意識 機構

意識

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/26 15:46 UTC 版)

機構

覚醒状態とかかわる部位として、脳幹網様体を含む上行性網様体賦活系(じょうこうせいもうようたいふかつけい、Ascending Reticular Activating System; ARAS)という構造が重要であることが知られている。上行性網様体賦活系を刺激すると眠りから覚める。逆にこの部位を破壊されると昏睡状態に陥る。上行性網様体賦活系の概念は1949年にMoruzziとMagounによってまとめられた[5][6]

ヒトの覚醒と睡眠は約24時間周期で繰り返される。24時間周期での睡眠-覚醒リズムは、ヒトの場合、生後15-16週齢から始まる[7] 。この地球自転周期と同調したリズムはサーカディアン・リズムと呼ばれる。ヒトを含む哺乳類のサーカディアン・リズムは、左右の視神経が交差する視交叉の上にある視交叉上核という視床下部神経核で生み出されている。視交叉上核を破壊された生物は睡眠と覚醒の周期的なリズムが失われる[8]。睡眠・覚醒リズムは網膜から入射する外部の光信号などにより修飾を受け調整されている。時間に関する手がかり情報のない場所(たとえば明るさの変化しない地下室など)にヒトを長期間置くと、睡眠-覚醒リズムはおよそ25時間周期となる。これはフリーラン・リズムと呼ばれる[9]

医療現場の「意識レベル」

医療分野では患者の意識の状態を「意識レベル」という数値で評価する。特に救急医療麻酔科学分野で用いられる。

意識の構成には「清明度」「広がり」「質的」の三つの要素が存在するが、このうち一般的に意識障害というと「清明度」の低下についてを指す。「広がり」の低下(意識の狭窄)は催眠であり、「質的」の変化(意識変容)はせん妄やもうろう等を指す。

意識の働きが活性化し、五感に対する刺激を感じ取ることが可能な状態である。「意識がある」とは、脳において刺激を認識することが可能であり、刺激に対し明確な反応を示す状態を指す。これに対して、 無意識は五感に対する刺激がで感じ取られず、刺激を認識していない状態である。刺激に対する反応が部分的な状態である。また、「意識がない」とは、脳の働きが部分的に停止し、刺激の入力を拒否した状態である。「気を失う」とは、過剰な刺激に対しショックを受け、脳の働きが停止した状態である。

医療の現場においては、意識の状態・反応に応じて「意識レベル」で表示する。救急医療では、バイタルサインの重要項目の一つとして先ず疾病者等の意識をアセスメント(確認)して「意識レベル」の判定を行う。簡易的に行う場合は、アセスメントは3STEPで行う[10]。STEP1 - まず「○○さん、わかりますか~?」などと声がけして、声に反応があるか観察する[10]。行き倒れた人や身元不明者などで名前が分からない場合は、名前抜きで「大丈夫ですか~?」などと適当に声がけして観察する[10]。このSTEP1で反応が無かったらSTEP2に進み、肩を手のひらでパタパタなどと叩きつつ「○○さーん、起きてくださーい!」と大きな声で叫んで反応を観察する(ただ耳が遠いだけ、という人もいるため)[10]。STEP2でも反応が無かったらSTEP3に進み、腕の皮膚などをつねり、反応を観察する[10]

「意識レベル」はGlasgow Coma ScaleJapan Coma ScaleEmergency Coma Scaleによって数値化して評価される。

意識研究

意識という言葉は実に様々な意味で使われており、意識という言葉の多義性は、議論や研究の中でしばしば混乱を引き起こしやすいものとなっている。

それぞれの人がそれぞれの場面で、どういう意味でもって、意識という言葉を使っているのか、その点について相互了解を持たないまま議論をしていくと、行き違いが発散していくことが多い。そうした混乱は、心理学者や神経科学者といった、専門的な肩書きを持つ人々の間でも普通に見られる。このような問題を避けるため意識と関わる研究分野では、注意深い研究者は論文や書籍の冒頭で、私が意識という言葉を使うときそれはどういう意味か、といった説明を予め行うことも少なくない。意識を研究しているそれぞれの科学者が研究している対象は様々だが(選択的注意のメカニズムや覚醒や麻酔のメカニズム、主観的体験の神経相関物など)、そうした全体を含む最も包括的な意識の定義として暫定的にしばしば使用されるのはアメリカの哲学者ジョン・サールが採用した定義に基づく次のような定義である[11][12][13][14]

意識とは、私たちが、夢を見ない眠りから覚めて、再び夢のない眠りに戻るまでの間持っている心的な性質のことである

一方、日常の中では、意識という語は知性(英:intelligence)や自由意志(英:free will)の意味と混同されることがある。しかし、しばしば見られるこれらの用法は、心や脳と直接かかわる分野の現代の研究者によって、ほとんど採用されていない。

以下、意識という言葉の持つ容易に区別できるいくつかの意味を述べる[15]。この区分は必ずしも相互排他的な分類ではなく、相互に重複や関連を持った区分である。このような区分の仕方は研究者によって、とりわけ哲学的な立場によってまちまちで、統一された見解はない。この項では混同されやすい意味の区分を述べるに留めて哲学的な議論の詳細には立ち入らない。

覚醒

意識には、起きている、覚醒している、といった意味がある(英:vigilance, arousal, awakening, wakefulness など)。これは睡眠失神昏睡または死亡、という状態にない、という事を意味する。この意味での用例をあげるとたとえば「柔道で、絞め技をかけられて我慢していたら、意識を失ってしまった」とか「交通事故のあとずっと昏睡状態だった人の意識が、今朝やっと戻った」などがある。この意味での意識は、意識がある、意識がない、といった形で表現される。この意味での意識は、creature consciousness (クリーチャー・コンシャスネス、生物意識・被造物意識)と呼ばれることもある。また、この意味での意識は目的語を取らずに表現されるため intransitive consciousness (イントランジッティブ・コンシャスネス、自動詞的意識)と呼ばれることもある。

気づき

意識には、気づいている、または知っている、といった意味がある(英:awareness)。たとえば今あなたがこの文章を室内で読んでいるとしたら、エアコンの稼動音、パソコンのファンのうなり、冷蔵庫が動く音、蛍光灯の音、窓に吹き付ける風の音、外を通過する車の音等々、何らかの音が常に鳴っていると思われる。しかしそうしたことは恐らく今言われてみて気づいただろうが、それまでは特に考えていなかったと思われる。このようなとき「たしかに色々な音がなっているね。でも今まで特に意識していなかった」などと言う。このような用法が「意識」という言葉にはある。他にも例を挙げると、あなたはこの文章を読んでいる間、何度も瞬きをしている(人間はおよそ数秒ごとに一回、目を閉じる動作を繰り返す)。これも言われてみばそうだと思うかもしれないが、しかし言われるまでは恐らくそうしたことは考えていなかったはずである。このようなときも「たしかに瞬きはしている。でも普段は特に意識していないね」などと言う。意識する、意識しない、という言葉でこのようなことが表現されている。この意味での意識は「○○を意識している」「△△について意識していなかった」などと、目的語を取って表現されるため transitive consciousness (トランジッティブ・コンシャスネス、他動詞的意識)と呼ばれることもある。

注意

意識という言葉は注意(英:attention)の意味で用いられることがある。「意識」と「注意」という二つの概念は学者たちの間でも、しばしば相互に混同して用いられる概念である。しかし意識や注意の専門家たちはこの二つの概念を、深い関わりはあるが別の概念であるとして、はっきり区別して使用する[16]。注意には定位(orienting)、フィルターリング(filtering)、探索(searching)という大きく三つの側面がある[17]。定位とは、注意を向けている対象についての情報が得やすいように体の姿勢など制御すること。たとえば犬の近くで大きい音を鳴らしてみる。すると各部の筋肉の収縮と弛緩を通じて物音のした方向に犬の顔が向けられ、眼球が対象の方向に向けられる。そして音が鳴った方に向かって犬の耳がピンと立つ。こうして対象についての情報が取得しやすくなる(これは定位反射と呼ばれる)。フィルタリングとは注意を向けている情報についての情報処理を強化し、対象についてより多くの情報を取得する一方、他の対象についての情報処理作業を抑制することである。たとえば音楽が鳴っている中でワイワイ・ガヤガヤと多くの人が会話を繰り広げている大きいパーティの会場で、誰かがどこかで自分の名前を出したように思ったとき、その自分の名前を呼んだように思った人の会話の情報処理を強化し、他の人たちが行っている会話についての情報処理を抑制することができる。つまりフィルタリングされる(カクテル・パーティー効果)。

随意運動

(英:voluntary action)

自己意識

上の意味と似ているが、自分がいるということに気づいていること、または自分がいるということを知っていることを、「意識がある」と表現することがある(英:self-consciousness, self-recognition)。これは自己意識、自意識とも言われる。ヒトは成長の過程で自己の存在に気づくようになるが、これは、自我の芽生え、とも言われる。このような側面と関わる実験は心理学の分野で多い。発達心理学をはじめ、比較心理学における鏡像自己認知の研究などがある。鏡像自己認知とは、鏡を見てそこに映った自分の像を自分だと理解できること、を指す。この鏡像自己認知が、ネコはできるか、ゾウはできるか、チンパンジーはできるか、イルカはできるか、といったことが調べられている。

メタ認知

また、自分自身の心的な状態などを把握すること、たとえば「自分は今機嫌が悪い」「自分は今○○をしたいと思っている」といったことを知ることができること、を「意識がある」と表現することがある。このような自己の心的状態についての把握する行為は、メタ認知(英:metacognition)とも言われる。

主観的経験、現象的な質

意識という言葉のもつもうひとつの意味は主観的な経験、現象的な質である(英:subjective character of experience, phenomenal quality など)。物理化学的な三人称的視点(third-person perspective)と対比させて一人称的視点(first-person perspective)、また客観的側面と対比させて単に主観性(subjectivity)などとも言う。この意味での意識は、もっとも広い関心を集めており、非常に激しい哲学上の議論が交わされている部分である。しかしこの意味での意識は明確に定義することが難しく、ときに「それはただ指すことしかできない」、「直示的に定義することしかできない」ということが言われることもある。とりあえず主観的な経験という意味での意識の定義で最も有名なものは、ユーゴスラビア出身のアメリカの哲学者トマス・ネーゲルが1974年の論文『コウモリであるとはどのようなことか』において提出した次の定義である[18]

ある生物が意識をともなう心的諸状態をもつのは、その生物であることはそのようにあることであるようなその何かが―しかもその生物にとってそのようにあることであるようなその何かが―存在している場合であり、またその場合だけである。

—トマス・ネーゲル(『コウモリであるとはどのようなことか』より)

この定義はこのままでは暗号めいているので、いくつか例を出して説明する。まず1例目「タンスの角に小指をぶつけた人である、とは一体どのようなことか」。もしあなたが同じような経験したことがあるなら何となく分かるだろうが、このような人は、足先に突如訪れた激しい痛み、そしてどこにぶつけていいのか分からないやり場のない怒り、などを経験している。2例目。「お祭りの場でニコニコしながらチョコレート味のアイスクリームを食べている子供である、とは一体どのようなことか」。これも似たような場面を経験したことがあるなら何となく分かるであろうが、このような子供は、お祭りの場にともなう高揚感、そして口の中に広がる甘い感じ、などを体験している。ではここで問題である。「中にガソリンを詰められたドラム缶である、とはどのようことか」。これはおかしな質問であり、多くの人は次のように思うだろう。ドラム缶はただのモノであり何かを感じるとか、そういう類のものではないと。つまりドラム缶であるとはどのようなことかと言えるような何ものかはない、つまり意識はない、と。ネーゲルの意識の定義は、このような意味での意識を指している。このネーゲルの意味と関連の深い用法として、主観的な経験の中に現れるそれぞれの質のことを「意識」という言葉で表現することがある。これは普通、クオリア、感覚質などといわれ、一般にいくつもの例を挙げる形で枚挙的に定義される(赤の赤さ、虫歯の痛み、コーヒーの苦味など)。こうした意識の持つ主観的側面について物理化学的・神経科学的な見地から説明することが難しく思える、という問題は説明のギャップ意識のハードプロブレムと呼ばれる。1990年代ごろから科学の領域でもこうした主観性の問題が議論されている[19]

実体としての意識

もうひとつの意味として、意識はしばしば心霊主義的な霊魂の同義語のような形で使われる(英:soul, spirit, consciousness as substance など)。このような用例としてたとえば「意識が肉体から抜け出して幽体離脱体外離脱)した」といったものが挙げられる。このような考え方、体と独立に心的実体があるという考え方は、哲学の世界では心身二元論、実体二元論などと呼ばれているが、科学者の中にも哲学者の中にも、この考え方を支持している人はほとんどいない。しかしながら臨死体験研究者など一部の科学者はこの説を支持している人もいる。


  1. ^ G.Bryan Young ら(編), 井上聖啓ら(訳)『昏睡と意識障害』
  2. ^ フロランス・ビュルガ『そもそも植物とは何か』河出書房新社、2021年4月)
  3. ^ シモーナ・ギンズバーグ、エヴァ・ヤブロンカ(著)、鈴木大地(訳)『動物意識の誕生 生体システム理論と学習理論から解き明かす心の進化』上・下(勁草書房、2021年5月)
  4. ^ 「計算機に意識は宿るか 動物からアップロード実験も」日本経済新聞』朝刊2021年6月6日サイエンス面
  5. ^ Moruzzi G. & Magoun H.W. (1949) Brain stem reticular formation and activation of the EEG. Electroencephalography and Clinical Neurophysiology 1:455–473.
  6. ^ 前田敏博 「睡眠の神経機構」『動物心理学研究』第47巻第2号 99-106 (1997)
  7. ^ 井深信男 「サーカディアン・システムの神経機構とその生理心理学」『The Japanese Journal of Psychology』1985, Vol. 56, No. 5, 300-315
  8. ^ 秋山正憲, 守屋孝洋, 柴田重信 「生体時計の生理学的,薬理学的,分子生物学的解析」『日薬理誌』(Folia Pharmacol. Jpn.)112, 243~250(1998年)
  9. ^ 本間研一 「ヒトのサーカディアンリズムと光環境」『人間工学』第37巻 特別号 pp.44-45(2001年)
  10. ^ a b c d e [1]
  11. ^ "By "consciousness" I mean those states of sentience or awareness that typically begin when we wake up in the morning from a dreamless sleep and continue throughout the day until we fall asleep again. " (「意識」という言葉で私が意味するのは、典型的には夢のない眠りから覚めたときに始まり、再び眠りにつくまで日中続く、感覚や気づきのこうした状態である) John R Searle "Mind, Language And Society: Philosophy In The Real World" Basic Books (1999) pp.40-41 ISBN 978-0465045211
  12. ^ Antonio Damasio and Kaspar Meyer "Consciousness: An Overview of the Phenomenon and of Its Possible Neural Basis" The Neurology of Consciousness: Cognitive Neuroscience and Neuropathology Steven Laureys et al. ed. p.4 Academic Press (2008) ISBN 978-0123741684
  13. ^ クリストフ・コッホ著、土谷尚嗣金井良太訳『意識の探求―神経科学からのアプローチ <上>』岩波書店 2006年 ISBN 4000050532 pp.28-29
  14. ^ a b Gerald Edelman, Giulio Tononi "A Universe Of Consciousness How Matter Becomes Imagination" Basic Books (2001) ISBN 978-0465013777
  15. ^ ここでは非常に簡単な区分しか示さない。より詳細な議論については、たとえば哲学分野での議論を反映した文献として、スタンフォード哲学事典の記事、Van Gulick, Robert, "Consciousness", The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Spring 2009 Edition), Edward N. Zalta (ed.) がある。また「意識」という概念について分析を行っている様々な論文を、PhilPapersというサイトがリストしている。こちらも参照のこと。(文献リスト)The Concept of Consciousness (英語) - PhilPapers 「「意識の概念」について論じた文献のリスト。」の文献一覧。
  16. ^ Naotsugu Tsuchiya and Christof Koch (2008), "Attention and consciousness" Scholarpedia, 3(5):4173. (オンライン・ペーパー)
  17. ^ Lawrence M. Ward (2008), "Attention" Scholarpedia, 3(10):1538. (オンライン・ペーパー)
  18. ^ Thomas Nagel (1974). "What is It Like to Be a Bat?" Philosophical Review 83 (October):435-50 (Online PDF) 永井均訳『コウモリであるとはどのようなことか』勁草書房、1989年、ISBN 4326152222 PhilPapersにネーゲルのこの What it is like の用法と関連した論文をリストしているカテゴリがある。そちらも参照のこと。(文献リスト)What is it Like? (英語) - PhilPapers 「「○○であるとはどのようなことか」について論じた文献のリスト。サイトPhilPapersより」の文献一覧。
  19. ^ Koch, C, and Greenfield, S, (2007) How Does Consciousness Happen? Scientific American (Online PDF)
  20. ^ モーガン・フリーマン 時空を超えて 第2回「死後の世界はあるのか?」
  21. ^ 中田力『脳のなかの水分子 意識が創られるとき』紀伊國屋書店 ISBN 4314010118
  22. ^ 野口豊太『「意識の謎」への挑戦』文芸社 ISBN 978-4-286-08872-3
  23. ^ Florian Mormannクリストフ・コッホ Neural correlates of consciousness. scholapieida.org, 2(12):1740
  24. ^ クリストフ・コッホ著、土谷尚嗣金井良太訳『意識の探求―神経科学からのアプローチ』岩波書店 2006年 上巻:ISBN 4000050532 下巻:ISBN 4000050540
  25. ^ ジェラルド M. エーデルマン (著)『脳は空より広いか―「私」という現象を考える』草思社 2006年 ISBN 978-4794215451
  26. ^ Giulio Tononi "An information integration theory of consciousness", BMC Neuroscience 2004年, 5:42. doi:10.1186/1471-2202-5-42
  27. ^ ベンジャミン・リベット (著), 下條信輔 (翻訳)『マインド・タイム 脳と意識の時間』岩波書店 2005年 ISBN 978-4000021630






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