山中貞則
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/20 03:09 UTC 版)
略歴
- 旧制都城中学校(現・宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)、台湾・台北第二師範学校を卒業後、高雄州の国民学校で教職を務める。その後出征し、1946年に復員。師範学校時代の教師に屋良朝苗(後の琉球政府行政主席・沖縄県知事)がいた。
- 郷里に戻り南日本新聞記者、鹿児島県議会議員を経て、1953年の第26回衆議院議員総選挙に旧鹿児島3区から自由党公認で出馬して初当選。
- 1955年(昭和30年)、保守合同で自由民主党結党に参加。河野一郎の河野派に入会。
- 1958年(昭和33年)、岸内閣で大蔵政務次官に就任(当時の森永貞一郎大蔵事務次官らがこの人事を覆そうと試みたが失敗に終わった)。感激した山中は財政や税制に関する勉強に励み、当時品目ごとに利害が複雑に絡み合って税率の設定は困難であるといわれた物品税の大改正を成し遂げた。このことが後に官僚以上に税に精通した政策通との異名に繋がる。
- 1961年(昭和36年)、自民党副幹事長に就任。
- 1963年(昭和38年)、衆議院大蔵委員会委員長に就任。
- 1970年(昭和45年)、第3次佐藤内閣で総理府総務長官として初入閣し、アメリカ側との極秘交渉や通貨危機の回避など沖縄返還に尽力した。
- 1971年(昭和46年)、初代環境庁長官を兼任(内閣改造までの4日間のみ)、翌年には沖縄返還にあたって初代の沖縄開発庁長官に就任した。
- 1973年(昭和48年)、第2次田中角栄内閣で防衛庁長官を1年半に亘って務め、たて続けに入閣した。
- 1974年(昭和49年)、党の政務調査会長に就任するが、就任後1ヶ月で田中内閣が倒れ、無役になる。この処遇で中曽根康弘と不仲となり、中曽根派を脱会。1978年に復帰するまで無派閥を通す。この間に山中派結成を画策したこともあるが実現しなかった。
- 1979年(昭和54年)、自民党税制調査会長を務める。以来、税制のドンとして重きをなし、「税の神様」や「ミスター税調」などと呼ばれた。四十日抗争など一連の派閥抗争では、強硬な反大平派として行動した。
- 1982年(昭和57年)、第1次中曽根内閣誕生により主要閣僚である通商産業大臣として入閣するが、糖尿病のため任期途中で辞任した。
- 1990年(平成2年)、税調の最高幹部として消費税導入を積極的に推し進めたことなどが祟って、第39回衆議院議員総選挙では最下位当選の有川清次(日本社会党)に28票差の落選。この時「山中当選確実」と報じられ、万歳三唱までしてしまった。しかし、当確が取り消された直後の事務所中継があり、現場には支持者が誰も映っていなかった。当確報道の先走りが問題になった。
- 1991年(平成4年)、勲一等旭日大綬章受章[1]。
- 1993年(平成5年)、第40回衆議院議員総選挙で当選し、国政復帰。
- 1998年(平成10年)、山崎拓の後見人として山崎派の結成に参加するが、翌年に山中の意向に反して山崎が自民党総裁選挙に出馬したため、同派を離脱して中曽根の在籍する江藤・亀井派に出戻る形になった。
- 2003年(平成15年)、第43回衆議院議員総選挙でも当選し、最年長、最多当選の国会議員となるが、当選から3ヵ月後の2004年2月20日に肺炎のため死去。82歳没。通算17回当選。山中の死により、保守合同並びに55年体制成立以前に初当選した現職の国会議員は姿を消した。
- 2014年4月、鹿児島県曽於市末吉町の旧山中邸に山中貞則顕彰館が開館。式典には仲井真弘多沖縄県知事も出席した。山中は沖縄名誉県民第一号でもある。
- ^ “秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、在日外国人、外国人の受章者”. 読売新聞. (1991年11月3日)
- ^ 三宅久之「三宅久之の書けなかった特ダネ」青春出版社、P170、2010年
- ^ 岩見隆夫「佐藤栄作に学ぶべきだ」『岩見隆夫の近聞遠見』(毎日新聞2010年5月14日付朝刊)
- ^ 毎日新聞 2008年6月2日東京朝刊
- ^ 真鍋繁樹「大蔵省 懲りない権力」二期出版、P56-57、1992年
- ^ “日中関係打開めざした「保利書簡」 「いぶし銀の調整役」保利茂(7)”. 日本経済新聞. (2011年10月30日) 2017年5月3日閲覧。
- ^ a b “[一筆経上]ミスター税調の本音 編集委員・大橋善光”. 読売新聞. (2004年2月22日)
- ^ 千葉商科大学経済研究所-機関紙
- ^ 民主党の税調改革で「法人税減税」「社会保障と税の一体化」は実現するか ダイヤモンド・オンライン 政局LIVEアナリティクス第61回 2010年11月2日
- ^ “津島雄二元厚相「山中貞則さん神格化されすぎた」”. 日本経済新聞 (2015年1月11日). 2021年8月12日閲覧。
- ^ “Facebookにログイン”. Facebook. 2022年4月7日閲覧。
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