったと言われている。インドロ・モンタネッリ『ルネサンスの歴史』でも、すべてカエターニ枢機卿の仕組んだことだとして一連のできごとを記述している。
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