奈良小1女児殺害事件 裁判

奈良小1女児殺害事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/31 05:53 UTC 版)

奈良小1女児殺害事件(なら しょういちじょじ さつがいじけん)は、2004年平成16年)11月17日奈良県で発生したわいせつ目的の誘拐殺人事件[8]


注釈

  1. ^ a b c 死体遺棄現場は『読売新聞』 (2004) では「平群町菊美台の道路側溝[富雄北小から南西約6キロメートル (km) 付近で、近鉄生駒線東山駅の南約500 mの住宅街造成地]」[35]、『奈良新聞』 (2006) では「平群町菊美台二丁目の道路脇側溝」[1]、奈良地裁の判決文 (2006) では「平群町大字椣原の町道北椣原373号線・道路脇側溝」となっている[3]
  2. ^ 奈良地裁 (2006) は「被告人の1歳下の弟(次男)は現在も自営業を営みつつ、家庭を持ち、障害を持つ一番下の弟(三男)の面倒も見て、一般的な社会人として暮らしている」と認定している[13]
  3. ^ 小林の父親は小林の非行について、厳しく叱責したりする一方で店に対し万引きの被害弁償をしたり、学校・父兄へいじめの相談をしたりしていたほか、母親も「薫が弟をいじめるので困っている」と担任教師に伝えたりした[13]
  4. ^ 大阪市内の小中学校を卒業[5]。中学校には1981年(昭和56年)4月に入学した[13]
  5. ^ 中学入学後は同級生の不良グループから暴力を振るわれるなどのいじめを受け、不良たちの機嫌を取るため、言われるまま物を買いに行ったり盗んだりして使い走りのようなことをしていた[13]。高校進学後はいじめを受けるようなことはなくなったが、同級生の恐喝行為の見張りをして強盗致傷の非行に問われることがあった[13]
  6. ^ 小林の祖母は家事を切り盛りするのに忙殺され、生前の母親のように孫の小林に構うことはできなかったが、可能な限り孫たちを可愛がり、小林たちも父親に叱られると祖母に助けを求めたり、いろいろな相談をしたりしていた[13]
  7. ^ 高校3年の夏休み、小林はクラブの合宿で行った鳥取県で小学生の女児にわいせつ行為をして快感を覚えていた[13]
  8. ^ 当時は同僚と酒を飲みに行くなど比較的良好な人間関係を構築し、働きぶりは普通で勤務態度も良好だった[13]。そのため、小林の配達区域内の住民から「新聞配達員に女の子がいたずらされたが、おたくの配達員ではないか?」と疑われた際、店長らは「小林を含め、うちの従業員にはそのような悪いことをする人物はいない」と回答していた[13]
  9. ^ 『東京新聞』 (2005) はこの時の犯行について「女児の口に自分の性器を入れた」と報道している[15]
  10. ^ 小林の父親はこの窃盗事件の被害弁償や留置場への金員・衣服の差入れ、公判への情状証人としての出頭を行った[13]
  11. ^ 運送会社で勤務するようになって以降は仕事上で大きな失敗をしたことはなかったが、「遅刻が多く、時間にルーズでなまくらな人間」「注意を繰り返しても改善せず、同じ失敗をしても動じず、反省の色が全くない」と評価されていた[13]
  12. ^ 同事件当時、小林はトラック運転手として勤務し、住吉区長居三丁目に居住していた[16]。同事件の際には家宅捜索により、自室からポルノコミック・雑誌約20冊が見つかったため、住吉署は「コミックなどの性描写に刺激されて女児を襲った」として小林を追及した[16]
  13. ^ 『日本経済新聞』 (1991) によれば、事件現場は住吉区苅田一丁目の「東長居団地」1階階段付近[17]
  14. ^ 残り8か月とする報道もある[21]
  15. ^ この時、小林の父親は服役中の長男・小林と面会し、出所時には1歳下の弟(次男)とともに小林を迎えに行き、出所後の就職の世話もした[13]
  16. ^ 実際には小林には結婚歴はない[11]
  17. ^ それ以降、東住吉署は2度にわたり逮捕状を取り直していた[22]
  18. ^ 小林は2004年10月以降、持ち逃げした購読代金を返済するため湯里販売所長の口座に計12万円を振り込んでいた[23]
  19. ^ 2004年9月初めごろには湯里販売所からその事実を把握されていた[23]。一方、西大和ニュータウン販売所は小林が湯里販売所で起こした横領事件の事実を把握していなかった[24]
  20. ^ この車は事件当時、小林が勤務していた新聞販売所の同僚(当時、小林と起こしたミニバイク同士の衝突事故により負傷して入院中)から借りた車で、同僚が退院する3日後(11月20日)に返さなければならなかったため、事件当日は小林が自由に車を使える最後の休日だった[28]
  21. ^ 小林は1998年(平成10年)ごろに生駒市鹿ノ台で働いていた際、「この辺りは子供が減っている」と聞いていたため、その点を思い出したことで生駒市ではなく、奈良市を犯行現場に決めた[3]。また、1999年(平成11年)7月からはA宅近くの新聞販売店で働いていた[29]
  22. ^ 被害者・女児Aは2004年3月に奈良市立富雄北幼稚園を卒園し、事件直前(11月11日)に7歳の誕生日を迎えたばかりだった[30]。A宅の周囲では同年春ごろから不審者の目撃情報があり、地域住民が警戒を強めていた[30]
  23. ^ 魚沼学園前東方約10メートル (m) 付近路上[3]
  24. ^ 小林は事件当夜に行きつけの飲食店を訪れており、事件発覚後に来店した際には「おととい、俺はこの店に来ていたからアリバイあるよな?」とつぶやいていた[11]
  25. ^ 遺体の一部・口付近にあった刃物などによる傷跡には生活反応がなかったため、殺害後に遺体を傷つけたことが判明している[31]
  26. ^ この約10分前(19時55分ごろ)、Aの携帯電話(A宅から南へ約200 mの公園)から母親の携帯電話へワン切りがあった[32]
  27. ^ 脅迫メールを送信した地点は『奈良新聞』 (2006) では「中山田池公園東側駐車場」(北葛城郡河合町中山台一丁目)[1]、奈良地裁の判決文 (2006) 「鮫島公園東側駐車場(北葛城郡河合町中山台)」となっている[3]
  28. ^ この画像は事件当日と同じ[33]
  29. ^ 加害者小林の職場付近[11]
  30. ^ 捜査員に連行される直前、小林は販売所に届いた「不審人物浮かぶ」と報じた12月30日付の毎日新聞を配達し、配達後には同僚に「これで(自分への)疑いが晴れる」と話していた[11]
  31. ^ 奈良地検は小林の供述などから「犯行は殺人だけでなく、Aを殺害する故意を持って強制わいせつに及び、Aを死亡させた」と認定した[46]。またAの両親が強制わいせつ容疑で告訴していたため「事実に即した認定をし、処罰するべき」と判断し、被告人小林を強制わいせつ致死罪でも起訴した[46]
  32. ^ 大阪近鉄バファローズは同年の球界再編によりオリックス・ブルーウェーブと合併し、同年限りで消滅した[49]。中村は選手分配ドラフトにより合併球団(オリックス・バファローズ)へ所属することになったが、2005年1月にポスティングシステムを利用してメジャーリーグベースボール (MLB) のロサンゼルス・ドジャースへ移籍した。
  33. ^ 中村は事件当時娘3人がおり、次女は被害者Aと同い年だった[49]
  34. ^ 宅間は2004年9月に死刑を執行されていたが、宮﨑は当時上告中で[48]月刊『創』2006年1月号で「精神鑑定も受けずに『第二の宮﨑勤』は名乗らせません」と被告人小林を批判した。その後、宮﨑は2006年1月に死刑が確定し、2008年6月に死刑を執行された。
  35. ^ 宮﨑はペドフィリアとは診断されていない。
  36. ^ その理由について、周囲には「謝罪・反省の言葉は減軽を望んでいるようで、自分の真意ではない。それを促す弁護人にも従いたくない」と話していた[52]
  37. ^ 小林と文通していた『創』編集長・篠田博之によれば、小林には一般人から「早く死ね」などの手紙が届いていた[52]
  38. ^ 前田雅英首都大学東京教授(刑事法)は「性犯罪に対する国民感情を重く受け止めた判決だ。加害者が性犯罪の前科を有しており、反省の情を示さなかったことに加え、裁判所の『性犯罪を撲滅しなければならない』という意識の表れでもあろう」と評している[64]
  39. ^ 同事件で広島地裁は「被害者1人の殺人事件の場合、死刑適用には被害者が複数の事件より高い悪質性が必要」と判断した[66]
  40. ^ この時、小林は控訴に異論を示さなかった[67]
  41. ^ 小林はその直前に弁護人と面会し「午後にも控訴を取り下げる」と話しており、弁護人から「なぜこんな事件を起こしたのかを説明する必要がある」と説得されたが、熟慮の末に決断したためか翻意しなかった[68]。取り下げ後にも弁護人と再び面会し「(10月)5日に結論を出した。何を言っても社会は理解してくれない」と話していた[69]。また、死刑確定後には控訴取り下げの理由について「弁護士を信じられなかったから」と述べている[54]
  42. ^ この新証拠は2008年3月25日、大阪拘置所講堂で行われた大阪高裁への公判期日申立てに関する事実調べの際に獲られた調書[73]
  43. ^ 2011年12月時点で新たな死刑確定者にも同様のアンケートを送付している[78]

出典

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