宮本輝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 06:45 UTC 版)
宮本 輝 (みやもと てる) | |
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誕生 |
宮本 正仁(みやもと まさひと) 1947年3月6日(76歳) 日本・兵庫県神戸市 |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
教育 | 文学士 |
最終学歴 | 追手門学院大学文学部 |
活動期間 | 1977年 - |
ジャンル | 小説・随筆 |
代表作 |
『泥の河』(1977年) 『螢川』(1977年) 『錦繍』(1982年) 『流転の海』(1984年 - 2018年) 『優駿』(1986年) 『彗星物語』(1992年) 『骸骨ビルの庭』(2009年) |
主な受賞歴 |
太宰治賞(1977年) 芥川龍之介賞(1978年) 吉川英治文学賞(1987年) 芸術選奨(2004年) 司馬遼太郎賞(2009年) 紫綬褒章(2010年) 毎日芸術賞(2019年) 旭日小綬章(2020年) |
デビュー作 | 『泥の河』(1977年) |
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人物
兵庫県神戸市に生まれる。後、愛媛県、大阪府、富山県に転居。関西大倉中学校・高等学校、追手門学院大学文学部卒業。
広告代理店勤務を経て戦後の大阪の貧しい庶民の生活を描いた『泥の河』(1977年)でデビュー。『螢川』(1977年)で芥川賞、『優駿』(1986年)で吉川英治文学賞を受けた。プロならおもしろい小説を書くべきだといい、叙情性豊かに宿命、生と死を描き、長年幅広い読者層を獲得している。『流転の海』(1984年)からの自伝的大河小説の連作もある。
経歴
1947年(昭和22年)、自動車部品を扱う事業を手掛けていた宮本熊市の長男として生まれる。1952年(昭和27年)に大阪のキリスト教系の幼稚園に入園するが、半年ほどで退園。その後、大阪市立曽根崎小学校に入学。1956年(昭和31年)に、父の事業のため富山市豊川町に転居し、富山市立八人町小学校に転入。1957年(昭和32年)に、父の事業が失敗したため兵庫県尼崎市に転居、尼崎市立難波小学校に転入。1959年(昭和34年)に私立関西大倉中学校に入学。1962年(昭和37年)に私立関西大倉中学校を卒業、同高校普通科に入学。1965年(昭和40年)に私立関西大倉高校普通科卒業。1浪のあと、1966年(昭和41年)に新設された追手門学院大学文学部に1期生として入学。1970年(昭和45年)に同大学を卒業。
サンケイ広告社でコピーライターとして働いたが、20代半ば頃から当時の呼称で「不安神経症」、現在のパニック症候群に苦しんでおり、サラリーマン生活に強い不安を感じていた。ある雨の降る会社帰り、雨宿りに立ち寄った書店で某有名作家の短編小説を読んだところ、書かれていた日本語が『目を白黒させるほど』あまりにひどく、とても最後までは読み通せなかった。かつて文学作品を大量に読んだことがある自分ならば、もっと面白いものが書けると思い、退社を決め、小説を書き始める。それでも数年は芽が出ず、生活も苦しくなる。其の折、知人を通じて作家・編集者で「宮本輝」の名付け親でもある池上義一に出会い、作家としての指導を受ける。同時に池上の会社に雇って貰う。
1977年(昭和52年)に自身の幼少期をモチーフにした『泥の河』で、第13回太宰治賞を受賞してデビュー。翌1978年(昭和53年)には『螢川』(「文芸展望」第19号、1977年10月)で第78回芥川賞を受賞し、作家としての地位を確立する。
一時は結核療養のため休筆。1987年(昭和62年)に『優駿』で吉川英治文学賞(歴代最年少40歳)および初代JRA賞馬事文化賞、2003年(平成15年)『約束の冬』で芸術選奨文部科学大臣賞(文学部門)、2009年(平成21年)『骸骨ビルの庭』で第12回司馬遼太郎賞、2010年(平成22年)秋紫綬褒章受章。この間、芥川賞選考委員を第114回(1996年)から162回(2020年)まで務める。
代表作に「川三部作」と呼ばれる『泥の河』『螢川』『道頓堀川』や、書簡体文学の『錦繍』、出身校の追手門学院大学を舞台に大学生の青春を描きドラマ化もされた『青が散る』、自伝的大河作品の連作などで映画化やラジオドラマ化などもされている『流転の海』、『ドナウの旅人』、『彗星物語』など。
受賞・栄典
- 1977年(昭和52年) - 『泥の河』で第13回太宰治賞
- 1978年(昭和53年) - 『螢川』で第78回芥川賞
- 1987年(昭和62年) - 『優駿』で第21回吉川英治文学賞
- 2004年(平成16年) - 『約束の冬』で第54回芸術選奨文部科学大臣賞文学部門
- 2010年(平成22年) - 『骸骨ビルの庭』で第13回司馬遼太郎賞
- 2010年(平成22年) - 紫綬褒章[1]
- 2019年(平成31年) - 「流転の海」で毎日芸術賞
- 2020年(令和2年) - 旭日小綬章[2]
- ^ “秋の褒章、703人・32団体に 宮本輝さんら”. 日本経済新聞 (2010年11月2日). 2023年4月7日閲覧。
- ^ “作家・宮本輝氏、旭日小綬章「とても光栄なこと」春の叙勲受章者発表”. スポニチ. (2020年4月29日) 2020年7月4日閲覧。
固有名詞の分類
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