三善晃 三善晃の概要

三善晃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 06:35 UTC 版)

三善 晃
生誕 日本
東京府東京市杉並区阿佐谷
(1933-01-10) 1933年1月10日
死没 日本
東京都
(2013-10-04) 2013年10月4日(80歳没)
学歴 東京大学文学部仏文科
活動期間 1954年 - 2013年

経歴

東京府東京市杉並区阿佐谷(現:東京都杉並区)に生まれる。幼少より、自由学園においてピアノ演奏法、音楽基礎を学び、小学校に上がる頃より高校まで、ヴァイオリン演奏法と作曲を平井康三郎、後には池内友次郎に師事する。都立高等学校尋常科から同高等科を経て東京大学文学部仏文科在学中に、フランス政府給費学生として1955年から1958年にかけてパリ国立高等音楽院に留学、その後、中退。在学中はアンリ・シャランレイモン・ガロワ=モンブランに師事した。

1960年東大仏文科卒業。1963年東京芸術大学講師、1966年桐朋学園大学教授、1970年芸術祭優秀賞受賞。1972年西川由紀子と結婚。1974年から1995年まで桐朋学園大学長。1985年芸術選奨文部大臣賞受賞。1990年日本芸術院賞受賞、モービル音楽賞受賞。1991年東京都文化賞受賞。1995年富山キャンパス問題の責任をとる形で学長を退任。1996年東京文化会館長、フランス政府から芸術文化勲章オフィシエ章を受ける。1999年芸術院会員に選出。2001年文化功労者に選出。2004年3月東京文化会館長を退任。

国内、海外を問わず受賞多数。「三善晃ピアノコンクール」、「Miyoshi Netピアノコンクール」の審査委員長なども務め、ピヨトル・ラヘルトピュイグ・ロジェと並んでピアノ教育[1]に没年まで取り組んだ。壮年期からは合唱に力を入れ、「二台ピアノと合唱のための」作品[2]に秀作を残している。オペラ『カチカチ山』の構想を長年練っていたが、完成には至らなかった。2000年代からは作品のほとんどがピアノと合唱であり、室内楽やオーケストラの作品は減少傾向[3]にあった。国際審査員としては、エリザベート王妃国際音楽コンクール作曲部門の審査員を1995年に1回務めている[4]。音楽評論家で東京音楽大学名誉教授三善清達は兄。

九条の会」傘下の「マスコミ九条の会」呼びかけ人を務めた[5]。2013年10月4日、心不全のため死去[6]。80歳没。墓所は軽井沢神宮寺墓地。

作風

アンリ・デュティユに私淑していた。師、池内友次郎や、その後の留学などを通して、近代フランス音楽の影響が強い。合唱を含む声楽曲器楽曲管弦楽曲電子音楽現代邦楽など作品は多岐にわたり、その数も非常に多い。フランス留学中には、先にパリ音楽院に留学していた矢代秋雄と親交を深め、互いに影響を受けあった。矢代と同じように、三善の作品も古典的な佇まいを見せる。

しかし矢代の、蒸留に蒸留を重ね、選び抜かれた結果として完成度の高い作風と比較して、三善の場合は、内側から湧き出た結果として、すでに古典的な構成があるように思わせる、より自由な作風である。創作時期において、スタイルは異なるものの、壮快で鋭いリズム、冷酷さから詩的な情緒が漂う優美さを想起させる幅広い和声、一聴して判別できないほどの緻密な動機の展開、管弦楽法が特徴的である。ことに、合唱曲においては、彼を前後として、その書法が歴然と変化しており、後進の日本の作曲家に与えた影響は計り知れない。

1970年代で一通り不確定書法を実践し、「アン・ヴェール」を境にして徐々に確定楽譜へ移行した後は、音楽的な作風の変化はない。

1977年発表の静岡市立南部小学校校歌「夢までも」を作曲した際、この歌を作詞した詩人・仏文学者の宗左近とはこの時を機に親交が始まり、宗が作詞を、三善が作曲を担当する形で、日本の中学校高等学校校歌などを数多く手がけた。


  1. ^ 主に児童のための
  2. ^ 世界的にもこの種の作品は多くない
  3. ^ 三善晃作品展2008パンフレットから
  4. ^ 年譜は三善・丘山万里子『波のあわいに』所収
  5. ^ マスコミ九条の会(よびかけ人はだれですか)
  6. ^ 日本作曲界の重鎮・三善晃さん死去…80歳 読売新聞 2013年10月5日
  7. ^ JCDA日本合唱指揮者協会主催 作曲家個展シリーズ5
  8. ^ a b れんとう。「禱」の字は示偏に壽。祷。
  9. ^ http://i.t-bunka.jp/pamphlets/22166
  10. ^ https://web.archive.org/web/20200220214837/http://www.toiho.info/about
  11. ^ 木村重雄『現代日本のオーケストラ:歴史と作品』全音楽譜出版社、1985、p238
  12. ^ 「オリンピック東京大会協賛芸術展示 NHK交響楽団特別演奏会」プログラム 1964.10
  13. ^ 河野保雄『現代音楽を探せ : 河野保雄対談集』芸術現代社、2005年11月、133頁。ISBN 4-87463-174-6 
  14. ^ 三善晃本人の編曲によるピアノ独奏版あり。ピアノ曲集《赤毛のアン》


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