名港火力発電所 戦災・災害被害

名港火力発電所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/20 08:14 UTC 版)

戦災・災害被害

太平洋戦争中、名港火力発電所は空襲被害を受けている。具体的には1945年(昭和20年)6月26日、屋外変電所南側付近に爆弾が落下し、変圧器や屋外設備が被災、その他工作場・倉庫・社宅が全半壊した[7]。また戦時中に発生した東南海地震三河地震でも軽微な被害があった[7]

戦後の1959年(昭和34年)9月26日に上陸した伊勢湾台風では、35センチメートル程度の浸水被害があったが、被害は軽微で、屋外変圧器の修理を待って28日には発電機の運転を再開した[7]

石油火力化と廃止

名港火力発電所5号機増設直後の1955年(昭和30年)12月、三重県四日市市三重火力発電所が新設された[19]。次いで1959年(昭和34年)には同じ名古屋港に新名古屋火力発電所が建設され、1963年(昭和38年)には四日市市に四日市火力発電所も出現した。この間発電機は大型化し続けており、1960年(昭和35年)以降に導入された新名古屋火力2 - 6号機および四日市火力1 - 3号機はすべて22万キロワット発電機であった[20]

こうした大容量の新火力発電所建設に伴い、日本発送電時代から稼働する3つの発電所のうち清水火力発電所・名古屋火力発電所は1964年(昭和39年)に相次いで廃止された[21]。名港火力発電所でも稼働率が急減したため、1966年(昭和41年)6月より1 - 7号ボイラーならびに1 - 3号機、同年12月より残りの設備も長期休止・保管体制に入った[7]1967年(昭和42年)10月には保管要員も転出して守衛を残し無人化されたが、翌1968年(昭和43年)12月に需要増加のため保管体制は解除、周辺市街地化に伴う環境対策工事の竣工を待って1969年(昭和44年)7月より4・5号機、1970年(昭和45年)5月より1 - 3号機の運転を再開した[7]。再開に際し、重油専焼化改造を受けて石炭火力発電所から石油火力発電所へと転換されている[7]

再開後は尖頭負荷発電所として稼働したが、1974年(昭和49年)3月に知多火力発電所4号機(出力70万キロワット)が稼働し、電力需要についても減少したため、1976年(昭和51年)より再び休止された[7]。その後再稼働することはなく、1982年(昭和57年)11月10日付で廃止[22]、19日に閉所式が挙行された[7]。累計発電量は156億8000万キロワット時であった[7]

廃止後、旧1号タービン発電機が知多火力発電所の広報施設「知多電力館」(愛知県知多市)へ移され、保存展示されている[23]

年表

  • 1936年(昭和11年)
    • 7月15日 - 中部地方主要電力会社7社の共同出資により中部共同火力発電株式会社設立。
  • 1937年(昭和12年)
    • 4月 - 中部共同火力発電により名港火力発電所着工。
  • 1939年(昭和14年)
    • 1月24日 - ボイラー3缶(1-3号)および1号タービン発電機5万キロワット・1号所内タービン発電機3000キロワットが竣工。
    • 10月 - ボイラー2缶(4-5号)および2号タービン発電機5万3000キロワット竣工。
    • 10月31日 - 日本発送電が中部共同火力発電を合併。
  • 1940年(昭和15年)
    • 10月 - 6号ボイラーおよび3号タービン発電機5万3000キロワット竣工。
  • 1951年(昭和26年)
  • 1952年(昭和27年)
    • 11月 - 7号ボイラー竣工。
  • 1953年(昭和28年)
    • 12月13日 - 8号ボイラー・4号タービン発電機5万5000キロワット(翌年1月まで4万5000キロワットに制限)・4号所内タービン発電機5000キロワット竣工。
  • 1955年(昭和30年)
    • 6月29日 - 9号ボイラー・5号タービン発電機6万6000キロワット竣工。認可出力28万5000キロワットとなる。
  • 1966年(昭和41年)
    • 6月 - 1-3号機休止。
    • 12月 - 4・5号機も休止、長期休止保管体制に。
  • 1968年(昭和43年)
    • 12月 - 保管体制解除。
  • 1969年(昭和44年)
    • 7月 - 4・5号機再稼働。
  • 1970年(昭和45年)
    • 5月 - 1-3号機再稼働。
  • 1976年(昭和51年)
    • 年内 - 再休止。
  • 1982年(昭和57年)

  1. ^ 『電気年鑑』昭和14年、電気之友社、1939年、電気事業一覧56頁。NDLJP:1115068/144
  2. ^ 「中部共同火力発電株式会社第6期営業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
  3. ^ 中村宏(編)『東邦電力技術史』、東邦電力、1942年、16-17頁
  4. ^ 日本動力協会(編)『日本の発電所』中部日本篇、工業調査協会、1937年、550-560頁。NDLJP:1257061/222
  5. ^ 『日本の発電所』中部日本篇、424-430頁。NDLJP:1257061/96
  6. ^ a b c d e 電気経済時論社(編)『電気事業年報』昭和12年版、電気経済時論社、1937年、61-62頁。NDLJP:1025171/44
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 人見昭 「名港火力発電所の建設と歴史」『シンポジウム中部の電力のあゆみ』第3回講演報告資料集、中部産業遺産研究会、1995年、102-115頁
  8. ^ 『東邦電力技術史』、38頁
  9. ^ 名古屋市計画局(編) 『なごやの町名』 名古屋市計画局、1992年、509-510頁
  10. ^ a b c d 中部電力社史編纂会議委員会(編)『時の遺産』 中部電力、2001年、188頁
  11. ^ 『東邦電力史』、41-43頁
  12. ^ 日本発送電解散記念事業委員会(編)『日本発送電社史』業務編、日本発送電株式会社解散記念事業委員会、1955年、附録5頁
  13. ^ a b c d e 『日本発送電社史』業務編、8-9頁
  14. ^ 中部電力10年史編集委員会(編)『中部電力10年史』、中部電力、1961年、83-93頁
  15. ^ a b c d 『中部電力10年史』、682-683頁
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『中部電力10年史』、688-691頁
  17. ^ 通商産業省公益事業局(編) 『電気事業要覧』第36回設備編、日本電気協会、1954年、354-355頁
  18. ^ a b 『中部電力10年史』、684-687頁
  19. ^ 『中部電力火力発電史』、86-94頁
  20. ^ 『中部電力火力発電史』、94-107頁
  21. ^ 『中部電力火力発電史』、83-84頁
  22. ^ 電気事業史・社史編纂会議(編)『中部電力40年史』、中部電力、1991年、巻末年表
  23. ^ 寺沢安正・幸田晃 「中部地方電気事業の産業遺産」『シンポジウム中部の電力のあゆみ』第13回講演報告資料集、中部産業遺産研究会、2005年、20-38頁





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