リユニオンから内紛へとは? わかりやすく解説

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リユニオンから内紛へ(1995年 - 2002年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 06:55 UTC 版)

スティクス (バンド)」の記事における「リユニオンから内紛へ(1995年 - 2002年)」の解説

1995年トミー復帰し全盛期メンバーでの再結成実現する。しかしジョン・パノッツォが健康問題で即降板し、代役にトッド・ズッカーマン(ドラム)が加入。そして翌1996年ジョン症状悪化し帰らぬ人となってしまった。ツアージョン追悼ライブとして開催し新曲も数曲披露された。この模様ライブ・アルバム用としても収録され、『リターン・トゥ・パラダイス』(1997年)と題してリリースしている。 同ラインナップ維持し1999年9年ぶりの13thアルバムブレイヴ・ニュー・ワールド』をリリース。しかしこの間デニストミー確執再燃。この時期デニスが健康を害したという理由活動停滞バンド側は活動支障をきたすとして、ローレンス・ガーワン(ボーカルキーボード)を代役立てて継続しデニス降板させられた。 2000年2度目来日公演。また同時期に創設メンバー チャック・パノッツォが、フルタイム活動控えるようになる。グレン・バートニック(ベース)が復帰しチャック併用する形で編成する2001年降ろされデニス側が「健康上の理由一時的に降板したのであり、自分無しでのバンド続行無効である」と主張同意を得ないバンド活動と、デニス自身創作した曲の差し止め訴訟起こす。また個人的にスティクス関連活動始めていた。それにはバンド側も反訴し、結果デニス個人によるスティクス冠した活動許可されるも、個人名に「Formerly Styx」や「Performing The Music Of Styx」などの但し書き義務付ける事で決着事実上デニス敗訴であり、両者修復不可能な態となった。

※この「リユニオンから内紛へ(1995年 - 2002年)」の解説は、「スティクス (バンド)」の解説の一部です。
「リユニオンから内紛へ(1995年 - 2002年)」を含む「スティクス (バンド)」の記事については、「スティクス (バンド)」の概要を参照ください。

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