岩田屋
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歴代社長
- 2代中牟田喜兵衛
- 中牟田喜一郎(1947年-)
- 中牟田栄蔵(1985年-)
- 中牟田健一(1989年-)
- 佐久間美成(2002年-) ‐ 元伊勢丹副社長。[36]
- 速水俊夫(2006年-) ‐慶応大卒、伊勢丹出身。 [37]
- 太田垣立郎(2010年-) ‐ 岩田屋三越初代社長。慶応大卒、三越出身。[38]
- 中込俊彦(2014年-) ‐ 慶応大卒、伊勢丹出身。[39]
- 村上英之(2016年-) ‐ 慶応大卒、三越出身。[40]
- 細谷敏幸(2018年-)
- 伊倉秀彦(2021年-) ‐ 慶応大卒、伊勢丹出身。[41]
- 左中樹太郎(2023年-) ‐ 学習院大学卒、伊勢丹出身。[42]
店舗
本店
岩田屋本店 | |
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手前が本館、右奥が新館 | |
地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
本館:福岡市中央区天神2丁目5-35[45] 新館:福岡市中央区天神2丁目6-1 |
座標 |
北緯33度35分19.9秒 東経130度23分50.1秒 / 北緯33.588861度 東経130.397250度(本館) 北緯33度35分21.9秒 東経130度23分51.3秒 / 北緯33.589417度 東経130.397583度(新館) |
開業日 |
1936年(昭和11年)10月7日(旧本館)[5] 1996年(平成8年)9月(現本館:当時Zサイド)[24] |
正式名称 |
本館:NTT-Tビル[43] 新館:天神きらめき通りビル[44] |
施設所有者 |
本館:エヌ・ティ・ティ都市開発株式会社 新館:福岡新都心開発株式会社[12] |
延床面積 |
68,340 m2 *本館:43,721 m2 *新館:24,619 m2[12] |
商業施設面積 |
49,554 m2 *本館:34,012 m2 *新館:15,542 m2[12] |
前身 |
本館:岩田屋天神本店Z-SIDE (NTTの電話局) 新館:NHK福岡放送局 |
最寄駅 | |
最寄IC | 福岡高速環状線天神北出入口 |
外部リンク | 岩田屋本店 |
IWATAYA |
1936年10月7日に福岡駅(現在の西鉄福岡(天神)駅)に隣接する九州では初のターミナルデパートとして開業した[4]もので、天神を福岡市の商業の中心地に変貌させるのに貢献した九州では最大の百貨店である。2008年には九州ではトップとなる約870億円の売上を上げている[46]。
- かつては西鉄福岡(天神)駅北隣に本館を構えていたが(旧本館は2010年に福岡パルコが開業)、2004年に現在地に移転した。Z-SIDE(現在の本館)のオープン以後は、当時の本館を「A-SIDE」、当時の新館を「A-LIVE」とも呼んでいた。移転前の一時期は現在よりさらに広く、A-SIDE(旧本館)・A-LIVE(旧新館、こちらはテナントビルを経て地上部分を解体後、2014年に福岡パルコが増床して福岡パルコ新館として改築・開業)・Z-SIDEの3館合わせて約69,000平方メートルの売り場面積があった。
- かつて外国語FM局の九州国際エフエム(Love FM)が、本館の7階に本社並びに演奏所(主たるスタジオ)を置いていた。天神エフエム(FREE WAVEの愛称でコミュニティ放送を行っていた)への事業継承後も引き続き演奏所としていたが、2011年3月1日をもって本社は今泉に、スタジオはFREE WAVE時代のサテライトスタジオがあったソラリアプラザ1階に移転した。CROSS FMもエフエム九州時代の2004年から新館1階にサテライトスタジオ「天神きらめき通りスタジオ」を置いていたが、2010年2月18日で閉鎖、福岡営業所ともどもベイサイドプレイス博多埠頭へ移設。同サテライトスタジオはキャナルエンターテイメントワークス運営のUSTREAM公式スタジオ「天神きらめき通り FUKUOKA MEDIA STATION」になっている。
- 2011年3月30日、岩田屋本店本館3階に「岩田屋写真室」がオープンし、証明写真や各種記念写真の撮影を行っている。
久留米店
岩田屋久留米店 | |
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写真に写っている建物は新館で、左隣に本館が存在する。2009年6月半ばまで屋上の看板には旧ロゴの「泉のマーク」が掲げられていた | |
地図 | |
店舗概要 | |
所在地 | 福岡県久留米市天神町1-1 |
座標 |
北緯33度18分46.3秒 東経130度31分19.8秒 / 北緯33.312861度 東経130.522167度(本館) 北緯33度18分43.5秒 東経130度31分20.3秒 / 北緯33.312083度 東経130.522306度(新館) |
開業日 | 1936年(昭和11年)10月7日[5] |
正式名称 | 米城ビル千歳プラザ東館[47] |
施設所有者 | 米城ビルディング株式会社[12] |
施設管理者 |
株式会社岩田屋三越 米城ビルディング株式会社 |
商業施設面積 |
2 *12,369 m2 [12] |
最寄駅 | 西鉄久留米駅直結 |
外部リンク | 岩田屋久留米店 |
IWATAYA |
1972年5月には福岡県久留米市の西鉄久留米駅前の現在地に久留米岩田屋として開業し[12]、2004年まで子会社の株式会社久留米岩田屋として営業していたが、現在は本体に移管されて岩田屋久留米店となっている。
近年は、2010年11月17日に日田市のバスセンター発着・特製弁当付きの買い物バスツアーを初めて実施して、日田岩田屋時代からの顧客に買い物の便を提供して繋ぎとめるなどかつての店舗網を生かした売上確保にも取り組んでいる[48]。
2013年5月より、屋上のミニ遊園地・フードコートが再整備・再開放された。
2019年3月21日に、新館が閉店した[49]。
サテライトショップ
いずれも福岡県に所在
- 岩田屋サロン春日
- 春日市下白水北4丁目87
- 岩田屋サロン那珂川
- 那珂川市片縄3丁目47
- 岩田屋サロン下大利
- 大野城市下大利1丁目2-14
- 岩田屋サロン二日市
- 筑紫野市二日市中央3丁目3-5
- 岩田屋サロン筑後
- 筑後市大字山の井字野田720-5
- 岩田屋サロン柳川
- 柳川市上宮永町高町36
- 岩田屋サロン前原
- 糸島市浦志1丁目1-1
- 岩田屋サロン福重
- 福岡市西区拾六町1丁目246-1
- 岩田屋サロン木の葉モール橋本[50]
- 福岡市西区橋本2丁目27-2 木の葉モール橋本1階
- 岩田屋サロンイオンモール福津
- 岩田屋サロンイオンモール福岡
- 岩田屋サロンイオンモール筑紫野
- 筑紫野市立明寺434-1 イオンモール筑紫野1階
- 岩田屋サロンイオンモール香椎浜
- 福岡市東区香椎浜3丁目12-1 イオンモール香椎浜1階
-
旧天神岩田屋本館 建物は改装され福岡パルコとして営業
-
岩田屋久留米店
(旧ロゴ時代の店舗外観) -
岩田屋の旧ロゴ「泉のマーク」
2010年まで岩田屋久留米店本館入口に掲げられていた
過去に存在した店舗
日田岩田屋
日田岩田屋[51] | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒860-8668[52] 大分県日田市 |
開業日 | 1947年(昭和22年)5月 |
閉業日 | 2002年(平成14年)8月 |
正式名称 | 久留米岩田屋日田店[51] |
施設管理者 | 株式会社久留米岩田屋[51] |
敷地面積 | 約3,000 m2 |
延床面積 | 約10,600 m2 |
前身 | 日田岩田屋 |
後身 | 分譲マンション |
最寄駅 | JR日田駅 |
IWaTaYa |
大分県日田市にあった大分県西部で唯一の百貨店。 1947年(昭和22年)5月に岩田屋の初の百貨店としての支店である日田岩田屋として日田市の中心市街地の一角にあった軽便鉄道の駅の跡地に開業[13]。 後にJR日田駅前に移転して日田市内だけでなく玖珠郡・日田郡を含む大分県西部全域から集客した[13]が、財務面の問題から1993年(平成5年)9月に久留米岩田屋に吸収合併されて久留米岩田屋日田店になった。
閉店した前後は黒字店舗であったが、経営再建の一環としてを2002年(平成14年)8月に閉店。
東京建物に西新岩田屋などとどもに売却されたが[29]、商業の衰退を恐れた日田市などの招致により跡地に大分の百貨店トキハの子会社のスーパートキハインダストリーの進出が計画され[51]、2003年(平成15年)4月に日田市が土地と建物を3億7658万円で購入したものの、当てにしていた「中心市街地等商店街・商業集積活性化施設等整備事業」の補助金の利用が出来なかったため断念に追い込まれ[53]、分譲マンションになった。
戸畑岩田屋
戸畑岩田屋 | |
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店舗概要 | |
所在地 | 北九州市戸畑区浅生2-10-8[13] |
開業日 | 1965年(昭和40年)[13] |
閉業日 | 1977年(昭和52年)[13] |
商業施設面積 | 3,586 m²[13] |
最寄駅 | JR戸畑駅 |
IWaTaYa |
1965年(昭和40年)に北九州市戸畑区中本町に戸畑岩田屋として開業した[13]が、百貨店空白地を狙った立地が裏目に出て小倉と黒崎の商業集積との競合に敗れ[18]、1977年(昭和52年)に閉店した[13]。
同年、閉店後の建物にマルショク戸畑店が出店したが[13]、サンリブ戸畑ファッション館への業態変更を経て撤退。建物はその後解体され、跡地にはマンションが建設された。
熊本岩田屋
熊本岩田屋[52] | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒860-8668[52] 熊本県熊本市桜町3-22[52] |
開業日 | 1973年(昭和48年)10月[14] |
正式名称 | 久留米岩田屋熊本店 |
施設所有者 | 九州産業交通株式会社 |
施設管理者 | 株式会社久留米岩田屋 |
延床面積 | 約48,000 m2[52] |
商業施設面積 | 約25,000 m2[52] |
前身 | 岩田屋伊勢丹ショッピングセンター |
後身 |
くまもと阪神 ↓ 県民百貨店 |
IWaTaYa |
1973年(昭和48年)10月[14]に九州産業交通などが開設したバスターミナル・熊本交通センターの一角(熊本県熊本市桜町3-22[52])に伊勢丹、熊本交通センターとの合弁で岩田屋伊勢丹ショッピングセンターとして開業[14]。
熊本商工会議所の百貨店審議会で百貨店としての進出が拒否された[19]ため、ショッピングセンターとして開業し、1974年(昭和49年)7月に百貨店に切替えたものの業績低迷が続いた[14]。1993年(平成5年)3月には伊勢丹が撤退し単独運営の熊本岩田屋となった[14]後も損失が膨らみ、久留米岩田屋に営業を移管した2000年(平成12年)2月までに累積赤字は100億円に達した[20]。
営業移管後は久留米岩田屋熊本店として営業し、九州産業交通が家賃を年10億円から9億円に減額するなどの対応をした結果、2001年(平成13年)2月期には1.85億円[20]、2002年(平成14年)2月期には約3億円の経常黒字を計上して単年度収支では黒字転換していた[54]が、経営再建の一環として2003年(平成15年)2月11日に閉店した。
撤退表明時にはMBOによる独立も模索されたが岩田屋側が拒否して実現せず[55]、地元財界人が2002年(平成14年)10月に県民百貨店を設立して阪神百貨店と提携し、くまもと阪神として店舗と従業員の大半を引継いで熊本岩田屋の閉店から10日後に開業した[52]。
その後、自社での運営ノウハウが付いたとして阪神百貨店との業務提携を終了し、県民百貨店として営業していたが、再開発に伴う移転先の確保ができなかったことなどを理由に2015年(平成27年)2月28日をもって閉店している[56][57]。
西新岩田屋
西新岩田屋[58] | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒814-0001 福岡県福岡市早良区西新4丁目1-1 |
開業日 | 1981年(昭和56年)6月[12] |
正式名称 | 岩田屋西新店 |
施設所有者 | 株式会社岩田屋 |
敷地面積 | 約4,200 m2[58] |
延床面積 | 約20,200 m2[58] |
後身 | PRALIVA |
最寄駅 | 福岡市営地下鉄西新駅直結[58] |
IWaTaYa |
福岡市営地下鉄の開業による郊外の発展を見込んで1981年(昭和56年)6月[12]に福岡市早良区西新の福岡市営地下鉄西新駅に直結している[58]「西新エルモール」の核店舗西新岩田屋として開業し、1997年(平成9年)には売上高132.3億円を上げていた[21]。
しかし、3年後の2000年(平成12年)には郊外型ショッピングセンターなどとの競合で売上高が76.3億円に落ち込み、債務は年商の1.6倍を超える124.7億円となった[21]。2002年(平成14年)2月末には債務超過に陥り、2003年(平成15年)2月に閉店した。
跡地は日田岩田屋などと一緒に東京建物に売却され[29]、取得した東京建物が運営する専門店街「プラリバ」として2003年(平成15年)4月25日に開業した[59]。2002年(平成14年)に西新岩田屋と専門店街の合計で約100億円あった売上は減少傾向に歯止めが掛からず、プラリバの売上高は2010年(平成22年)に約71億円となり、老朽化に伴う改修費約40億-50億円を賄えないとして、商業施設を縮小してタワーマンションを含めた複合施設への建て替えが発表され[58]、2019年7月26日、後継施設となる「PRALIVA(プラリバ)」が開業した。
その他
- 八女店
- 八女市にも一時店舗を構えていた。現在は近隣の筑後市にサロン(小型店舗)がある。
- 唐津サロン
- 寿屋唐津店(現在のトライアル唐津店)の前に所在した2階建てのサロン店。現在はTSUTAYA唐津店となっている。
- 志免サロン
- 西友志免店(現在のルミエール志免店)の近隣に所在した2階建てのサロン店。
- 津屋崎サロン
- 2階建てのサロン店。2015年春閉店。
- 古賀サロン
- ルミエール古賀店の横に所在した2階建てのサロン店。
- 土井サロン
- 2階建てサロン店。2023年3月28日閉店。
- 森林都市サロン
- サニー森林都市店の隣に所在した2階建てサロン店。現在はマツモトキヨシ 宗像森林都市店となっている。
- ^ 『流通会社年鑑 1978年版』日本経済新聞社、1977年10月25日、50-51頁。
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- ^ エレデ博多寿屋を経て現在は「呉服町ビジネスセンタービル」が立地。
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- ^ 「新時代を駆ける 速水俊夫氏/足立憲弘氏 新天町創業60周年 岩田屋開業70周年 記念対談 魅力あふれる空間 競争と共生で活力」『西日本新聞』西日本新聞社、2006年11月15日。
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- ^ 創業者:中牟田喜兵衛も晩年まで初日の売上額を聞かれると「はーい、5万2525円49銭でしたよ」とつぶやいていたという。
- ^ 当初は午後6時まで。その後段階的に延長し午後10時まで営業していた時期もあったが、最終的には午後6時に戻っている。
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- ^ 株式会社三越伊勢丹ホールディングス 第4期有価証券報告書 連結財務諸表作成のための基本となる重要な事項
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