ロッキード事件
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捜査
捜査開始
その後、首相三木武夫がチャーチ委員会での証言内容や世論の沸騰を受けて直々に捜査の開始を指示、同時にアメリカ大統領ジェラルド・フォードに対して捜査への協力を正式に要請するなど、事件の捜査に対して異例とも言える積極的な関与を行った。
また、捜査開始の指示を受けて2月18日には最高検察庁、東京高等検察庁、東京地方検察庁による初の検察首脳会議が開かれ、同月24日には検察庁と警視庁、国税庁による合同捜査態勢が敷かれた。吉永祐介は警察から情報が漏れていると考えていた[9]。
三木は外交評論家の平沢和重を密使として送り、3月5日に国務長官のヘンリー・キッシンジャーと会談させてアメリカ側の資料提供を求めた。同月23日、アメリカ政府は日本の検察に資料を渡すことを合意した[10]。
「ロッキード隠し」
捜査の開始を受けてマスコミによる報道も過熱の一途をたどり、それに合わせて国内外からの事件の進展に対する関心も増大した。とくに時の総理の三木はバルカン政治家と呼ばれるほど駆け引き・閥務に長けていたものの、当時の自民党の四大派閥の中では最小ともいえる少数派閥の領袖であるうえ、田中元首相の金脈問題による退陣の後を受け、比較的利権と縁の薄いクリーンなイメージが買われて、本来は党イメージの立て直しが期待されての就任であった。本人も少数派閥の領袖であるがゆえ、政権基盤の維持のためには国民の支持も重要であることを十分理解していた。ところが、ロッキード事件との関連を疑われる議員を抱える大派閥の領袖・有力幹部らにとっては、自党・自派閥の勢力維持のためには従来からのスキャンダル対処の定石通り、捜査の牽制・事件化の抑制や事態の極小化によって鎮静を図ることを期待、少数派閥の長である三木はそれに従うべき存在のはずであった。しかし、三木は政治犯罪の疑惑があれば真相を解明すべきとの態度をとり、世論の支持を背景に政権の座を維持することを決意した。結局、田中派議員が主要対象となった捜査の進展につき、親田中の議員は寧ろそれを逆手にとるような形で「国策捜査」だと主張し、批判した[11]。対して、日本国民やマスコミはこのような政界の動きを「ロッキード(事件)隠し」と批判することとなった。
「三木おろし」
まず、椎名悦三郎を中心とした自民党内の反三木派が、事件解明への積極姿勢を見せる三木の態度を「はしゃぎすぎ」と批判し、さらに5月7日には田中と椎名が会談し、三木の退陣を合意するなど、いわゆる「三木おろし」を進め、田中派に加えて大平派、福田派、椎名派、水田派、船田派が賛同し、政権主流派に与するのは三木派の他は中曽根派だけとなった。日本国民やマスコミの「ロッキード(事件)隠し」との声を尻目に田中、椎名、大平や福田などの多数派は結束を強めていった。この頃になると、新聞の取材班が早朝の検察庁舎に侵入して書き損じの調書を窃取するなど、マスコミの取材合戦は更に加熱していた[12]。
一方、吉永祐介検事を捜査主任検事とする東京地検特捜部はその後異例のスピードで田中を7月27日に逮捕し、起訴に持ち込んだ。当初から三木は事件の真相究明を標榜していたが、田中派の議員らは、これをもともと政治的クリーンさを売りとする三木が田中を生贄の羊とするため、「逆指揮権発動」によって田中を逮捕させたものではないかとみなした[11]。三木とともに田中に対する捜査を推し進めた中曽根派出身の法務大臣稲葉修は、田中派から、三木と共に激しい攻撃の対象となった。
この逮捕により、「もはやロッキード隠しとは言えない」として「三木おろし」が再燃、田中の逮捕から1カ月足らずの8月24日には反主流6派による「挙党体制確立協議会」が結成された。三木は9月に内閣改造を行なったが、ここで田中派からの入閣は科学技術庁長官1名だけであり、三木も田中との対決姿勢を改めて鮮明にした。
三木は党内の分裂状態が修復できないまま解散権を行使できず、戦後唯一の任期満了による衆議院議員総選挙を迎えた。1976年12月5日に行われた第34回衆議院選挙では、ロッキード事件の余波を受けて自民党が8議席を失うなど事実上敗北し、三木は敗北の責任を取って首相を辞任。大平派と福田派の「大福密約」により、後継には「三木おろし」を進めたうちの1人であった福田派領袖の福田赳夫が就くことになった。
在日アメリカ大使館から本国へ、「これ以上ワシントンからの情報の提供がなければ、政府高官数人の辞職だけで済む。P3Cについての情報は一切だすな。」という主旨の報告が秘密解除されて見つかっている。
相次ぐ関係者の変死
このように事件が公になり捜査が進んだ前後に、ロッキード事件を追っていた日本経済新聞記者の高松康雄が1976年(昭和51年)2月14日、上記児玉誉士夫の元通訳の福田太郎が同年6月10日[注釈 13]、さらに田中の運転手である笠原政則が同年8月2日[注釈 14]と立て続けに急死するなど、マスコミや国民の間で「証拠隠滅と累が及ぶのを防ぐため、当事者の手先によって抹殺されたのではないか」との疑念を呼んだ。
しかし、捜査が進む中、1976年5月24日に行われた参議院内閣委員会において社会党参議院議員の秦豊より警察庁刑事局の柳館栄に対して福田や片山、鬼などの関係人物に対する身辺保護の必要性について質問が行われたが、「それらの人物からの身辺保護の依頼がなかったことから特に(警察は)何もしていない」という返答しかなかった。
その上、この答弁が行われた翌月には上記のように福田が死亡するなど、再び関係人物の身辺保護の必要性が問われるような状況になったにもかかわらず、警察はその後も政治家以外の民間人に対して表立った身辺保護を行わなかったことから大きな批判を呼んだ。
注釈
- ^ a b 昭和55年法律30号による改正前のもの
- ^ a b c 昭和47年法律105号による改正前のもの
- ^ a b c 昭和48年法律113号による改正前のもの
- ^ a b 昭和48年運輸省令59号による改正前のもの
- ^ 委員長フランク・チャーチの名から「チャーチ委員会」。
- ^ そのキャンセルした全日空向けDC-10のうちの1機(量産29号機 cn 46704/29)が格安でトルコ航空に売却されたが、貨物ドアの重大な欠陥が是正されていなかったことから、1974年にトルコ航空DC-10パリ墜落事故が発生してしまった。
- ^ 全日空への工作費は約30億円だったと言われる。
- ^ NHKスペシャルの大型シリーズ。ロッキード事件を未解明の部分や謎を残した事件として定義し、事件発覚から40年後の2016年に、再現ドラマとドキュメンタリーで事件の顛末を描いた[3]。
- ^ 1949年(昭和24年)、日本海商事の代表取締役に就任した。日本海商事は朝鮮戦争の頃、東京レアメタルの輸送部門を請け負っていた。東京レアメタルは、東條英機ら7名の死刑執行(1948年12月23日)一週間前に児玉誉士夫が巣鴨プリズンから出所してすぐ設立した企業である[4]。
- ^ 本名の「シゲトモ」をアメリカ流に縮めて「シグ」とした。ロサンゼルス生まれ。大戦中は陸軍。戦後はGHQで通訳となった。その後、港区でスクラップ業ユナイテッド・スチール社の経営者となる。ベトナム戦争中、サイゴンの入札業者に指定されて暴利を得た。落札したスクラップは丸紅その他へ売り払った。問題のペーパー会社はケイマン諸島のID社[6]。
- ^ ユタ州ソルトレーク市生まれの日系二世。両親は広島県出身の移民。戦前に帰国して早大国際学院に学ぶ。1939年(昭和14年)に満洲に渡り、終戦まで満洲電業の国際放送を担当した。
- ^ 1953年(昭和28年)、叔父で川崎航空機社長だった砂野仁の紹介でロッキード本社に入社[8]。
- ^ 死因は肝硬変とされるが[13]、中山正暉は「病院で誰もいない時に酸素吸入器がはずされて死んでいた」と語っている[14]。
- ^ 埼玉県比企郡都幾川村(現・ときがわ町)の林道で排ガス自殺しているところを発見された[15]。
- ^ 5日後に保釈保証金2億円を納付し再度保釈。
- ^ 2016年7月死去。当番組向けの収録が最後のインタビューとなった。
- ^ PX-Lの国内開発計画。
- ^ その後の全日空相談役に。
- ^ ただし、そもそも当時の米国の法律では、外国の公務員への贈賄は犯罪ではない。
- ^ 議会の委員会の指示に背いたり無視すれば刑事罰を受ける一方で、当時は米国においても会計士事務所の力が強くなかった時代であったため、会計士事務所関係者が雇い主を裏切ったという非難を怖れて、小委員会側と打ち合わせてこのような措置をとったことが後に明らかにされている。
- ^ 日米犯罪人引渡し条約の発効は1980年、国際贈賄防止条約の発効は更に遅れて1997年。
- ^ 全日空ルートの裁判では検察側がエリオットの嘱託証人尋問調書を立証している間に、弁護側が申請によってエリオットから宣誓供述書を取って実質的な反対尋問を行われた。
- ^ 中曽根康弘がもみ消しを依頼していた疑惑がある。
- ^ 「ピーナツ100個(=1億円)」と書かれた暗号領収書が存在した。
- ^ これはアメリカにおいても有名になった。同時期に製作されたアニメ『トムとジェリー』において「どこかの国の政治家と同じでピーナツが大好き」という台詞がある。
- ^ 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』154巻「おとり捜査協奏曲の巻」には金額を言えないため「1ピーナツ(=1億円)出します!」というセリフがある。
- ^ ファミコンソフトの『麻雀倶楽部永田町・総裁戦』では、角栄をモデルにした「かくべ」がオープニングでこの言葉をしゃべっている。
- ^ F-104を売り込んでいた。
出典
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- ^ ANA 1983, p. 339; 本所次郎 2002b, p. 174.
- ^ 「ロッキード献金事件 -第二次証人喚問-」 - 中日ニュース1155号(動画)・中日映画社
- ^ 竹森 1975, pp. 70–71
- ^ Davis & Roberts 1996, p. 100
- ^ 竹森 1975, pp. 135–136
- ^ 竹森 1975, pp. 134–13
- ^ 竹森 1975, p. 13
- ^ a b "ロッキード事件". NHKスペシャル 未解決事件. NHK総合. 2016年9月17日閲覧。
- ^ 奥山俊宏 (2010年3月7日). “「自民離脱、信問う」示唆:三木元首相が米政府に密使:ロッキード事件”. 朝日新聞: p. 38面
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- ^ 春名幹男「ロッキード事件とインテリジェンス」
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- ^ 坂出健「<論文> ロッキード事件とトライスター旅客機計画 (1968-1981年)」『經濟論叢』第191巻第4号、京都大学経済学会、2017年11月、1-14頁、CRID 1390572174798333440、doi:10.14989/232826、hdl:2433/232826、ISSN 0013-0273。
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- ^ 田原 & 田中 2007, p. [要ページ番号]
- ^ 田原総一朗. “vol.32 昭和51年 ロッキード事件(1-3) - 振り返る昭和”. 2013年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年7月10日閲覧。
- ^ 俵 2004, p. 117
- ^ 産経新聞 . (2006年7月27日)
- ^ 航空機年鑑 1988, p. 112
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