スティクス (バンド) 概要

スティクス (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 13:52 UTC 版)

概要

日本ではアメリカン・プログレ・ハードなどのジャンルに括られることが多いが、デビュー当初のサウンドはプログレッシブ・ロックの色彩が強く、長大な楽曲も多く制作していた。

時代の流れの中で音楽性は徐々に変化。よりコンパクトでポップな作風へと変わり、結果的にそれが1980年代初頭の商業的成功へと繋がっていった。

概歴

結成まで(1963年 - 1972年)

1963年シカゴでチャック(ベース)とジョン(ドラム)のパノッツォ兄弟が中心となってバンド活動を開始する。その後デニス・デ・ヤング(ボーカル、キーボード)が加入してバンド名が「ザ・トレイドウンズ」となる。

当初はローカル・バンドに過ぎなかったが、1968年にジョン・クルリュウスキ(G)が加入し、バンド名を「トレイドウインズ4」と改名してプロ活動を目指し始める。

1970年にジェイムス・ヤング(ギター)が加入。その半年後に製作したデモ・テープが、RCA傘下「ウッデンニッケル・レコード」の代表を務めるビル・トラウトに認められて契約。後にバンド名を「スティクス」と改名した。

黎明期(1972年 - 1975年)

1972年、1stアルバム『スティクス』でデビュー。13分以上ある曲を収め、大衆受けはしなかったが、プログレッシブ・ロックのファンに受け入れられる。

1973年、2ndアルバム『スティクスII』をリリース。1stではカヴァー曲を混ぜていたが、完全オリジナルのアルバムとして方向性を決定付けた。

1974年、3rdアルバム『サーペント・イズ・ライジング』、4thアルバム『ミラクルズ』を発表。この時期からポップ性を意識し始め、大作志向から短い曲へと変化していく。

1975年、2年前に発売された2ndアルバムに収録されていたシングル「憧れのレイディ(Lady)」が、2月から徐々にチャートを上昇。8月には全米6位まで上昇し、これに伴い同アルバムもセールスが延びてゴールドディスクを獲得する。このヒットにより同年秋、大手レーベル「A&Mレコード」に移籍した。移籍第一弾の5thアルバム『分岐点』の制作後、全米ツアー前に音楽性の違いからクルリュスキが脱退。代わって元MS FUNKのトミー・ショウ(ギター、ボーカル)が加入した。

隆盛期(1976年 - 1984年)

トミーが加入した事で、6thアルバム『クリスタル・ボール』が幅広い層からの支持を獲得。翌1977年発表の7thアルバム『グランド・イリュージョン - 大いなる幻影』が全米トップ10入り。シングル「Come Sail Away」が全米8位。8thアルバム『ピーシズ・オブ・エイト - 古代への追想』(1978年)も全米8位を記録し、バンドの評価が高まる。

1979年、シングル「Babe」が全米No.1を獲得[7]、9thアルバム『コーナーストーン』が全米2位の大ヒットとなり、スティクスは一流バンドとしての成功を手にする。一方で、欧米の音楽メディアからはコーポレート・ロック、日本では産業ロックなどと批評もされた。

1981年、10thアルバム『パラダイス・シアター』からのシングル「The Best of Times」が全米3位、「時は流れて」が全米9位となり、同アルバムが初の全米1位を記録した[8]

1982年1月、アルバム『パラダイス・シアター』を主作品とした初来日ツアーが開催された。この模様がNHKで放映されている。翌1983年には11thアルバム『ミスター・ロボット - キルロイ・ワズ・ヒア -』がリリースされ、日本語の歌詞が含まれたシングル「ミスター・ロボット」が収録されて話題になるなど、日本でもヒットを記録した[9]

その後デニスとトミーとの間に亀裂が生じ、翌年にバンド活動が停止。各々がソロ活動に移行していき、1980年代後半頃にはバンドの存在が薄れていった。

停滞期(1990年 - 1994年)

1990年、トミーがハードロックバンド「ダム・ヤンキース」に参加。テッド・ニュージェント、ジャック・ブレイズ(ナイト・レンジャー)らが結成したスーパーグループであった[10]。同じ頃バンドの再始動を企図していたデニスらは、トミーの招集を断念。代役グレン・バートニックが加入して活動を再開する。

同年の暮れに7年ぶりの12thアルバム『エッジ・オブ・ザ・センチュリー』をリリース。シングル「Show Me the Way」が全米3位を獲得し復活の兆しが見えたものの、北米のロック界にグランジ・ムーブメントが到来。旧態依然のロックにはレーベルのサポートが減少して受難の時代となり、当バンドの再活動も短期で終了した。

トミー側も「ダム・ヤンキーズ」で2枚のアルバムを出した後、中心のテッド・ニュージェントが脱退。残るブレイズと「ショウ・ブレイズ」というユニットで継続し、活動規模は縮小した。

リユニオンから内紛へ(1995年 - 2002年)

バンドの顔でもあったデニス・デ・ヤング(2010年)

1995年、トミーが復帰し全盛期メンバーでの再結成が実現する。しかしジョン・パノッツォが健康問題で即降板し、代役にトッド・ズッカーマン(ドラム)が加入。そして翌1996年、ジョンは症状が悪化し帰らぬ人となってしまった。ツアーはジョンの追悼ライブとして開催し、新曲も数曲披露された。この模様はライブ・アルバム用としても収録され、『リターン・トゥ・パラダイス』(1997年)と題してリリースしている。

同ラインナップを維持し、1999年に9年ぶりの13thアルバム『ブレイヴ・ニュー・ワールド』をリリース。しかしこの間、デニスとトミーの確執が再燃。この時期にデニスが健康を害したという理由で活動が停滞。バンド側は活動に支障をきたすとして、ローレンス・ガーワン(ボーカル、キーボード)を代役に立てて継続し、デニスは降板させられた。

2000年、2度目の来日公演。また同時期に創設メンバー チャック・パノッツォが、フルタイムの活動を控えるようになる。グレン・バートニック(ベース)が復帰し、チャックと併用する形で編成する。

2001年、降ろされたデニス側が「健康上の理由で一時的に降板したのであり、自分無しでのバンド続行は無効である」と主張。同意を得ないバンド活動と、デニス自身が創作した曲の差し止め訴訟を起こす。また個人的に、スティクス関連の活動も始めていた。それにはバンド側も反訴し、結果はデニス個人によるスティクスを冠した活動も許可されるも、個人名に「Formerly Styx」や「Performing The Music Of Styx」などの但し書きを義務付ける事で決着。事実上デニスの敗訴であり、両者は修復不可能な状態となった。

新体制以降(2003年 - )

USAパインシティ公演(2008年6月)

ローレンス・ガーワン起用の新体制が定着し、2003年に14thアルバム『サイクロラマ』をリリース。グレン・バートニックに代わり、リッキー・フィリップス(ベース、ギター)が加入する。

以降はライブを中心とした活動にシフト。特に2007年から2015年の間に「デフ・レパード」「フォリナー」「ボストン」「REOスピードワゴン」「38スペシャル」「イエス」「テスラ」など著名なバンドらとツアーを合同する[11]

2005年、カヴァー企画の15thアルバム『Big Bang Theory』をリリース。

2010年、旧作『グランド・イリュージョン - 大いなる幻影』『ピーシズ・オブ・エイト - 古代への追想』を完全ライブで再現[12]

2017年、自主レーベル「Alpha Dog 2T」を設立。14年ぶりの16thオリジナルアルバム・コンセプト作品『The Mission』[13]2021年には4年ぶりの17thアルバム『Crash of the Crown』を発表[14]

メンバー

※2021年7月時点

現ラインナップ

  • ローレンス・ガーワン(Lawrence Gowan) - ボーカル/キーボード(1999年 - )
  • ジェイムズ・ヤング(James "J.Y." Young) - ギター(1972年- )
  • トミー・ショウ(Tommy Shaw) - ギター/ボーカル(1975年 - 1984年、1995年 - )
  • チャック・パノッツォ(Chuck Panozzo) - ベース(1972年 - )
  • テリー・ガーワン(Terry Gowan) - ベース(2024年 - )
  • トッド・ズッカーマン(Todd Sucherman) - ドラムス(1995年 - )
  • ウィル・エヴァンコヴィッチ(Will Evankovich) - ギター(2021年 - )

旧メンバー

  • デニス・デ・ヤング(Dennis De Young) - ボーカル/キーボード(1972年 - 1999年)
  • ジョン・パノッツォ(John Panozzo) - ドラムス(1972年 - 1992年)1996年に逝去
  • ジョン・クルリュウスキ(John "J.C." Curulewski) - ギター(1972年 - 1975年)1988年に逝去
  • グレン・バートニック(Glen Burtnik) - ギター/ベース(1990年 - 1992年、1999年 - 2003年)
  • リッキー・フィリップス(Ricky Phillips) - ベース/ギター(2003年 - 2024年)

  1. ^ a b c Prato, Greg. Styx Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2022年1月21日閲覧。
  2. ^ Greene, Doyle (2012). Teens, TV and Tunes: The Manufacturing of American Adolescent Culture. Jefferson, North Carolina: McFarland, Incorporated, Publishers. p. 182. ISBN 978-0-786-48972-5 
  3. ^ Knowles, Christopher (2010). The Secret History of Rock 'n' Roll. Viva Editions. p. 111. ISBN 978-1573444057. https://archive.org/details/secrethistoryofr00know/page/111 
  4. ^ Talevski, Nick (2006). Rock Obituaries - Knocking On Heaven's Door. Omnibus Press. p. 482. ISBN 978-1846090912 
  5. ^ Cateforis, Theo (2011). Are We Not New Wave? : Modern Pop at the Turn of the 1980s. University of Michigan Press. p. 159. ISBN 978-0-472-03470-3 
  6. ^ Buckley, Peter (2003). The Rough Guide to Rock. London: Rough Guides. p. 557. ISBN 9781843531050 
  7. ^ 1979年12月8日/12月15日付けの2週連続。詳細はこちら
  8. ^ 1981年4月4日/同11日/5月9日付けの3回。詳細はこちら
  9. ^ 日本に滞在中、テレビで見た工場で稼働する工業用ロボットを見て、この曲が書かれた
  10. ^ 元ダム・ヤンキースのトミー・ショウとテッド・ニュージェントがステージで共演 - amass
  11. ^ デフ・レパード「最高なアルバム、それには時間がかかるんだよ」 - BARKS、スティクス+フォリナー+ドン・フェルダー 「Hot Blooded」の共演パフォーマンスをジョイント・ライヴ・ツアーで披露 - amass
  12. ^ スティクス、プログレ名作2アルバムを完全再現 - BARKS
  13. ^ スティクスが14年ぶりの新オリジナル・アルバム『The Mission』を6月発売、新曲のMVあり - amass
  14. ^ スティクス 4年ぶりの新アルバム『Crash Of The Crown』を6月発売”. amass (2021年5月7日). 2021年7月30日閲覧。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「スティクス (バンド)」の関連用語

スティクス (バンド)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



スティクス (バンド)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのスティクス (バンド) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS