和樂備神社 祭神

和樂備神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/12 14:39 UTC 版)

祭神

歴史

創建から江戸時代までのことは、別当寺を務めた三学院成就院が廃寺となったために明らかでない。社伝によれば、室町時代足利将軍家一族の渋川氏が蕨城を築き、その守り神として八幡神を祭ったのが始まりとされる。一方、「世鏡伝記題臨書」[1]によれば、永正8年(1511年)に鎌倉の住人、成田隼人正が祭ったとする。また、本殿に安置された神体(木造僧形八幡立像)の台座に天正11年(1583年)の文字が薄く残されている。

江戸時代に蕨宿が整備されると、「蕨八幡」「上の宮」と呼ばれ、中の宮(宮田 氷川社)、下の宮(荒井前 氷川社)と共に蕨宿三鎮守として重きをなした。

明治6年(1873年) - 村社八幡社に列格、国の管理を受ける。

明治末に神社合併という国策が打ち出され、蕨町においても町内各社を当社に合併することになったが、それぞれの集落民が納得するまでには、数年を要した。明治44年(1911年)12月15日、最後まで承服しなかった塚越稲荷神社を除いた18社[2]を合祀[3]した。合祀後の神社名に、祭神名(八幡神)を取ることは、各集落とも承服しない状況であった。土地名を冠することとなり、蕨一字では尊厳味がないので、岡田健次郎元町長の知人本居豊穎に依頼し、万葉仮名から取って、和樂備神社と命名した。そして、各合祭神社の建物・鳥居・敷石を移転したり、境内の拡張整備を行った。この時、八幡社の本殿は末社稲荷の社殿にまわし、丁張稲荷社の本殿を当社の本殿として移築した。これらの整備は大正末までかかった。

昭和39年(1964年) - 合祀55年を記念して、本殿の移築、幣殿と拝殿を新築する。旧拝殿は手水舎前に移築され神楽殿として使用した。

平成8年(1996年)- 社殿が不審火により焼失。翌平成9年(1997年)再建。

平成26年(2014年) - 合祀100周年記念事業として参集殿を建立。さらに、手水舎前の神楽殿を神輿殿に改築した。

境内

  • 神輿殿
    江戸末期に拝殿として建立。昭和39年(1964年)の拝殿新築により、当建物は手水舎前に移築し神楽殿になったが、倉庫にされていた。平成26年(2014年)に改築し、神輿殿として蘇った。
  • 神池(御殿堀)
    蕨城を囲むの一部であった。江戸時代になると、徳川家が隣接する蕨城址に鷹狩用の御殿を建て、この堀は御殿堀と呼ぶようになった。
  • 乃木希典の銅像
    日露戦争従軍の蕨町老兵会の人々によって、昭和11年(1936年)蕨市立北小学校の校庭に建立された。終戦後、軍国主義の象徴であるから校庭に置くのは不適当ということになり、昭和32年(1957年)に当社の境内に移設される。
  • 戦争記念碑
    社殿裏に建立されている。これは当社が町の中心にあり、境内の敷地も広かったことから、自然に境内に建設するようになった。終戦後、進駐軍が上陸してくると、軍事関係のものがあると大変なことになるというので、役場や学校にあった忠魂碑は慌てて埋めたり、取り壊してしまった。蕨の場合、神社の境内にあって、誰も気づく者もなくそのまま存置された。県下でも珍しいものである。
    • 忠魂碑
      西南戦争と日露戦争の戦死者の名が刻されている。
    • 日清戦役凱旋記念碑
      日清戦争の従軍者の名が刻されている。戦死者は無し。
    • 日露戦役記念碑
      日露戦争の従軍者及び戦死者の名が刻されている。
    • 昭和の慰霊の像
      昭和43年(1968年)に太平洋戦争戦死者の慰霊のために建立。
  • 木遣塚
    蕨鳶消防組の活動を記念して建てられた。

  1. ^ 榎本政雄著。榎本家は近世初期に蕨郷の新田開発を行った、蕨の草分け百姓であり、政雄はその子孫。「世鏡伝記題臨書」は、政雄が天明6年(1786年)に「世鏡伝記」という一書を手に入れ、これに基づき説いたもの。蕨宿の寺院・古塚の由来などについて記している。なお「世鏡伝記」の著者は不明である。
  2. ^ 宮田氷川社、宮田神明社、宮田浅間社、宮田御守殿社、宮田天神社、宮田天神社、荒井前天神社、荒井前氷川社、丁張稲荷社、赤田稲荷社、鍛冶作神明社、鍛冶作春日社、鍛冶作道祖神社、仁中歩稲荷社、仁中歩日枝社、金山稲荷社、金山天神社、前谷御嶽社。
  3. ^ このうち天神社4社と稲荷社4社は、それぞれ合祭して末社の天神社と稲荷社として祭り、他の各社は本殿に合祀した。





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