ジハード 2つのジハード

ジハード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 14:12 UTC 版)

2つのジハード

ジハードは、六信五行というムスリムの信仰と義務の項目には含まれていないが、『クルアーン』では「奮闘努力」という非常に幅広い意味で登場し、したがって、その意味からも六信五行を越え、イスラームの信者として当然持たなければならない基本的な心構えとして、いっそう重要な命令と考えられている[5]

広い意味でのジハードには、次の2種類が存在するといわれている[3]

  • 個人の内面との戦い。内へのジハード。非暴力的なジハード
  • 外部の不義との戦い。外へのジハード。暴力的なジハード

この2つについて、ムハンマドが実際の戦闘から日常生活に戻ったときに語ったと伝承される言葉が、その内実をよく説明している。その言葉とは、

私たちは小さなジハード(戦争)から大きなジハードに戻る。…

というものである[3]

「大きなジハード」すなわち「内へのジハード」は、個々人のムスリムの心の中にあるや不正義、欲望自我利己主義と戦って、内面に正義を実現させるための行為のことであり、それだけに、いっそう困難で重要なものとされる[3]。このことに関して、イスラーム共和制をとるイランでは、ラマダーンの期間、「ラマダーン月はジハードの月」などといった標語を掲げることによって、弛緩しがちなムスリムたちの規律を正し、イスラーム共和国の理想を思い起こさせるための行為という意味で「ジハード」の語が用いられる[注釈 2]。イスラームが五行のひとつとして1ヶ月にわたる断食(サウム)を信徒に命じている理由は、人びとに食欲という本能を抑える訓練をさせることによって、精神肉体よりも強固なものであると自覚させ、同時に食べものへの感謝の念を起こさせるためであるといわれている[10]

現在、多くの学者は「内へのジハード」を「大ジハード」(الجهاد الأكبرal-jihād l-akbar) と呼んでおり、それに対して「外へのジハード」を「小ジハード」(الجهاد الأصغر al-jihād l-asghar)と呼んでいる[3]。どちらも、アッラーの命令を完遂できないような環境がつくられないための「奮闘努力」という点では共通している[5]

もっとも広い意味でのジハードは、すべてのムスリムに課される義務を指している[3]。神の意志にしたがい、神の意志を実現して倫理的な生活を営むために、説教教育、実例および文書などによってイスラーム共同体の拡大のため、ムスリム一人ひとりとしても、イスラーム共同体としても、おこなうべき義務なのである。また、「ジハード」には、イスラーム教とイスラーム共同体を外部からの攻撃から守る権利(実際には義務)という意味もある[3]。20世紀後半にあっても、1978年からのソ連のアフガニスタン紛争において、アフガニスタンムジャーヒディーン(後述)が、ソヴィエト連邦占領に対し、10年におよぶ長いジハードを戦ってきた[3]

歴史的にみれば「大ジハード」は、平和主義と寛容さを旨とするイスラーム神秘主義の潮流のなかで特に支持されてきたものであり、その一方で、支配者・権力者は領土拡大や侵略大義名分として「外へのジハード」を利用してきた。現代でもしばしば、テロリストと目される過激な集団が「外へのジハード」を大義名分として行動し、ムスリムの結集を呼びかけるために用いている[3]


注釈

  1. ^ 「聖戦」に相当する用法としては、『クルアーン』第9章第81節に「居残り組の者どもは、アッラーの使徒が(出征した)後に残されて大喜び。もともと、彼らとしては、己が財産と生命を擲ってアッラーの道に闘うのは嫌だと思っていた」の「闘う」の部分にジハードの動詞形の三人称複数活用形“yujāhidū"が用いられている。
  2. ^ ムハンマドは「ジハードをし、開放せよ。断食し、健康を得よ。旅に出て儲けよ」と述べている。アラブ・イスラーム学院「ラマダーンQ&A 」
  3. ^ 「しかしもし向こうが止めたなら、(汝等も)害意を捨てねばならぬぞ、悪心抜き難き者どもだけは別として」
  4. ^ ただし、現実のイスラーム社会では、一回の休戦協定は10年以上の効力を有さないと考える法学者が多数派を占め、もし、その地に恒久的和平を確立していこうとするならば、条約の適宜更新が必要である。
  5. ^ 『クルアーン』第9章第5節には「だが、(4か月の)神聖月があけたなら、多神教徒は見つけ次第、殺してしまうが良い。ひっ捉え、追い込み、いたるところに伏兵を置いて待ち伏せよ。しかし、もし彼等が改悛し、礼拝の務めを果たし、喜捨も喜んで出すようなら、その時は遁がしてやるがよい」という文言、また第9章29節に「アッラーも、終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から、禁じられたことを守らず、啓典を受けていながら真理の教えを認めない者たちには、かれらが進んで税(ジズヤ)を納め、屈服するまで戦え」という文言があるように、当初、ムスリムとの戦いに敗れた多神教の信者は死か、改宗か、もしくは貢税を求められた。それに対し、「啓典の民」は服従と納税が強制された。また、「啓典の民」はのちに拡大解釈が行われ、特にペルシャや南アジアの諸地域では、ゾロアスター教ヒンドゥー教仏教を奉じる人びとまで一神教を奉じる民と同様に扱われるようになった。
  6. ^ 『クルアーン』第8章15節「信仰する者よ、あなたがたが不信者の進撃に会う時は、決してかれらに背を向けてはならない」、および16節、「その日かれらに背を向ける者は、作戦上または(味方の)軍に合流するための外、必ずアッラーの怒りを被り、その住まいは地獄である。何と悪い帰り所であることよ」。
  7. ^ ジハードにおける献身をたたえ、その忌避を戒める『クルアーン』の章句は、第47章4節「あなたがたが不信心な者と(戦場で)見える時は、(かれらの)首を打ち切れ。かれらの多くを殺すまで(戦い)、(捕虜には)縄をしっかりかけなさい。その後は戦いが終るまで情けを施して放すか、または身代金を取るなりせよ。もしアッラーが御望みなら、きっと(御自分で)かれらに報復されよう。だがかれは、あなたがたを互いに試みるために(戦いを命じられる)。およそアッラーの道のために戦死した者には、決してその行いを虚しいものになされない」、および第48章16節「あと居残った砂漠のアラブたちに言ってやるがいい。『今にあなたがたは、強大な勇武の民に対して(戦うために)召集されよう。あなたがたが戦い抜くのか、またはかれらが服従するかのいずれかである。だがこの命令に従えば、アッラーは見事な報奨をあなたがたに与えよう。だがもし以前背いたように背き去るならば、かれは痛ましい懲罰であなたがたを処罰されよう』」などもある。
  8. ^ 『クルアーン』第56章10節から24節「(信仰の)先頭に立つ者は、(楽園においても)先頭に立ち、これらの者(先頭に立つ者)は、(アッラーの)側近にはべり、至福の楽園の中に(住む)。昔からの者が多数で、後世の者は僅かである。(かれらはの織物を)敷いた寝床の上に、向い合ってそれに寄り掛かる。永遠の(若さを保つ)少年たちがかれらの間を巡り、(手に手に)高坏や(輝く)水差し、汲立の飲物盃(を捧げる)。かれらは、それで後の障を残さず、泥酔することもない。また果実は、かれらの選ぶに任せ、種々の鳥の肉は、かれらの好みのまま。大きい輝くまなざしの、美しい乙女は、丁度秘蔵の真珠のよう。(これらは)かれらの行いに対する報奨である」および56章27節から40節「右手の仲間、右手の仲間とは何であろう。(かれらは)刺のないスィドラの木、累々と実るタルフ木(の中に住み)、長く伸びる木陰の、絶え間なく流れる水の間で、豊かな果物が絶えることなく、禁じられることもなく(取り放題)。高く上げられた(位階の)臥所に(着く)。本当にわれは、かれら(の配偶として乙女)を特別に創り、かの女らを(永遠に汚れない)処女にした。愛しい、同じ年配の者。(これらは)右手の仲間のためである。昔の者が大勢いるが、後世の者も多い」。先頭のものとは最良のムスリム、右手の者とは一般のムスリムのことである。
  9. ^ 報道によれば、少年を勧誘するに当たり、「殉教すれば天国で72人の処女とセックスができる」と説いていた。[1] 朝日新聞「14歳が自爆テロ未遂、報酬2400円 パレスチナ」

参照

  1. ^ a b c 塚田 紀史 (2015年3月28日). “イスラム教徒は、好戦的でも排他的でもない 中田考氏にイスラム教徒の死生観を聞く” (日本語). 東洋経済オンライン. https://toyokeizai.net/articles/-/64017 2020年9月23日閲覧。 
  2. ^ JIIA -日本国際問題研究所-研究活動”. www2.jiia.or.jp. 2021年8月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z エスポジト(2009)pp.198-200
  4. ^ 平凡社 2019a, p. ジハード.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 渥美(1999)pp.287-291
  6. ^ 竹下 2019, p. ジハード.
  7. ^ a b 平凡社 2019b, p. ジハード.
  8. ^ a b 岩村(1975)pp.219-221
  9. ^ 藤本(1971)p.186
  10. ^ 大島(1981)pp.84-85
  11. ^ a b c d 『ラルース 図説 世界人物百科I』(2004)pp.323-328
  12. ^ a b 大島(1981)p.96
  13. ^ 島田 2016, p. 139.
  14. ^ 島田 2016, p. 140.
  15. ^ 塩尻 2005, p. 542.
  16. ^ ケベル(2006)pp.156-157
  17. ^ 大島(1981)p.59
  18. ^ 塩尻 2005, p. 540.
  19. ^ 鎌田繁著『イスラームの知とハディースの知』
  20. ^ a b 『もう一度学びたい世界の宗教』(2005)pp.84-85
  21. ^ 石川(1993)pp.91-95
  22. ^ 大島(1981)pp.78-79
  23. ^ イブン・カスィールによるクルアーン第55章及び第56章への言及
  24. ^ Victor Reklaitis (2015年10月9日). “ISはなぜトヨタ車を愛用するのか-米が説明要求” (日本語). ウォール・ストリート・ジャーナル. http://jp.wsj.com/articles/SB11828848094781684513604581280681440845092 2016年10月22日閲覧。 

クルアーンの原典への参照

  1. ^ 第49章15節部屋”. 2017年5月23日閲覧。
  2. ^ 第2章193節雌牛”. 2017年5月23日閲覧。
  3. ^ 第2章190節雌牛”. 2020年9月23日閲覧。






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