利根はる恵 利根はる恵の概要

利根はる恵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 00:42 UTC 版)

人物・経歴

1924年、東京府生まれ[注釈 1]松竹少女歌劇団松竹少女歌劇学校を1年で中退し、松竹大船入社[2]。芸名は池上鶴代

丸山定夫苦楽座を経て[2]1947年新宿ムーラン・ルージュに入り[1][2]1949年東宝『今日われ恋愛す』でデビュー[2]

1950年新東宝入社[1]、『熱泥地』で初主演[2]

1952年大映と本数契約[1]山本薩夫監督の『真空地帯』の娼婦を演じた[2]

1953年、現代俳優協会に参加[2]、『ひめゆりの塔』などに出演。その後、第一協団に所属[4]

1955年日活と専属契約[1]。『沙羅の花の峠』などに出演する。

1958年、ムーランプロの設立に参加[5]。その後、フリーに転じ[2]荷車の歌』など出演、その後は舞台、ドラマにも活動を広げる。

1959年東映と本数契約[1]

1960年、東宝現代劇と契約[2]

1963年時点では東京俳優生活協同組合に所属[1]

1971年、松竹現代劇と契約した後、フリー[2]

2005年4月27日、胆管がんのため東京都杉並区の病院で死去[3]。80歳没。晩年はおぎいくこ事務所に所属していた[3]

主な出演作品

映画

テレビドラマ

その他の番組

脚注


注釈

  1. ^ 千葉県生まれとしている資料もある[4]

出典

  1. ^ a b c d e f g 『タレント名鑑』《NO2》芸能春秋社、1964年、153頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 利根 はる恵』 - コトバンク
  3. ^ a b c “利根はる恵さん死去/女優”. 四国新聞. (2005年4月30日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20050430000416 2023年4月15日閲覧。 
  4. ^ a b 「映画界」『現代日本新人物事典 : 大臣からファッション・モデルまで』《1956年度版》近代社、1955年、394頁。 
  5. ^ 「藝能ニュース」『芸能画報』4月号、サン出版社、1958年。 
  6. ^ 安寿と厨子王丸”. メディア芸術データベース. 2016年10月29日閲覧。


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